⑪【小説】 さくら坂のほのかちゃん また、ほのパパ
『さくら坂』に来てすぐ、ホノカが2歳の時、公立の保育園に3ヶ月ほど通っていたことがある。
その保育園は車でT駅へ行く途中にあるので、朝、出勤時間が遅い日や、ママの体調が悪かったり、ママが病院の日は、パパが保育園へ送り迎えをした。
「何かあった時、困るんですよねー」
何度見ただろう、この先生の、明らかに迷惑そうな顔。
心の中で舌打ちをする。
『公立は、公務員だから、きっと居心地がいいのよ』
と、お義母さんが教えてくれた。
「子供産んでも、ちゃんと産休とって戻ってきてるんちゃう?
仕事できない年寄りが、文句ばっかり言ってて全然動かなくって、そういう人に限ってなかなか辞めへんのよ。
だから、動ける若い子が少ないんでしょ・・・ 知らんけど」
確かにフットワークは悪そうな気がする。
嫌味の一言でも言ってやりたい。 でもママは、パパより頻繁にこいつらに会ってるんだ。
ガマンしなきゃ。
ホノカは、4月1日生まれ、それでなくても学年で一番若い早生まれ、この年頃の1年の差は大きいだろうに。
ずっと、泣いてばかりだそうだ。
最近、保育園に車が近づいただけで、泣き出すようになった。
ホノカは、おむつもまだ取れていない。
もう、1年下のクラスには、できないんですか?・・・
規則でダメらしい。
融通が利かないのは、公立だからなのか・・・
「完全に、抱っこで一人、手が塞がっちゃうんですよ・・・」
「ご迷惑をおかけします。よろしくお願いします・・・」
泣き続けているホノカを置き去りにして、保育園を後にするのが心苦しい。
ごめんな、ホノカ。
* *
以前住んでいたH市の1歳半検診で、言葉の遅れを指摘された。
『テレビ・ビデオの見せ過ぎかもしれませんね』と。
ママは、いつもホノカに話しかけているし、優しく歌っているし、テレビ・ビデオに任せっきり、 放ったらかし、なんてことは決してなかった。
ホノカが、視線を合わしてしてくれない。
目の前に顔を持っていっても、避けて、視線を外してくる。
ティッシュボックス、テレビのリモコン、スリッパ、ママのケータイ、積み木・・・
部屋の中にあるそれらを繋げて並べるのが好きな時期があった。
きれいに輪を描いていた。
順番を入れ替えると一々戻しに来る。
ホノカが寝てしまってから片付けた。
いろんな本を読んだ。
単に、言葉が遅れているだけ?
もしかしたら、自閉症かもしれない。病気ではない、治るというものではない。
これから先、ずっと・・・?
不妊治療の子だから?
パパが年喰っているから?
音楽療法に効果があると。
ヒーリングミュージックのCDを購入してみた。
イルカの声を聞かせるといいらしい。
水族館まで、イルカショーを見に行った。
ホノカが、2歳になって間もない頃、H市の保育相談で紹介状を書いてもらい、大阪府の母子センターへ検診に行った。
「かわいそう・・・」
ママは、涙声だった。
まだ小さいホノカを、検査のためとはいえ、睡眠薬を飲ませたりしなければならなかった。
「聴覚検査、耳は聞こえています。脳のCT、外傷によるものは特に無いようです」
自閉症、発達障害の判定は、まだ2歳では難しいらしく『様子を見ましょう』と、おおよそ予想した回答しか得られなかった。
ネットを検索した。
やはり、自閉症なのかもしれない。
右脳を鍛えるトレーニングをしましょう!
牛乳は飲ませないように。寝かせた後『大好きだよ』と何回も話かける、それを毎晩続けましょう。
そんな育児教室のセミナーに参加した。
やっぱりアニマルセラピー。
馬と直接触れ合える、乗馬が効果があると。
親子で乗れる、幼児向け乗馬教室を体験してみた。
脳の中で、神経伝達を阻んでいる有害物質を除くサプリを飲んだ方がいいと・・・
そのナントカ研究所の検査キットで、髪の毛の水銀量を測った。
そんな怪しいサプリを小さい子に?
