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⑨【小説】 さくら坂のほのかちゃん 内村君のお父さん


(一)


 「未遂に終わって良かったわよ!」

 恵美子の友達は、吐き棄てるようにそう言った。
「あんたみたいなマザコン男に嫁いだら、恵美子、一生苦労するとこだったわ・・・」


 知世と結婚する以前に、結婚寸前まで話が進んだ相手がいた。
相手は短大卒の同期入社、名を恵美子といった。
同期入社同士、社内恋愛だった。

  神戸の、よく雑誌などに載ったりする、小さいけれど人気のレストランの娘だった。


 恵美子には、もうプロポーズも受けてもらっていて、新居や結婚式の相談など、式の日が近づくにつれ、度々実家へ連れてくるようになっていた。


 破談のきっかけは、母さんだった。
 
『内村の家の長男』と言ったって、サラリーマンの息子、代々続いた暖簾がどうこうというわけでもなく、そんなことが結婚の障害になるとは、予想だにしていなかった。
 
 それは、実家での雑談中、恵美子の家族の話題になった時から、始まった。

 恵美子のお母さんは、恵美子が中学の時、亡くなっていた。

お父さんは再婚もせず、料理の腕一本で子供二人を大学まで進ませた苦労人だ。
お父さんは、一代限りで店を終えるつもりでいた。

恵美子にはお兄さんがいるが、実家のレストランを継ごうとはせず、畑違いの金融関係、大手の銀行に勤めていたし、恵美子に調理人の婿をとることも望んでいなかった。
お兄さんが調理の道に進まなかったのは、決して親子の中が悪かったのではなく、本当は店を継ぎたかったが、早々に諦めたらしい。

「うちの兄は、緑色と赤色が区別しにくいらしいんで、プロになるには難しいそうです・・・」

 恵美子の口から何気なく出た言葉、それに母さんが敏感に反応した。

「もし内村の血が、おかしくなったら大変ね!」

 その時は父さんもいて、
「りっぱに銀行員してらっしゃるのに、そんな失礼な事を言うもんじゃない!」

 母さんは父さんにたしなめられて、素直に謝っていた。
以来、母さんは、恵美子のお兄さんの色弱の件に関して、特にこだわった様子もなかったのだ。


 だが、気づけなかった。

 母さんは、恵美子に直接、頻繁に連絡をとっていた。
お兄さんの事はもとより、『一流の調理人かもしれないけど』と、恵美子のお父さんが高卒のことを残念がったり、恵美子本人とほとんど関係のない『ご親戚のお家柄』の詮索までも止まらなくなっていた。

 恵美子の家族でさえ年賀状くらいしか交わしていない親戚の、卒業した大学や会社での役職などを訊かれるだけでも煩わしいのに、口撃できるネタをみつけると、あからさまに蔑んで、
『まさか、その方を式にお呼びになるなんてこと、なさらないでしょうね! 今後は、そこのお家とは深くお付き合いなさらないでくださいね!』 
恵美子は我慢して、母さんとやりとりを、一人で抱え込んでいた。

 母さんは、恵美子だけではもの足らず、恵美子の父親にまでも直接失礼な電話を入れた。

怒った恵美子の父親に呼び出され、初めて、そんな話を知ることになった。
それを機に恵美子からも、それまでの事、溢れ出すように打ち明けられた。

 ひたすら謝罪をしても、時すでに遅し、だった。

 父さんは、直ぐに詫びの電話を入れてはくれたのだが、当の母さんは、
『克典の事を案じてしたこと、あんな家の子との結婚は認めませんよ!私は!』と、謝ろうともしない。

 恵美子の父親も黙ってはいなかった。
 厄介な姑と、ましてや小姑が2人もいては、恵美子が一生苦労する。

『そんな奴に、恵美子はやれない!』

 両家がこじれる中、親を捨ててでも、恵美子を守ってやることができなかった。
『マザコン男』と罵られてもしかたがない、情けない男だ。

【今さらだけど、調理の専門学校へ行くことにしたの。
頑張ってみる・・・】
最後の電話で、恵美子は言った。

  結婚に向けて会社を辞める予定だった恵美子は、そのままの予定通り、会社を辞めた。 


 破談から1ヶ月ほどして、突然、恵美子のお兄さんから、『一度、会えないか?』と、メールが入った。

仲のよい兄妹だった。
お兄さんには責められても仕方ない、今更精一杯謝っても、許してもらえるはずもない。

 でも、会わなければ・・・

 いっそのこと、情けない今の自分を、叩きのめしてほしかったのだ。
ところがお兄さんは、顔を合わせた途端、涙を堪えようともせず、
『俺のせいで・・・ すまん・・・』
本当は店を継ぎたかったなんて話を、妹に聞かせなければ良かった、と。

 お兄さんは何も悪くない。何で謝るんだ。

 どうすればいい? 
 お兄さんの前から、逃げ出したい。直ぐにでも、走り出したかった。

 地元の高校、関西の大学を出て、勤務先も大阪市内、今まで実家から出たことがなかった。

 母さんのいるこの家から、恵美子のいる神戸からも、離れたい、遠くへ。
今の暮らしを脱ぎ捨てられたら、どんなに楽だろう。

 すでに『マザコン男』との評判が独り歩きして、社内に広まっている。
会社にも居場所なんてない、すぐに転勤の希望を出した。
そんな噂があっては、上司も使いにくかったのだろう、希望通りスムーズに、東京へ転勤命令が出た。

