私の震災体験 ~原発事故が教えてくれたこと~

東日本大震災および原発事故から8年が経とうとしている。あの頃ハタチだった私ももういい大人になってしまった。

間違いなく人生最大のピンチ&大事件だったあの震災とあの事故のとき感じたこと、考えていたことがだんだん薄れていくように思える。

だからもっともっと記憶が薄れてしまう前に、震災が、原発事故が、私の人生にどんな影響を与えたのか書いておきたいと思った。

◆自己紹介といわき市について

私はこの世に生を受けてから高校を卒業するまでの18年間を福島県いわき市で過ごした。

上遠野(かとおの)っていう変な苗字のせいで東京ではよく苦労するのだが、この苗字の人たち(私のご先祖様)は少なくとも500年くらい前からいわき市の山奥に住んでいたらしい。
そんないわき市は、山あり、海あり、東北のハワイありで、夏は涼しく、冬は太平洋型気候で雪もほとんど降らず、とてもゆとり感溢れる素晴らしい場所だ。笑

一方、福島第一原発からは目と鼻の先にある。
いわき市の海岸沿いの一部は事故発生当初に発表された避難範囲(原発から半径30キロ圏内)に含まれていた。


◆大地震発生、そしてはじまった共同生活

2011年3月11日、大学2年生から3年生になる春休みだった。

春休みにもかかわらず私は図書館で机にかじりついていた。その頃、法科大学院に行くことが人生の至上命題だったからだ。

4月から履修する科目の教科書を読んでいるとき、いきなり大きな揺れが襲ってきた。

私がいた首都大学東京の南大沢キャンパス図書館はジャニーズのPVや映画の撮影に使われてたりもしたけど、ときどき雨漏りするくらい元々心許ない建物で、震度5の揺れに襲われて窓ガラスが割れ、館内放送でとにかく今すぐ建物から出るようにと指示があった。

外に出てもまだ地震は続いていた。

外に追い出された数十名の中の誰からともなく震源地は東北という情報が流れてきた。

すぐに福島県いわき市にいる母の携帯に電話した。

・・何度かけても出ない。

実家にも、

父の携帯にも、

2歳年下の妹の携帯にも電話した。

・・全くつながらない。

ふと妹は今日東京にいることを思い出した。

4月から東京の大学に通うことが決まっていた妹は、友人5人と昨日までディズニーランドにいって、3月11日は原宿にいくと言っていた。。。

図書館はガラスが飛び散って危険なので入館できなくなってしまった。
とりあえず最寄りの南大沢駅まで歩いてみたものの、駅に人がごった返しており、交通機関が麻痺していることが分かった。

春から妹の大学の近くのアパートに妹と一緒に住むことになっていたため、歩いて帰ることもできず、そのまま大学に引き返し、とりあえずその日は大学で泊まることにした。

そのころTwitterは使っていたけど、LINEもFace Bookも使っていなかった。

夜になってやっと実家と電話がつながった。
実家にいる祖母から、母も祖母も無事ということを聞けた。

妹たちは3月11日の昼間は原宿で遊んで、そのあと高速バスでいわき市に帰る予定だった。
しかし、首都機能まで麻痺している非常事態状態である。
原宿から東京駅までの電車も動かなくなってしまったし、東京からいわきへの高速バスも言わずもがな運行中止になってしまった。

妹たちはとりあえず入店できるカラオケを探し回り、カラオケに入店できる時間まで閉店しているジョナサンでかくまってもらい、なんとか東京の寒空に放り出されずに済んだらしい。

翌日、混乱は少し収まって、都内の交通機関は正常に戻りつつあった。
そのころにはメールで妹ともスムーズに連絡がとれていた。

妹「これから東京駅にいってバスでいわきに帰るよ!」

私「は?いやいやいやいや、バス絶対動いてないからwなんなら常磐自動車道はぐちゃぐちゃだからw」

妹「じゃあスーパー日立(JR常磐線の特急列車)で帰る!」

私「いやいや常磐線も津波でひっくり返ってるからw」

妹「……」


とりあえず、日野市の私のアパートに来るしかないという結論に至った。

ただし、妹だけではなく、原宿で一緒に遊んでいた妹の友人5人も含め総勢6名www

妹と住むために少し広い部屋に引っ越していたとはいえ、いきなり大所帯になってしまった!(・_・;

しかし、ここでもっと重要なことに気が付いた。

全員3月11日に実家に帰る予定で、原宿でさんざん買い物をしていたため、財布がすっからかんだった。

おいおいおい、冗談だろ!?とおもったけど、
本当に一人千円ずつくらいしか所持金がなかった、、(・_・;

しかも、家賃の振り込みに使っていた東邦銀行(福島の地銀)の口座が地震の影響でシステムがストップしたため引き落とせなくなった、、!