逆に健康を崩すかもしれない、こんなのに手を出してはダメだ。
言葉の遅れで悩む親を狙って、効果なんて全くあてにならない療法を謳う、悪質な業者も多そうだ。
『自閉症が治った!』というキャッチコピーが一番怪しい、焦りや不安は募るばかりだけど、騙されないようにしなくては。
「大丈夫、そんなの放っといたら、突然喋りだすわよ!」
知り合いの、根拠の無い励ましに苛立ちを覚える。
ホノカ、なんとか、喋り出さないだろうか・・・
* *
その当時ママは、O市にあるママの実家近くの病院で、また、不妊治療を始めていた。
結婚する前から、子供は二人以上たくさん、と決めていた。
結婚して3年間、子供ができなかった。何が原因かはわからない、二人とも検査をした。
ママは排卵が起こるようにと促進剤を摂取した。
ホノカの時は、排卵促進を1回しただけですぐ妊娠した。
ところが今回、2人目はなかなか着床までいたらず、ママの実家が新しい家を探し始めた頃、ママは促進剤の副作用で体調を崩してしまった。
子宮が過敏に反応するらしい。
しかし、不妊治療はやめなかった。
ホノカがやっぱり発達障害で、2人目もその可能性があるのかもしれないけれど、ホノカをひとりっ子にはしたくなかった。
ママの不妊治療の時、ホノカは、実家近くの無認可の託児所に預けていた。
託児所での数時間、大抵アンパンマンのビデオを見て、過ごしているらしい。
『さくら坂』へ移って間もない頃、治療の間だけでも保育園に入れないものかと、不妊治療に通っていた病院が出した『過敏症』の診断書を持って、K町の役場へ相談しに行った。
ホノカの言葉の遅れも話した。
役場の担当者の男性は40前位だろうか、似合ってないけれど良さそうな服を着ていた。
「K町の保育園は、園児数に対して定められた以上の保育士がいますし、ほのかちゃんくらいの歳の子は、個人差があって当然です!」
話を親身に聞いてくれ、以外にあっさりホノカの公立保育園への入園を認められた。
いい町にきたな・・・
その時は素直にそう思ったのだった。
* *
K町の役場から、子供家庭センターを通じてホノカの発達検診の依頼があったのは、ホノカが保育園に入って2ヶ月を過ぎ、ママのおなかの中にミノリが確認できたころだった。
ホノカを持て余した公立保育園が、役場へ直訴したようだ。
役場の横の公民館の一室で検査をした。
パパママ同伴だ。
ホノカは、半年前の母子センターでの同じような検査を覚えていたのか、意外にスムーズに答えていった。
検査を終えて、診断士の先生とパパだけ廊下に出た。
廊下には、役場の担当者と、保育園の主任も、結果を聞きに来ていた。
役場の担当者は、大き目のセカンドバッグを脇に抱え、かなり昔に流行った、その頃から念入りに使い続けているらしき大きいサイズの高価そうな革張りの6穴手帳を広げ、結果を漏らさずメモしようと、既にペンを握って待ち構えている。
診断士の先生が口を開いた。
「言葉は、確かに、かなり遅れてますね。
でも、現時点では障害児として認定するレベルではないと思います」
役場の担当者が、診断士の先生の言葉に落胆するのがわかった。
その横顔がムカつく。
診断士の先生は、
「でも、今のほのかちゃんには、同世代の子供たちと過ごす時間が、とても重要だと思います。
言葉の遅れには、特に」
とも、付け加えた。
検診は、彼らの期待通りには行かなかったようだ。
ホノカを邪魔者扱いしやがって。 ざまあみろ。
2ヶ月ほど前『K町は大丈夫です!』って言ったのは、その口だろ!
「これからもご迷惑をかけますが、よろしくお願いいたします」
ムカつく顔に向かって、丁寧に言ってみた。
その後の事だった。
ママが妊娠したことを告げた。
『ますます、お世話になります』と。
すると、役場の担当者の表情が一変。
急仕上げの笑顔になっている。
「それは、おめでとうございます・・・
・・・ということは、保育園は年内いっぱいでということでも、よろしいですか?
不妊治療の期間だけでも、ということでしたよね」
今K町では待機児童も多く、妊娠だけでは保育の優先要件を満たさせないらしい。
『妊娠したらママの【過敏症】は、もう大丈夫』って診断書に書いていたのか?
お前は医者か?