 20代後半、なじみのない街で一人暮らし。
 でも、大阪にいるよりは、心は休まった。
女性との浮いた話も無く、仕事をこなす日々。
休日は、洗濯と、部屋に籠ってパソコンに向かうか、DVDを観て過ごしていた。

 独り者は動かし易いのか、7年で転勤が3回、たとえ住む街は変わっても代わり映えしない生活が続く。

年齢だけが確実に積み重なっていった。

* 
 
 知世とは、仙台で働いている時、知り合った。

 昼休み、駅前で一人で牛タン定食を食べていた時、懐かしい大阪弁が聞こえてきた。

「塩とたれと、どっちがええんやろ? せっかく食べにきたんやから、おいしい方食べたいやんかなぁ!」

 メニューを見ている3人組が隣のテーブルにいた。
知世は、女友達3人で旅をしていた。

「塩、頼んだ方が、ええと思いますよ。
大阪の人には、ここのタレ、辛いかもしれませんね・・・」

 関西の方? ご旅行ですか?
 わかっているけど聞いてみた。

一番、喋りそうな女の子が、やっぱり返答した。
「わかりますぅ?
大阪から来たんですぅ!」

「大阪弁は、目立ちますからね。
ぼくは、こっち住んで、働いてます」

「関西の方ですか? 単身赴任?」

「いえ、一人もんです、転勤であっちゃこっちゃに飛ばされて。で、今は、仙台です」

 一番喋る女の子が口を開く。
「仙台七夕って、なんか、飾ったぁるだけで、あんまり面白ないですわ!」
青森の、ねぶたを見てきた帰りに仙台に寄ったらしい。

「もう、大阪へ?」
 大阪へ直接帰るなら、仙台空港から飛行機だろう。

「いえ、今日は、作並温泉ってとこ泊まって、明日も、仙台らへん見てから帰ろうかって思ってます。 
でも、仙台って前にも一回、この3人で来たことあるし、中途半端な都会見てもシャーないしなって。 
何処行ってええか、ようワカランのですわ!」

 その子は、ニヤッと笑ってから、こう切り出した。 

「図々しいようですけど、明日お休みとかちゃいますか?」

 翌日は土曜日、休みだった。 
特に予定なんてない、今日の帰りに、二日間観る分のDVDを借りに行こうかと思ってたくらいだ。

「まるで知ってはったみたいですね・・・
 じゃあ、何処か案内しましょうか?」

 やったーぃ! 

その子は陽気に歓声を上げた。

 知世たちも笑っていた。
大阪の人間が、別人種扱いされるのが、少し分かった気がした。

* 

 朝、レンタカーを借りて作並温泉まで迎えに行った。

 おおよその名所は、行ったことがあるらしい。
以前、会社の事務の子がデートで『ひまわりの丘』という所へ行って『とってもよかった!』と聞いていたので、提案してみた。

 みんな、賛成した。


 そこには、ひまわり以外には何もなかった。
だが、一面のひまわりは、彼女達には好評だった。気持ちのいい所だった。


 久しぶりに、深呼吸をした。


 仙台に赴任して間もない頃、母さんと上の姉貴が遊びに来た。
その時に、青葉城や松島や秋保の滝などの観光名所を案内したが、その時以来、仙台では、部屋と会社とコンビニを行き来するだけの生活しかなかった。

 彼女達の案内を引き受けて良かった。一面のひまわりを見て、そう思った。

「ええガイドさん、見つけたやろ! 私って見る目あるわぁ!」
 よくしゃべる子は、他の二人に自慢した。

その子は、純粋に観光案内者を都合つけただけだったらしい。

意外なことに付き合っている男性がいないのは、3人の中で一番かわいいと思った、知世だけだった。


 ひまわりに囲まれた知世は、麦わら帽子がよく似合っていた。


 知世に、『盆には大阪へ帰省する』と言うと、大阪で再会する約束をしてくれた。

 遠距離恋愛から、始まった。

 今度の恋は、大切にしたい。
 もう、母さんに振り回されるのはごめんだ。
知世の実家へは何回か足を運んでいたが、自分の実家へは気になる人がいるとだけ伝えて、結婚式や新居まで全て決めてしまってから、初めて知世を実家に紹介した。

 6月から、埼玉で2人の新しい生活が始まった。

 仙台に来た3人組のうち、知世の結婚が一番早かった。

2人の友達は、結婚披露宴のスピーチで、『私達が愛のキューピット』と、鼻高々に自慢してくれていた。

      *

 姉貴は2人いる。
上の姉貴は独身で、今も大阪の実家で両親と同居している。

 下の姉貴は、結婚して東京にいる。
お義兄さんは、昔ミュージシャンだった。 いや、今も音楽関係の会社に、ちゃんと勤めている。

 下の姉貴は、いわゆる『オッカケ』をしていて、家出同然、東京まで追っかけていって戻ってこなかったのだ。
恵美子との破談でゴタゴタしていた実家に、姉貴も嫌気がさしたのかもしれない。