家賃については不動産会社に頼んでなんとか3月分は待ってくれることになったものの、私を含む7人分の生活費は私のみずほ銀行の口座に頼ることになってしまった、、

そしてなんと追い討ちをかけるように、みずほ銀行のシステムもダウンしてしまい引き落としができなくなった、、(・_・;

義援金の振込の殺到が原因だったが、共同生活が長引きそうな気がしていたため、不安が募った。

そして、その不安は的中した。
福島第一原発の爆発だ。

3月12日、日野市のアパートで女子高生6人と1日中テレビを見ていた。

「え、これってやばいんじゃね?」
誰かがそんなことを言ってた気がする。

福島第一原発自体は行ったことないけど、Jビレッジ、広野町、大熊町、楢葉町、富岡町、、、
小さいころから慣れ親しんだ名前ばかりだった。

すぐに家族に連絡するも、政府が発表している避難区域外だから問題はないと。避難はしないと。

そ、そうなのか・・と思うしかなかった。

Googleマップで実家から福島第一原発までの距離を調べたら47キロだった。
爆発の報道で今度は親達が、どうかそのまま東京にとどまっていてくれと懇願してきた。

当然のことだったと思うけど、いつまでこの共同生活が続くのか不安で仕方なかった、、
そしてそのあとの2号機の爆発、、

結局30キロ圏内までが避難範囲になり、避難者にはヨウ素の錠剤が配られていた。

その後、いわき市の人たちも震災と事故の影響で避難をし始め、私たちの共同生活メンバーも、一人、また一人と家族が避難している北海道や埼玉県に散り散りになっていった。

一時期母と祖母もいわきから東京に避難してきて、共同生活はなんとか3月末頃に解散になった。

◆想定外の電話と想定外の言葉

4月に入って、いわき市の実家の片付けを手伝いに行った。
水道はまだ動いてなくて給水車が町内を回っていた。

いわき市の実家に着くとすぐにヨウ素剤をもらいに市役所の出張所まで行った。
なんの意味があるんだろうって思ったけど、とりあえず飲んだのを覚えている。

その帰省の際、母からこんな話を聞いた。

3月12日、地震によって建物は被害を受けた部分もあったけれど、津波の被害を免れた母の職場では一刻も早く通常の仕事に戻るために、母を含めて多くの人が働いていた。

そんなとき、母の勤め先に一本の電話がかかってきたのだ。
それはイギリスの公共放送BBCからの電話だった。

母の勤め先は田舎にあるけど、一応英語が話せる人がいた。
BBCの記者は開口一番、「なんでこの電話が取られるんだ!?!?!?」と言ったらしい。

母の勤め先は原発から35キロ、政府の公式見解は30キロ圏内が強制避難区域。
でも諸外国では200キロ離れた東京でも危ないんじゃないかと言われていた。

電話の向こうのBBCの記者は「なんで35キロ圏内で未だに人が普通に生活していて、この電話が取られるんだ!?!?」と憤りをぶつけてきたらしい。

母からその話を聞いたとき、
なんて酷いことを言うんだ。。。電気も水も物流も止まった非常事態の中でも復旧しようと必死になっているのにと思い、悔しくて涙が止まらなかった、、









わけではない!!!

その代わり、自分はなんて愚かで、なんて馬鹿だったんだ・・と思った。

そのころTwitter上では、東京もやばいだの、日本は終わっただの、政治家はみんな子息を東京から逃がしてるだのなんだの、みんな言いたい放題で、大学の友人も東京よりも西に避難し始めた子もいた。

そんな人を横目に見て、馬鹿らしいと思っていた。でも、馬鹿だったのは自分の方だったと気づいた。

ここまで信じられない状況になっていながら、政府見解を盲信していた。

大事なものを守りたいとき、必要なのは学歴よりも資格よりも何よりも、自分がどうしたいのか分かっていて、どう行動すべきか考えられる人であることなんだ。

親がこう言ってるからとか、偉い人がこう言ってるからとか、そんなこと全く関係ない。
それよりも何よりも自分がどうしたいのか、それが言えることが一番大事なことなんだ。

そこに留まるのも一つの選択だ。
けどその時の私は考えることから逃げていたのだと思う。

震災、そして原発事故の体験が教えてくれたのは、誰かの意見に迎合せず、長いものに巻かれず、自分の頭で考えて選択することが重要だということ。


◆おわりに

結局、私の実家は半壊認定を受けて、私と妹の学費が浮いた。それもあって大学を休んで留学しようと思い立った。広い世界を見て、自分で決められる人になりたいと強く思った。

留学して、就職して、あれから8年経ったけど、いわき市のニュース番組では、今でも本日の天気予報の後に、本日の放射線量という情報が流れる。

原発事故は安全神話を信じた思考停止が生んだ悲劇だと思う。原発問題に限らず、思考停止して、見て見ぬふりをしていること、考えることから逃げていることは無いだろうか?

毎年3月になるとそんな風に自問自答する。

この記事を読んで一瞬でも福島や原発事故について想いを馳せるきっかけになったら嬉しい。

#いわき #福島 #東日本大震災 #震災体験  #原発問題


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