ホノカを、そんなに追い出したいか!
ムカつく笑顔に、爆発しそうになった。
ちょうどその時だ。
ホノカを抱っこしたママが、皆がいる廊下へ出てきた。
保育園の主任の顔を見つけたとたん、ホノカが大きく泣き始めた。
ママも、悲しそうな顔をしてホノカを抱いている。
・・・ 大切なのは、こっちだ。
あんな所に無理やり通わしても、またホノカが辛いだけだ。
「それで結構です! ご迷惑をおかけしました!」
吐き棄てるように、言葉が出た。
* *
「ホノカは、何にも悪くないのに・・・」
家に帰って、ママはさめざめと泣いていた。
ママに相談もせずに、勢いで年内退園を了承してしまった。
ママのつわりは段々きつくなるだろうし、これから出産へ向けて、どうすればいいんだろう。
無力な自分が歯がゆい。
以前使っていた無認可の託児所は、ただ預かるだけだ。
訪れる度、ペットショップを思い浮かべてしまう。
たまの2~3時間なら、アンパンマンのビデオでも見ていれば、すぐだろう。
でも、何日も預け続けるのは、さすがにかわいそうな気がする。
でも使うしかないか。
費用が高い。これも仕方がない。
出産まで、かなり切り詰めなくては。
診断士の先生は、ホノカには『同世代の子供たちと過ごす時間が重要』とも、言っていた。
何とかなるんだろうか・・・?
「しゃべれへんでも・・・
ホノカはホノカやもん」
ママがつぶやいた。
そうだったな・・・ ごめん。
『女の子を出産されました、母子ともに無事です』
連絡を受けて駆けつけた病院は、満開の桜に包まれていた。
ガラス越しに、ママの名前が書かれた札の下、眠っているホノカを見つけた時、柄にもなく神様にお願いをした。
「この子が、元気で育ちますように!
絶対、俺より先に死んだりしませんように!」
産まれてきてくれただけで、それだけで、胸がいっぱいだった。
その時の記憶が鮮明に甦った。
ホノカはソファの上、ママの腕の中で小さな寝息を立てている。
ホノカごめんな、邪魔者扱いして。
パパが、ちゃんと守ってやる。
電話のベルが鳴った。
ホノカを起こさないように、急いで受話器を取った。
相手は、今日の検査結果を聞いた子供家庭センターからだ。
【今も待機している児童がいるらしいので、入れるかどうかは、3月ギリギリにならないと分からないらしいのですが・・・】
と、保育はもとより、発達遅滞児童の言語訓練なども行なってくれる施設、『徳心園』への照会と、4月からの入園申請も、出しておいてくれるという。
【また、C村の『小吹保育園』さんも、たぶん今いっぱいなんですが、事情を話せば、一時保育なら、聞いてくれるかもしれません。
ダメもとで、どちらも、見学に行かれてみてはいかがですか?
こちらからも、連絡入れてみます 】
最後に 【あまりお力になれなくて、申し訳ないです】と付け加えてくれた。
「こちらこそ、ご迷惑をおかけして、すみません。
少しでも、可能性が見えただけでもありがたい話です。
よろしくお願いします!」
* *
さっそく、会社に休みを取って、紹介してもらったK市にある『徳心園』と、C村にある『小吹保育園』に連絡を取り、見学に巡る算段をした。
本格的に西高東低の気圧配置が強まり、日本列島も少し縮まったかと思うほどグーッと冷え込んだ日の朝、まだ2歳のホノカと、つわりが辛そうなママを車に乗せ、『徳心園』へ向かった。
『徳心園』は、K市から奈良へ抜ける山道の途中にポツンとあった。
建物の端に塔があり、その尖った屋根の上に、風見鶏がいる。
仏教系の施設と聞いていたので、お寺の本堂とかもある古い建物を想像していたが、 瀟洒な洋風の近代的な建物だった。
『徳心園』で施設を案内してもらった。