 母さんが、そんな娘を許すはずもなかった。

 だが、お義兄さんが意外と名の知れた大学を出ているのを知り、今のお義兄さんの勤めている会社が、大阪でも社名をよく耳にする会社なのを知り、初孫のマサタカ君が生まれ、ようやく母さんの方が折れた形だ。

 その頃のわだかまりは、今も残っているのかも知れない。

 母さんが膝が痛いと愚痴っぽくなりはじめて、春には転倒骨折して入院、認知症が進んでいても 一度も大阪には帰っていない。

「お姉さんでも、忘れちゃってるんでしょ。
 私だって、わざわざ大阪まで帰って、忘れられてたらショックだわ!」
 まるで、他人事のように言ってくれる。

「もちろん心配よ!
でも、嫁に出てしまった身は、なかなか動きがとれないのよ・・・」

 一応、去年は姪のジュンちゃんが高校受験、今年はマサタカ君が大学受験と、子供達の受験を免罪符に掲げていた。

 上の姉貴はいまだに仕事を休んでいるし、こっちだって大阪に帰れていても『さくら坂』で、ゆっくりできてないというのに。
 遠くから何もしないでいて、もし母さんが亡くなったら、一番ハデに泣きじゃくるのは、きっと下の姉貴だろう。
そんな風にも、毒気付きたくもなる。

 下の姉貴は、いつも姉弟の内で一番要領が良かった。


『克典のネーちゃん、タイプなんや!』
と、親友に告白されたことがある。

 下の姉貴とは年も近く、陽気で世話好きな姉は人気者で、そんな姉がいることが、まだ青い学生の頃は、大きな自慢のひとつだった。

 この夏、娘の美優達を快く迎え入れてくれて、ジュンちゃんと共に、わざわざディズニーランドまで2日間とも付き合ってくれた。
美優達にとっても、東京のオバサンは大好きなおばさんなのだ。

「大阪帰ったら私の分まで、ちゃんと母さんの面倒見てよ!」

 昔から、下の姉貴には、かなわなかった。



(二)

 仕事がピークを迎えていた。

この年内になんとか形にして、後はその計画通り事が動けば、ちょうど2年でこの仕事は落ち着く。
大阪にも戻れるだろう。

 父さんからの電話は、あまりにもタイミングが悪かった。

 ケータイが鳴った。10時44分、公衆電話からの着信。 

出ると父さんの声だ。

【克典か?】

 まさしく、手が離せない状態。
「急ぎ? 夜にかけなおすよ」

【ネーさんが倒れて、救急車で運んだ。詳しくは夜にやな!】
父さんは、それだけ言って、無愛想に切ってしまった。


 その日一日、イライラが募る。

 姉貴は、大丈夫なんか? 
何が原因で運ばれたんだ? 
あんな電話やったら、何にもわからへんやないか!

 父さんは、携帯電話を持っていなかった。実家にかけても、誰も出なかった。

 病院に行ってるのか?
30分おきに、実家に発信した。

 19時ジャスト、やっと取ってくれた。

意外なことに、姉貴が出た。
たまたま電話機の近くにいて、番号で克典とわかって受話器を取ったらしい。


【『めまい』がきたの。
立てへんかった。父さんに救急車呼んでもらって。
運ばれた病院で2時間ほど点滴してもらって、それでマシになったんやけど・・・】

 病院から家に連絡してもらって、そのあと父さんは、母さんと車椅子を乗せて病院まで来たらしい。

【今日、耳鼻科で見てもらって、明日、土曜だけど検査だけしてもらえることになったの・・・】

 別段、歩けるほどには回復しているようだ。
ただ、また『めまい』が襲ってきたら怖いので、今はできるだけ横になっているという。

【この週末は?
帰る予定なかったの? 
明日だけでも来てくれると助かるんやけど?】

 仕方がなかった。 

また、姉貴にめまいがきたら、おやじ独りで、二人の世話はできないだろう。


 ある程度の段取りを済ませた後、相葉君という後輩に事情を話してお願いした。

「僕ができる所は、内村さんの分も全部やっつけときますよ!
僕はまだ若いですから徹夜したって大丈夫!
そのかわり、今度焼肉でも連れてってくださいよ。先輩のおごりで!」

 仕事の上でも、彼の天性の明るさには何度も救われている。

「すまんな、相葉君ありがとう。 
焼肉、必ず連れて行くよ!
 牛一頭でも食ってくれ」


 一人暮らしの部屋には戻らずに、会社からそのまま東京駅へ急いだ。



(三) 


「ヒノヨージン!」

 会長さんの拍子木を合図に、掛声をかける。ぞろぞろと、2丁目を歩く。

クリスマスのイルミネーションを施した家が多く、みんなで、その品評会をしているようになった。


「帰ってらしたんですか。
 確か、単身赴任で東京に居らしてるんですよね。
お兄ちゃんやミユちゃんには、ホノカがいつもお世話になってます」

 ほのかちゃんのパパが、声をかけてくれた。

 *

 ほのかちゃんのおじいちゃんとは、発足した時の自治会の役員同志で親交があった。
 自治会が発足した次の年に、ほのパパさんが役員になって、ほのパパさんは、確か夏祭りの委員だった。 
 役員引継ぎの宴会で、一緒に缶ビールを飲んだ。 

