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効率化ばかりが全てなんだろうか。

今月から僕の勤務先の給与明細がWEB化される。

給与データが格納されているサーバーにアクセスしてログインすると、自分の給与明細が閲覧できて、PDFで自身のパソコンにダウンロードできる。会社でも自宅でも給与明細の閲覧・ダウンロード・印刷ができるから、とても便利になり、さらに今まで手渡しで配布されていた給与明細を無くすことで、給与明細作成費を含む紙の削減や業務を効率化するというのが主な目的だ。

みなさんはどうだろう。

もちろん「便利だしそのほうがいいじゃん」っていう人もいるんだろうし、少なくとも給与明細を配布していた人は、今月から手間が減るんだろうけど、僕はなんだか寂しいのです。

もちろん、もともと決まった日に給料が銀行の口座に入金されるということは変わっていないのだけど、給与明細をみるというそのトリガーは、当たり前なんだけど自分の意思で見に行かなければいけなくて、見に行かなければ自動的に銀行にお金が入るだけ。なにも意識せずともただお金が入るだけ、なのです。

働いた結果としての報酬が、誰に何を言われなくてもただただ銀行口座に入っていく様が、僕はそこには血が通っていないような気がしてしまって、なんだかとてもさみしいのです。

以前は部長なり室長なりが、部下一人一人に給与明細を手渡ししていた。

手渡しするときには必ずねぎらいの言葉をかけてくれていた。

「よく頑張ったね」「来月も期待しているよ」とか、忙しいときなんかは「体大丈夫か」「もうひと踏ん張りだぞ」とか、その時期や部下の状態をみて声をかけてくれていた。だからこそ給料をもらっているという意識が高まるし、次も頑張ろうとか思えるし、そこに人間らしさというのか、人情というのか、とにかく血の通った温かさ感じることができるのです。

厳密にいうと、今回のWEB化の直前は部長室長ではなく、既にアシスタントが給与明細を配布していたし、声掛けも「はい、どうぞ」くらい(まぁアシスタントからの声掛けなので、この程度が妥当)だったから、もうこの時点ですでに給与明細を貰うときに上長からの労いもなく寂しいなぁと思ってはいたのだが、それでもやっぱり給与明細を持ってきてもらえると「ありがたいなぁ」「来月も頑張ろう」って思えるし、ちょっとだけ周りを気にしながら、なるべく見られないように今月の給料を確認するのは、1ヶ月に1回のたのしみでもあったんだ。

もう少ないと思うけど、僕は今の会社の転職前は給料は現金手渡し(24年前です)だった。これはこれで改めて自分から銀行口座に入金しなければいけなかったから非常に面倒くさかったんだけど、それでもやっぱり上の役職の方から労いの言葉をかけてもらいながら給与明細を貰えるのと、何も声もかけられずに給料が銀行口座に入っているだけと、なんだか仕事に対する意欲というのか、そのモチベーションは格段に違ってくるんです。

やっぱり、肩をこうポンってたたかれて、「がんばってるなぁ」って言ってもらえる方がうれしいし、そこには温かみというのか人情というのか、ちょっと照れくさいけど、ちょっとだけ認めてもらえてるような気がして胸が熱くなる気がするのです。

インターネットの普及、SNSの拡大で、人と人のコミュケーションが画面越しの、誰が入力しても変わらない文字でのコミュニケーションが主流となった。

人はみんな違うのに。生の声とか、手の温かみとか、その時その時の表情とか、家庭の状況、精神状態。組織で働くのであれば人と人との生のコミュニケーションはとても大事で、給料をもらうっていうことは頑張った証みたいなものなのだから、せめてそこだけは効率化効率化なんてこと言わずに、上長に課した業務でもいいから、頑張った部下たちに一言伝える業務でいいから、生のコミュケーションを、非効率を残してもいいのではないかと思うんです。

僕は最初の就職先は一つの営業所で10数名で、与えられた売り上げ目標に向かってみんなでがんばった。一人一台のパソコンが支給されていないから、そこには生のコミュニケーションがあった。

転職した今の会社は当時は60人足らずだったけど、営業・技術・保守はお客様へのシステム導入やその後のサポートをみんなで助け合いながらやっていたし、毎年与えられる売り上げ目標を、一丸となって達成していたし、人事も経理も人数は少ないけれど会社にいる全員の顔と名前が一致して、誰に対しても名前を呼んで話しかけることができたし、もちろん当時の社長からは顔と名前を覚えてもらっていて、時々声もかけてもらって、若かった僕はやっぱりうれしかった。

入社して20年ちょっとたって、合併を2回繰り返した今の会社は、入社当時の20倍の1,200人を超えたそこそこ大きな会社になったけど、顔と名前が一致するのは一部の人で、半分以上の人の顔も名前も知らないし、同じ会社にいても一生会話することもないのだろう。

突然知らない人からメールが届いても、同じ会社だから、仕事だから業務の範囲内でメールの内容を読んで、必要に応じて電話して、内容を確認して対応するけども、やっぱり顔を見て話しをする前と後ではメンドクサイ指数の上がり下がりも違うんだ。

年々上がり続ける売上目標は、親会社の全く雲の上の知らないエライ人から降ってわいてきた莫大な金額を、顔は知ってるけど殆どしゃべったことない、きっと僕の顔と名前が一致してない、いや僕の顔も名前すらしらない自社の会長や社長、あるいは経営を担う中枢の部署や役員から各事業部に振り分けられて、事業部の長からの叱咤激励で与えられた売り上げ目標に向かって対応する。効率化効率化言われた肥大化した組織は、やらんでいいことは極力やりたくないとすぐに断ったり、違う人に振ったり、親身になって対応してくれないから、なんだか気持ちも入らなくなってりして。

昔はよかったなんて、少しは思っていてもそんなこと言うつもりもないし、それにすがっていくつもりもないし。業務効率化も必要だし、効率化するための努力もしていかないといけないって思っているけど、全ての業務を効率化なんてし始めたら、人と人との生のつながりなんてすぐに薄っぺらなものになってしまうから、「効率化っ!」なんて躍起になって業務を減らすことばかりに気をとられてはいけないって思う今日この頃なのです。






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