各教室、マジックミラー越しに保護者が観覧できるようになっている。
1クラス10人ほどの児童に保育士が3人。
週1回のペースで言語の個人指導が行なわれていた。
ホノカは、興味深げにあたりをキョロキョロ見回している。
「今日は、合同の12月の誕生日会をやっています。見学していかれますか?」
肢体障害のクラスもあって、ヘッドプロテクターをした男の子が、エグザイルを歌っていた。楽しそうだ。
12月の会だから、クリスマスツリーが飾られていた。
仏教系だが、クリスマスはあった。
少し安心する。
入れたらいいね・・・
きっとホノカは機嫌よく過ごせるだろう。
ホノカの表情が明るく見える。
ここなら、突然ペラペラ喋り出すかもしれない。 通園バスも、自宅付近までの送り迎えをしてもらえる。
入園できれば言うこと無しだ。
ダメだった時と雲泥の差。
待機してでも、ホノカをここへ通わせたい。
ママの出産予定は6月だ。
できれば、それまでに何とかなって欲しいと痛切に願う。
* *
3人で外環沿いのファミレスで昼食を終え、約束の時間に『小吹保育園』に向かった。
『小吹台』は、『徳心園』への道からC村側に山道を車で10分ほど登った、閑静な住宅地だ。
『小吹保育園』はその端に位置していた。
建物から、子供たちの元気な歌声が聞こえてきている。
「こんにちは!」
玄関から、事務室のほうへ声をかけた。
名前を告げると、『どうぞ』と、事務室のソファへ案内された。
園長先生は、想像していたより若い。睫毛が長くて、目に愛嬌がある男性だ。同い年位だろうか。
もしかしたら、自分より2~3歳若いかもしれない。
挨拶もそこそこに、早速事情を説明する。
何とかしたいという気持ちが苛立つ。
ママは、話している途中から静かに泣いていた。
ホノカは、ママの頬を伝う雫をつぶらな瞳で見つけると、ママの握っていたハンカチを取って、拭きだした。
「ほのかちゃんは、やさしいんやね・・・」
近くの事務机から話を聞いてくれていた女性が、ホノカにやさしく声をかけてくれた。
「おかあさんとほのかちゃんは、教室の様子を見学なさいませんか?」
と2人を誘い出してくれた。
事務室に、園長先生と2人になった。
「家庭センターの方からも、大体の事情は伺っています・・・
ほのかちゃんが保育園で泣くのは、きっとお母さんの気持ちを、そのまま感じて、表現してるんじゃないでしょうか。
まず、お母さんのケアから始めないといけませんね・・・ 」
淡々と語ってくれる。
おっしゃるとおりだ。
ママが、一番辛いはずだ。
「うちも今いっぱいで、一時保育という形でしかできませんが、それで良ければお引き受けしたいと思います。
『徳心園』さんへの申し込みは、そのままにしておいていただいて、もしダメだったら、それ以降も、 一時保育の形ですけれど、お受けしようと思います。
お母さんが出産で入院されている期間は、ちゃんと、お預かりさせていただきますよ」
安堵が、体中に広がっていった。 泣きそうになってきた。
「ご迷惑をかけますが、よろしくお願いいたします」
園長先生が、あれっ? という顔をした。
「お父さん!・・・
迷惑やなんて、思ってませんよ!」
園長先生は語気を強めて、怒ったように言った。
「成長がそれぞれ違うのは当たり前です。
お父さんが、迷惑をかけるやなんて、思わんほうがエエと思います」
そうだ、ホノカは『迷惑』じゃないんだ。
親がそんな風に思ってどうするんだ。
先生は、それから穏やかな口調で続けてくれた。
「お父さん、ほのかちゃんのことで、謝ってばっかりおるのと違いますか?
本当は『ありがとう』って、言わなあかん場面、今まででも、いっぱいあったんと違いますか?