ほのパパさんと言葉を交わすのはそれ以来だ。

『さくら坂』に移って一年ほどたった時、知世の知り合いから、パピヨン犬種の赤ちゃんを譲り受けた。
  かねてからペットを望んでいた美優は大喜びして、大好きなアイドルの名前を取って、名前をニノと命名した。
 
 ところが、ニノが来てから体中が痒くてしかたない、くしゃみも止まらない。
耐えられるレベルではなかった。 
母さんが犬が嫌いで、小さい時から犬と触れ合う機会が少なかったので、気が付かなかった。
ニノによって、かなり自分が過敏な犬アレルギーが判明した。

 当時、ほのかちゃんのおじいちゃんがその話を聞いてくれて、ニノを快く引き取ってくれた。 

名前も、ニノのままだ。

美優も、ニノが、同じ『さくら坂』にいるので、ようやく納得してくれた。

 ほのかちゃんのおじいちゃんは、いつも話題豊富な方で、その引継ぎ宴会の時も、おじいちゃんばかり喋って、ほのパパさんは、ちょっと浅ましい感じで、ひたすらビールを飲んでいた。

 ほのパパさんは、10歳ぐらい年下かと思っていたが、意外なことに2つも年上で、

「ホントは、髪の毛真っ白なんですよ、染めてるから若く見られますけど・・・」

 それじゃない。
若く見せているのは、常に漂わせている、その、なんとも頼りない感じのオーラのせいだ。

 *

 ほのパパさんと一緒に、掛声もほどほどに、最後尾を歩く。


「この時期、忙しいんですけどね、実家の方で急に帰って来ないといけなくなってしまって。
昨夜から実家で。
夕方やっと『さくら坂』に戻ったら、今夜から『火の用心』があるって言うんで、出てきたんです…」

 年末恒例の夜回り、12月の毎土日、防犯委員以外は自由参加で
『各家、最低でも一度は参加してください!』
と案内されている。
回り終わったら、毎夜、お茶以外にもカップ酒や缶ビールとか、簡単なおつまみが用意されていて、中にはそれに釣られて来る人もいる。

 自治会でのなじみの顔がいるかもしれない、気分転換になるかと出てきたのだ。


「なんかあったんですか?
 大変そうですね?」

 この人に言っても仕方ないんだろうけれど、誰かに聞いて欲しい気分だった。

「オフクロが、認知症なんです・・・」

 ほのパパさんが、少し驚いた顔をして小さく頷いた。

「オヤジと1人もんの姉貴で、頑張ってるんですけど・・・ 
この春、転倒して、足骨折して入院してから、姉貴が言うには、俺が大阪を離れてから、急にひどくなったと。
前から膝が悪かったんですけど、そこへ、ひっくり返ったもんですから、もう今は、すっかり車椅子ですわ。
動けんようになってから、急に、物忘れとかが、ひどくなってしまって・・・」

 ほのパパさんは、しんみり聞いてくれている。

「昨日ですわ。泣きっ面に蜂っていうか、そんな状態の時に、姉貴が『めまい』で救急車で運ばれまして・・・ 
今は、治まってるんですけど、結局原因がようわからんらしいです。
そいで、様子見に、帰ってきたんですわ」

 『めまい』と聞いて、ほのパパさんは、えっ、と反応した。

「うちもヨメさんも、『めまい』持ちなんです。
『めまい』って大変ですからね」

「姉貴は、『今度、いつ起こるかわからんのが怖い』って言うてますわ」
 普段は頼もしい上の姉貴の、不安そうな顔が浮かんだ。

「『めまい』専門のいい医者知ってますよ。
うちのヨメさんが行ってるんですけど。
大学病院で原因不明だったんですけど、そこは徹底的に調べてくれて、ヨメさんの場合は『頸からきてる』ってちゃんと言ってくれたみたいで。
対処法がわかるだけでも気分が違いますからね。
 おかげさんで、徐々にですけど良くなってきてるんですよ!」

 ほのパパさんは、自ら勝手にウンウンうなずいて、
「お姉さん、ダメもとで、そこ行って見られたらどうですか?
後で、場所とか連絡先とか、お宅へ伝えに行きますね!」

* 

【ええとこ、紹介してもろたわ。
行ってみて、良かった・・・】

一週間後、上の姉貴から、東京の部屋に電話がかかってきた。

 姉貴は、あれから『めまい』は来てなかったが、やはり不安が大きいので教えてもらった その医院の門を叩いた。
徹底的な検査の後、医者は、どうしてあなたの『めまい』が起きたのか、を解り易く説明してくれたらしい。
『またくるかもしれない』という『めまい』への恐怖は、大きく軽減されたようだ。 

 姉貴の声の明るさが、それを証明していた。

【でも、父さんにはね、私がこんなんやからって、ヘルパーさんの介護や、デイサービスへ 連れて行ってもらうのを増やすん、渋々、OKさせたん。
そろそろ私も、仕事、再開したいし・・・】
姉貴は、今も仕事を再開できていなかった。


 頑固なオヤジだ。

 母さんが入院して、要介護の申請をした時でも、かなり不満げな父さんだった。
母さんを赤の他人に面倒見てもらうのが、気に入らないらしかった。

『めまい』で不安の状態を理由に、説得するのも致し方ない事だろう。

【年末年始は、帰ってこれるの?】

 今のプロジェクトが、なんとか軌道に乗りそうなんや・・・ 

 年内にギリギリまで頑張って、今の企画で上層部の承認を取ってしまえば一段落する。
年明けは最初の日曜まで休めそうだった。

【正月くらい『さくら坂』の方にも、ちゃんと、居てあげなアカンね。
迷惑かけたね。色々ごめんね】

       *

 今年最後の日曜日、大阪に戻ってきた。

 夜、自治会の『火の用心』に行った。
ほのパパさんにもし会ったら、真っ先に礼を言わないといけないと思っていた。
ほのパパさんの事だから、たぶん今夜も、お酒目当てに出てきているのでは、と予想していた。
 
 やっぱり、ほのパパさんを見つけた。

「この前は、ありがとうございました。姉貴が、教えていただいたお医者さん、行って良かったですと」

「それは良かったです・・・
 それで実家の方は、落ち着かれましたか?」

 それがねえ・・・
ため息が、ひとつ出た。

「オヤジがねぇ・・・
もう悲愴な感じなんですよ。 
『俺が、きっちり面倒見る!』ってね。
でも、もうオヤジだって、結構年だし。
自分のせいで、車椅子になってしまったって。
 動けんようにしてしもたから、ますますひどくなったって。
オフクロは、オヤジの事が、もう判らなくて、俺のことを、オヤジと間違えてるんです。
何事もきっちりしてて、厳しい性格だったんですが、それも、めっきりだらしなくなってしまって、別人のようになってしもたんですよ・・・
なんか、情けないというか、ホントに困ったもんです」

「介護の申請とかは、しておられるんでしょ?」

「はい。
 でもねぇ、デイサービスに預けたり、ヘルパーに世話してもらったりを、オヤジが嫌がるんですよ・・・
母さんが、かわいそやって」

ほのパパさんは、ふうんという顔をして、

「無責任なことを言うようですけれど・・・ 
失礼なことを言ってしまったら、すみません。」
と、前置きしてから、喋りだした。


「内村さんは、認知症のお母さんが厄介な存在になってるんじゃないですか?」

 意味が、よく分からなかった。
首をかしげてしまった。

「認知症について、よく知らないので、許してくださいね・・・」
 そう言ってから、ゆっくりとした口調で、ほのパパさんは、続けた。

「お母さんが認知症になられたのって、お母さんのせいじゃない、もちろん、お父さんが悪い事したわけじゃない、誰かに申し訳ないっていう性質のもんではないはずです。
お姉さんの『めまい』だってそうです。
お母さんが、ひっくり返ったのだって、お父さんが無理矢理『エイッ!』とやったわけじゃないでしょ・・・」
 
 ほのパパさんは、背負い投げのポーズをしてから、同意を求めた。

「お母さんが、体が苦しいとかでなくて、機嫌良くしてらっしゃるなら、それでいいって、そう考えるわけにはいきませんかね。
『認知症でもいいじゃないか!』って。
もちろん症状が悪化しないように進行を止めたりとかの措置は必要だと思います。
周りの家族の受け止め方の話です。
うまく言えなくって、すみません・・・」

 ほのパパさんは、ペコリと頭を下げてから、話を続けた。
「うちは娘が自閉症ですけど、やっぱり、こっちが思いもよらないこと仕出かしおるんですよ」

 ほのパパさんは、3回ほど瞬きをして、大きくうなずいた。
    
「その時は、こっちも大変。
必死です。
でも結構あとから、笑い話になってたりする。
もし将来の不安とかが全くなくて、娘のやらかすこと、自閉症を楽しめたらどんなにいいのにな、って思うことがあります。
でも、『認知症を楽しめ!』なんて言ったら、きっと、お父さんに怒られてしまいますね・・・」

 ほのパパさんは、頭を掻いて、また、『すみません』と一言付け加えた。

 この人からは『家族に障害者を抱えた苦悩』というような雰囲気は、少しも伝わってこない。
いたって、ノンキそうな人に見える。 うらやましいと思った。
 自閉症というのを良く知らないが、それなりに大変なはずだ。
支援がいるといっても、認知症と自閉症とは別物だからか?
本来の性格によるものか?
この人の言うように、受け止め方の違いなんだろうか?