確かに、ほのかちゃんが、人に迷惑をかけることもあると思います。
でも、ほのかちゃんが、この世に生まれてきたことは、決してアカンことやありません。
お父さんが『ごめんなさい』ばかり言ってては、ほのかちゃんが、かわいそうですよ・・・」
『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』か・・・
思いっきり殴られたような気がした。
目が覚めるような、心地良いパンチ。
園長先生が、とてもまぶしかった。
ありがとうございます・・・
本当に、心から言葉が溢れてきた。
* *
「お父さんも、教室へ行きましょうか」
もうダウンが恋しい季節なのに、子供たちは、半袖、半ズボン、裸足だ。園の方針らしい。
教室に入ると、子供たちは先生のピアノに合わせて大きな声で歌っている。
ホノカは、しゃがみこんでジーッとそれを眺めている。
ママに声をかけた。
「とりあえず、月、水、金の一時保育で預かってくれるって」
ママの顔が、パッと明るくなる。
「今さっき、この教室入った瞬間、ここで機嫌良く遊んでるホノカが見えたん! そんな気がしたんよ」
例の、幸運の『直感』だ。
「『徳心園』も、たぶん、行けそうな気がする・・・」
もう少し早く来てくれたら、こんなに胃の痛くなるような思いをせずに済んだのに・・・
まあ、文句を言う筋合いのものではないか。
「ほら見て。ホノカあんなに楽しそう・・・」
普通の人が見たら、ホノカはただ、しゃがんで眺めているだけにしか見えないだろう。
でも、その時のママとパパは、楽しんでいるホノカを、しっかりと感じることができた。
* *
公立の保育園は、すぐに退園した。 週3日ではあるけれど、『小吹保育園』に通った。
年が明けたころには、ママのつわりもようやく落ち着き、明るいママが戻ってきた。
『さくら坂』から『小吹台』まで車で20分、ほとんどママが送り迎えをした。
「大丈夫、生まれそうになったらそのまま、産婦人科に運転して行くわ!」
もし、ママの『直感』が外れて『徳心園』に入れなくても、何とかなるだろう。
お腹が大きくなってきて運転できなくなっても、赤ちゃんが産まれた後も、パパとお義父さんで交代で『小吹台』まで送り迎えすれば大丈夫だ、何とかなる。
「きょう、ホノカね、お昼寝の布団置いてある部屋に、1人で入って行ったんやて!」
ママの、笑顔がこぼれる。
「眠いのかな、何してるんやろうって、先生が、他の子達を連れてみんなで覗いたそうなの、
そしたらね、
ホノカ素っ裸になって、ほら、今『おかあさんといっしょ』でやってる、お相撲さんの踊りしてたんやて!」
ホノカが元気にしているのが、一番。
『自閉症を治す』のではなくて、出来る事を増やしてやればいい。
病気なんかじゃないんだ。
過去の天才と呼ばれる人には、自閉症だったのではと思われる人がいるらしい。
もしかしたら、何かとてつもない才能を発揮して、大儲けしてくれるかもしれないぞ。
まずは、『自分で生活できる』ことを目指すんだ。
ホノカは春には3歳だ。
春までにおむつ取れるよう、トイレトレーニングがんばろうな。
* *
【やったー!】
それがママからの、メールのタイトルだった。
ママの『直感』は、的中した。
3月も、お彼岸を過ぎていたが、子供家庭センターから『徳心園』への入園決定の知らせがきた。
もう4月は目の前だ。
その日からママは、あわただしく、それでも嬉しそうに入園の準備をした。
『徳心園』でのホノカのクラスは、男児8人女児2人、自閉症傾向のある児童が多い。
自閉症児は、一目見ただけでは健常児と区別がつかず、その障害も一般の人にはなかなか理解されにくい。
最近、アイドルがTVドラマで自閉症障害者を演じたりして、かなり理解が広まってはいるが、それでもまだ、心因性の病気の1つと思っている人は少なくない。
自分たちだって、ホノカが生まれるまで、何も知らなかったのだ。
保護者の家庭は様々だったが、近い悩みを持つ家庭が多く、障害児のママ達にとって、心強いネットワークが出来上がっていった。
「ほのちゃん、『療育手帳』まだ、取ってへんの?」
ママがミノリを無事出産、ホノカもすっかり『徳心園』生活にも慣れた頃。
ママは同じクラス、自閉症児イッセイ君のママに怒られたそうだ。
「我が子に障害児の烙印を押すのが、嫌ってタイプなん?・・・」
ママは、首を横に振った。
「そんなわけないやん。そんなんで意地張っても、しゃーないもん!
去年の秋に一回検査してんねんけど、認定までいかんかってん」
「1年近くも経ってるんやったら、もういけるで、そん時の年齢で比べるらしいから。
面倒臭がらんと、さっさと申請し! 『療育手帳』は持っといた方が、絶対ええよ。
特別児童ってことで、手当てもあるのよ。ガイドヘルパーも使えるし。色んなとこ、割引があったりするし。
住んでる町ごとで違う事もあるから、ちゃんと役場行って調べなアカン。
重度によるらしいねんけど、車かって減税があるんよ・・・
ここには通園バスはあるけど、親も懇談や見学で結構来なアカン、療育で、別にT市の支援学校主催の療育のやつ、通わしたりしてるんやろ、車は必需品やで。
ほのちゃんとこも、ウチと同じで旦那の安い給料で細々とやろ、ワタシら働きに出たくても到底無理なんやから、せっかく支援してくれるっちゅうもんは、ちゃぁんと貰わんと!