「お父さんの方が心配ですよね、早急に、何とかしないといけないですね・・・」

 一呼吸おいたあと、質問された。
「お父さんの趣味って、何かあります?」

「競馬ぐらいですねえ・・・」
 それしか思い浮かばなかった。
「でも、オフクロが入院してから、すっかり絶っています」

「競馬止めたところで、認知症が治るもんでもないのに・・・ 
家族に認知症が出たからって、好きな事やめたりするのは、ちょっと違うんじゃないかと思うんです。
趣味を通り越して、借金がひどかったとか言うなら、話は別ですけど」
 そう言って、改めて向き直った。

「長年連れ添った奥さんが別人のようになって、一生懸命世話しても『あなた、どなた?』なんて言われたら、さぞかし辛いでしょうね。
ましてそれを、それを俺が悪かったからって、背負い込んでたら・・・
このままだと、お父さん、先にダウンしちゃいますよ!」
 ほのパパさんが、こんなに、よく喋る人だとは思わなかった。

 ほのパパさんは、一息ついてから、
「内村さんが、お父さんを演じて、お母さんを競馬場に連れて行く、ってのはどうですか?
変な提案ですかね、参考までにしといてください・・・ 」

 ほのパパさんは、いたずらっぽく微笑んでから、話を続けた。

「お姉さんやお父さんには、気の毒ですけど、ボランティアの人ということで。 
今まで、お父さんが、お母さんを競馬場に連れて行かれたことありますかね?
なにか、昔のことも思い出すかもしれませんよ。 
 お母さんが楽しんだら、それだけで大成功。

次の日のお母さんが、全然憶えてなくてもいいじゃないですか。

代わりに内村さんが、お母さんが楽しんだってことを憶えてたら。  
お母さん楽しい顔してたら、周りにいる人も、きっと、楽しくなると思うんです。
その笑顔を、内村さんやお父さんが楽しんだら、もう、それだけでいいんじゃないですか?」

 ほのパパさんは、最後に優しく付け加えた。
「そんなんじゃ、だめですか?」

 母さんが楽しんだら、それだけでいい・・・

そんな風には、考えたことはなかった。そして今、一番心配しないといけないのは、父さんの方か。

「ほのパパさん、ありがとうございます。 少し、気が楽になったような気がします。
 競馬場、本気で考えてみたいと思います」


(四)


「おじいちゃん、塗り絵してるの?」
 幼稚園に入ったばかりの美優に尋ねられて、
「ちがうよ、おじいちゃん、お勉強してるんや・・・」
と、照れながら答えていた。

 定年を迎えてから十余年、父さんの趣味は競馬くらいだった。
働いている頃は大きく賭けたりしていたようだ。
でも、定年を迎えてからは、お金をどうこうより、データを分析して予想する時間が一番の楽しみのようだ。

 金曜、土曜の夜は、いつもお決まりの競馬新聞をピンクや黄色やブルーのマーカーで きれいにチェックしていく。
幼い美優からすれば塗り絵のように見えただろう。


 勝負のレースでも最高いくらとか、自分なりにルールを決めていて、遊ぶお金が生活に影響することはなく、収支は、『まあ、トントンかな・・・』

2割以上をJRAが持って行くわけだから、トントンなら戦績としては上々だろう。
父さんの場合は、そんなに金のかかる贅沢な趣味ではなかった。


 父さんが定年して間もない頃、一度だけ競馬場に連れて行ってもらった事があると、母さんから聞いた。

朝のレースで大きいの取ったから、『終わったら、寿司でも食べさせてやる!』って電話をかけてきた。
正確に言うと、『連れて行った』でなく、呼び出したらしかった。

2人で競馬場に行ったのは、後にも先にも、その時だけだ。
でも、母さんはその時のことを、楽しげに話していたように覚えている。

       *

【『お父さんが、悪い事したわけじゃない』かぁ・・・ 
確かに、今の父さん見てると、島流しにあって、働かされてる囚人みたいやもんね・・・】

 受話器の向こう、姉貴はため息まじりに言った。

【競馬場連れて行くの、トライしてみてもええかもね。母さんを外に連れ出す機会も、最近減ってきてるし・・・
でも、父さんをどうやって競馬場連れて行くかやわね 】

 問題は、それだった。 
日程は、ネットで調べた。

京都競馬場、金杯の翌日の日曜日。 東京へは、その夜戻ればいい。


       *

「今度の日曜日。
 僕と姉さんで母さんを連れて出るから! たまには親孝行してくるよ。
父さんも、骨休めできるやろ?」

 年が明けて3日。
 一人で実家に顔を出した。

 姉貴が言うように、母さんが忘れていたら傷つくかもしれないと、知世や子供たちは連れてこなかった。
 子ども達の方も、昨年の知世の嫌な思いを承知のようで、『お年玉は持って帰るから』と告げると不満の声もなく、今日は知世の実家の方へ行っていた。


 父さんが、怪訝そうな顔をして、

「母さんを、どこ、連れていくねん?」

 そんな父さんを無視して、父さんになったつもりの演技で、母さんに声をかけた。

「なあ、母さん。今度の日曜日、競馬場へ連れてったろか?」

 母さんは車椅子に腰掛けて、大人しくテレビを見ていたが、びっくりした顔で振り向いた。

「まあ、父さんがそんな事言うなんて、珍しい。
 雪でも降らなきゃいいけど?
ぜひ、お願いします・・・」

 母さんは笑いながら頭を下げた。

「何やそれ! そんなんアカンで!」

 父さんは怒っている・・・
『淀まで行くんか?』と、不機嫌そうだ。

「別に、父さんは留守番しててもいいよ。
気になるなら、一緒に連れて行ってあげてもいいけど?」

「アホっ、何でやねん! 
お前らだけでそんな遠出、出来るわけないやないか!」


(五)

「ハイ、これで塗り絵でもして!」

 土曜の夜、そのまま東京へ戻る準備をして実家へ向かった。
道すがらのコンビ二で、父さんがいつも買っていた競馬新聞と、マーカーのセットを、購入した。

「俺は、競馬なんかせーへんで!」
 不機嫌そうな顔をしている。

「まあ、そういわずに、今夜は僕が母さん見とくから。勉強したら?」

「アホか。そんなヒマあるか!」
 そう言って、新聞を机に放り投げると、トイレに入っていってしまった。

 頑固なオヤジだ。


      *

 翌日の朝、母さんは、やはり忘れていた。

「なあ母さん。
今日、競馬場へ連れてったろか?」

 父さんに扮してまた、母さんに声をかけた。

「まあ珍しい、父さんがそんな事言うなんて。
 嵐にでもならなきゃいいけど」


 車の後部座席に母さんを座らせ、車椅子をたたんで載せた。
母さんの横に姉貴、父さんは助手席に乗り込んだ。
父さんは、昨夜渡した競馬新聞を持って来てはいたが、色はついていなかった。

 行く途中で弁当屋に寄った。


 京都競馬場の大きな駐車場、入口で身障者用の駐車スペースを教えてもらい、車を止めた。
入場すると、すぐに車椅子を見つけた係員さんがやってきて、親切に4階のシルバー席、車椅子専用のエリアまで案内してくれた。

「同伴者3人とも、一緒に入れるんですか?」
姉貴が尋ねた。

『身障者一人につき同伴者一人まで』等と定められた施設が多いからだ。

「ご家族で、いらしてるんですから、どうぞ、ご一緒にお楽しみください。
万一、うちの職員が失礼なことを申し上げるようなことがございましたら、私を呼ぶようにおっしゃっていただければ、結構です」

 その人は、自分の胸のプレートを指差して、
「私、松本といいます。
 シルバー席出入口の方にも、再度伝えておきますので、ご安心してお楽しみください!」
と笑顔で立ち去った。

 実際にその日一日、何も、咎められたりすることなんて、起こらなかった。

 さわやかな青年だった。
さわやかな気持ちにさせてくれた。

「JRAの職員なんて、役人風吹かしてるだけかと思っとった」
父さんが、驚いていた。

同感だった。
 
 ちゃんと認識を改めないと、心地よい対応をしてくれた、今の青年に失礼だと思った。
当たり前のように、身障者を受け入れる。
先ほどの松本という青年にとっては当たり前の事なのだろうけれど、改めて礼を言いたい気分だった。

 4階のシルバー席から、京都競馬場の広い馬場が見渡せる。
 馬場に、冬の日ざしが柔らかく降り注いでいた。
ちょうど、馬達がゴールして歓声があがっていた。


 早めの食事を済ませた。 
 皆が食べ終わった頃、お茶を飲んで少しこぼしたのを姉貴に拭いてもらっていた母さんが

「もっと、近くで見てみたいわ」

と、つぶやいた。


       *

 母さんを、パドックに連れてきた。

 周回していた馬が止まって、ちょうど、騎手が跨るところだった。

「あの馬、目がとっても、きれい」

 母さんは、6番の馬を目で追っていた。

「ほら母さん、騎手も克典やって!」
 自分の名前と一緒だ。

「あら、ほんと? 頑張ってもらわな!」

 息子の名前は憶えている。
ちょっぴり嬉しい。

「じゃあ、次のレース、あの馬を応援しようか」


 姉貴が、母さんをお手洗いに連れて行った。

車椅子を押す姉貴の、後姿を見ながら、

「あんな馬、来るかぃな・・・」
 父さんが呆れ顔で、ボソッと言い捨てた。


「でも、100円くらい、買っとけばええやないか! 記念に!」

 第6レース、6番の馬、ルアシェイアは10番人気だ。


       *

 6番をつけた馬が、本番場に入場してきた。

「あの6番、黄色い帽子かぶってるのが克典やからね!」

「克典、気持ち良さそうやね。
 とってもきれい・・・」

 確かに、その馬が走る姿は美しかった。
 しばらくの間、見とれていた。
ギャンブルの対象でなく、そんな風に馬を見る自分がまだ残っているのに驚いてしまった。


 ファンファーレがなって、ゲート入りが始まる。
スクリーンに大写しになった馬達の背や尻が、太陽の光を照り返して艶やかに輝いている。

 ゲートが開いた。

黄色い帽子、案の定、6番の馬は後ろから数えた方がよさそうだ。

「がんばってー かつのりー」
 母さんが、はしゃいで応援している。
 こんなに無邪気にはしゃぐ母さんを見たのは、初めてだ。
母さんにだって子供の頃には、こんなに無邪気な時代もあったんだろう。

 はしゃいでいる母さんを、かわいいと思った。


 4コーナーを廻って、後ろからの数頭が一段になって競りあがってくる。
その中に黄色い帽子の6番がいた。

 まさか!