貧乏人は、しっかり情報を集めて、知恵働かせなアカンよ、ホンマ・・・」
懇切丁寧に、アドバイスしてくれたらしい。
貧乏人にされてしまった・・・
確かに、パパの給料は安い。
何にしても、ありがたいアドバイスだ。
* *
『徳心園』での恵まれた環境、恵まれた時間はあっという間に過ぎた。
できることなら、このままずっと卒園させずに、いさせて欲しい。
そう願いたいほど、ありがたい施設だった。
年長組になると、そろそろ進路を考えなくてはいけない。
そんな時期がやってきていた。
T市郊外にある支援学校か、地域の小学校か?
わが子を『徳心園』に通わせる保護者共通の悩み、難しい選択だ。
ホノカを連れて、支援学校も、小学校も見学に行った。
安全面と療育と、親として楽なのは、やはり支援学校だ。
通学の専用バスもある。
小学校なら介助員の先生をつけてもらわないと、今のホノカには無理だろう。
教育委員会にも足を運んで、安全面など、あらかじめ事情を聞いてもらう必要がある。
通学も付き添わなくてはならない。
だが、ホノカの進路は、地域の小学校を選択した。
「『さくら坂』の小学校にしようと思ってるの」
パパも賛成だ。
「今、とりあえず、トイレを1人で行けるようになってるし…」
確かに、それは大きい。
「ホノカは、これから『さくら坂』で生活して行くんやから、『さくら坂』の人たちに ホノカの事を理解してもらうには、その方がええと思うの。
途中でついて行けへんで、支援学校へ編入させないとアカンようになるかも知れない。
でも、しばらくは頑張ってみようと思うの」
授業には、すぐ、ついて行けなくなるだろう、到底、中学校は無理だ・・・と、早々に決め付けなくても、とりあえず小学校に行かせてみよう。
ホノカにとって、国語や算数より、もっと大事なものがあるはずだ。
自分のことをうまく喋れないホノカだから、それをみんなに理解してもらうようにしなければ。
小学校入学という環境の変化はホノカには大きなプレッシャーになるだろう。
小学校に入る時、ホノカの事を知っている友達がいる方が心強いと話し合った。
『さくら坂小学校』の向かいにある公立の『さくら坂幼稚園』に、年長組の1年間『徳心園』を週2回休んで、その週2日に通わせてもらえる様に、お願いをしに行った。
『さくら坂幼稚園』は、介助員の先生を付けてもらえる様、教育委員会にも話を通し、快く引き受けてくれた。
ホノカ専属で楠田先生という介助員の先生がついてくれることになった。
そして嬉しいことに、ホノカ入学の際、小学校の介助員の先生が増員となり、楠田先生がそのまま加わった。 K町教育委員会の温かい心配りだ。
『徳心園』と違って、『さくら坂幼稚園』の中でのホノカを最初は心配したが、その心配は無用だった。
『さくら坂幼稚園』には、ホノカと仲良く遊ぼうとしてくれる子供達がいた。
* *
「保育園を追い出した役場の奴、『療育手帳』を申請させたかったんだろうな。
ホノカ用に介助員を増やすとかできるし。
でも、もし申請できて、たとえ人数が増えたからって、あの保育園では、ホノカは無理だ」
公立保育園の退園以降、役場との話はママに任せっきりになっていた。
「だって、パパ、何でも断わってきちゃいそうやもん」
確かに『お役所の力を借りなくても、何とかなる』と、何でも突っぱねて来てしまいそうだ。
あれ以来、役場と話するのは御免こうむりたかった。
「今の櫻井さんっていう担当の人は、ちゃんと話を聞いてくれるんよ」
ホノカが『徳心園』に入園して2年後の春、役場の担当者が代わっていたらしい。
ママによると、その櫻井という新しい担当者は、できる限りの対応をしてくれる『ええ人なんよ!』。
「でもそれは、担当者が代わったからじゃなくて、『療育手帳』という手形が、ちゃんとあるからじゃないのかな?」
今、ホノカにとって『療育手帳』は、役場や公共施設を使う時には、必要不可欠になっている。
役場に仕事してもらうには、その手形が必要だ。
「この前、徳心園の園長さんと話す機会があったん。ホノカの入園の時の話が出て、パパが嫌ってる役場の前の担当の人、『なんとか、ほのかちゃんを入園させることができませんか?』って、徳心園までお願いしに来たことがあったんやって。
『立場上、行政サービスを公正にせなあかんのは、わかっとるんですけど、町に困っとる人がおるのに 黙っておれんかって・・・
やっぱり来てしまいました』って・・・」
「ふーん。もしかしたら、あいつ、そんなに悪い奴じゃなかったのかもな・・・」
ママが『めまい』を起こしてからは、役場の担当もパパになった。
しかたがない。
ママの症状が落ち着くまでと、ガイドヘルパーの時間を増やしてもらうようにお願いに行った事があった。
ホノカも連れていた。
櫻井という、初めて会う担当者に、ママの『めまい』の事情を話すと、
「とりあえず2ヶ月間だけ、30時間に延ばしましょう。
2ヶ月してもお母さんの調子が悪いようでしたら、お手数ですけど、またいらしてください。
また、申請書類を出してもらわないとアカンので・・・」
しっかり聞いて、快く引き受けてくれた。
それまで、月20時間を使っていたので、月々、10時間ずつ増やしてくれている。
「・・・ 助かります」
「使ってはるのは、『ぼんご』さんですよね。
こちらからも時間増えた事、連絡入れておきますね!」
申請の書類を記入していると、ホノカが役場の2階へ上がって行ってしまった。
「僕、ほのかちゃん見てますから、お父さん、書類書いといて下さい!」
そう言って、2階へホノカを追いかけていった。
なんと、気の利く人だ。日本の役場人は、こうでなくっちゃ!
櫻井さん、『日本優秀役場人大賞』ってのがあったら、必ず推薦するよ!
「イッセイも、ほのちゃんと同じ障害レベルやのに、S市は泣いたって喚いたってガイヘルは10時間が限度。
個人の事情なんて全く聞いてくれへん!
それかって、こっちから言い出さんと絶対くれへんのやから!」
K町近くの、K町人口の何十倍もある大きなS市、そこに住んでいる自閉症児イッセイ君ママの、役所に対する不満は今でもママを通じて耳に入ってくる。
『さくら坂』は、何所へ行くにもバスで一度T駅まで出なくてはならず、丸1日どこかに出るとなると、5時間はゆうにかかってしまう。
月4日は外出支援をお願いしたいと、ママはK町役場に事情を話し、ガイヘルの時間を月20時間にしてもらっていた。
K町は、ちゃんと、個人の事情まで考慮してくれているのだった。
「S市は、一人一人聞いていたらきりがないって感じ。
どんな支援制度があるか、どんくらい出来るとか、向こうから教えてくれることなんか絶対ありえへんわ!
『ぼんご』さんにだって、市役所の方から連絡したりしてくれるなんて、ありえへん。
支給時間の証明書持ってったり、手続きみんな申請者があくせく調べて、せなあかんねん!」
今のK町担当者は話を聞いてくれるし、支援制度について調べてくれるし、アドバイスもしてくれる。
住んでみないとわからない、障害児を持って初めて知る『地域格差』が存在する。
もしかすると『役所で働く人の個人差』かもしれない。
『K町に住んでラッキー、そして今度の担当者がラッキー』なのではない。
K町が、今の担当者が、当たり前なのだと思いたい。
「私らが幸せにならなアカンねん!
私らが生活苦しんどったら、少子化なんて防げへんのよ!
S市はなんも分かってへん。
『もし、障害児が産まれてしもたら、安心して暮らされへん!』
ってなったら、おちおち子供なんて作ってられへんやんか!
そう思わへん?」
ちょっと飛躍しすぎているかもしれないけれど、イッセイ君ママの意見も確かに一理ある。
いっちょ前に、福祉行政の事を真剣に考えている自分がいた。
ちょっと、かっこよく思えた。
これも、ホノカのおかげなんだろうな・・・
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