 先頭でゴールしたように、見えた。

「勝ったのはルアシェイアかぁーっ」
 場内のアナウンスが叫んでいる。


「やったぁ、母さん!」
 きっと母さんの応援が、届いたんだよ。

「克典、がんばったわね」
 母さんは、にこやかに何度も頷きながら、6番の馬を、まだ目で追っていた。

 払戻金の案内が表示された。

単勝3780円。

「勝ってしまいおった・・・」
 後ろから、父さんの声が漏れた。

「えーっ!」
続いて驚いた姉貴の声が響いた。

 父さん、一万円も買ってたん?・・・ 

オヤジの手元にある馬券を見て、姉貴は呆れた顔をしていた。

「この馬券を最後にしてな、もう未練残さず競馬やめようと思っとった。
母さんの馬券や、記念に取っとこうと思てな」

「でも当ったやない!
37万8千円もよ。 
記念やなんてアホみたい。
換金しないともったいないわよ・・・」
 姉貴は、『そんなの当然じゃない!』という顔をしている。

「じゃあ、こっちの100円の馬券だけ、記念に取っとくか? 
こっちは4千円もないし」
持っていた馬券を、二人に見せた。

 突然、母さんが振り向いた。

「そんなん、コピーでもしといたら済む事やないんですか!
たかが4千円かもしれへんけど、大切なお金、いくらあったって、イランなんて事ありません。
 もったいない! 」

 しっかり者の母さんが突然甦った。 そして、その母さんに叱られてしまった。


「きっと、その37万で、また、競馬始めなさいってことよ・・・」
姉貴が、父さんにささやいた。

「母さんだって、父さんのこと忘れてるんやもん、父さんが週末ぐらい、母さんを忘れて競馬に没頭したってオアイコやない。
 今は、PATで家からでも投票できるんやから・・・
勉強する時はヘルパーさんに来てもろてさ。前みたいにやったら?
 父さんの認知症防止にもなるし」
と続けた。


「そんな・・・ ええのんか? 
そんなんに、ヘルパーさん使ってもええのか?」

 そうやで!・・・
 
二人の会話に割り込んだ。

「そのかわり父さん、その37万、増やしてや、ちゃんと。
それで、俺達に寿司でも喰わしてくれるとかさ。一発勝負でアッサリ無くなってしもた!なんて事のないように!」


「なに、アホなこと言ってるんや。 俺が、そない簡単に負けるかいな」


*  

「さあ、混む前に帰ろか」
父さんが、声を上げた。

 まだ、メインレース前だった。
 父さんはあの後、馬券は買っていない様子だった。

「父さん、やっぱり、馬券は買わへんのかい?」

 頑固なオヤジだ。

 母さんのこと放ったらかしにして競馬しろなんて、やっぱり無理な話だったのか。

 父さんは、何も書き込まれてない競馬新聞を振った。

「だって今日は、何にも勉強してきてへんからな! 
母さんみたいに勘だけでは勝てんわ。 次は、ちゃーぁんと予習してくるわぃ」 
と、ゆっくりうなずいて見せた。

 *

 父さんが車椅子を押し、その脇に姉貴と従って駐車場への出口へと向かった。
屋外の気温は低いが、背中に受ける柔らかな日差しのおかげで、苦痛な寒さには感じられなかった。

「母さん、また来よな」

「そうね、今度は子供たちも連れてきてあげましょう」
 と言って、母さんは、子供達が冬空の中遊んでいる、滑り台などの遊具施設のある方を指差した。

「あんな楽しそうな公園があるんですもの。あの子達、きっと喜ぶと思うわ。」


「おい、随分、若返らせてもろたな」
 父さんが、姉貴を冷やかした。

「今まで競馬場なんて、連れてきてもろたこと、なかったやん!」

「ほな、今度また、連れてきてやるな。
ええ子で、あの公園で遊んどくんやで!」

 そのとき、母さんが振り返った。

「何、お話ししてはるの? 
楽しそやね・・・」

 楽しそやね・・・ 

母さんのその言葉で、笑顔になっている自分達に気がついた。

 自然に、ごく自然に笑えていた。

 長い間封印されていた、父さんの笑顔が戻ってきている。
姉貴も、満足げに微笑んでいた。

 今度は、知世も子供たちも連れてこよう。
子供たちには、ちゃんと、おばあちゃんの認知症も伝えよう。
説明すればきっと理解してくれるはずだ。
たとえ名前を忘れられていても、あの子達なら大丈夫だ、きっと。

 母さんの中で、今自分は、いくつなんだろう?・・・ 
ちょっと気になって、母さんに尋ねてみた。

「なあ母さん、克典って、今、いくつやったっけ?」

「父さん、何言ってるの。
七五三のお祝い、したばっかりでしょ!」

 それを聞いた父さんは、ゆっくりと公園の方を眺めた。

 父さんの穏やかな、笑顔。

きっと今、遠い40年前の記憶を甦らせているにちがいない。


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