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職業に貴賎はないのか。

静岡県の川勝知事の言葉が「職業差別にあたるのではないか」として物議をかもしている。

知事は新規職員への訓示の中で「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかとは違い、基本的に皆さんは頭脳、知性の高い方」という言葉を語ったらしい。

前後の文脈は分からないけれど、この言葉を聞くと野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりする人は、頭脳、知性が高くないと言っているように感じますわな。

野菜を作るのにも、天候の知識、作物や土壌の知識、原価計算、流通(販路)、自動化などなど、頭脳や知性がないとうまくいかないことは山ほどある。牛の世話もモノづくりも同様である。

どういう意図で言ったかに関わらず、聞いていて気持ちのいい言葉ではないことは間違いない。


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「職業に貴賎なし」という言葉がある。

前述の川勝知事のニュースを耳にしたときに、この言葉が頭に浮かんできた。
川勝知事の言葉に対して使うならば、どんな職業においても優秀な人もいれば、それほどでもない人もいる。職業によって、人の価値が決まるものではない。という意味合いになるだろうか。

そんなことを考えながら、ふと疑問が脳裏に浮かぶ。

「職業に貴賎なし」の意味とは、どちらなのだろうか?と。
・どんな職業であっても、職業自体に貴いものも賤しいものもなく、どれも素晴らしい という意味なのか
・どんな職業に就いているかによって、人としての貴さや賤しさが決まるものではない という意味なのか

とりあえず、Google先生に聞いてみる。
「職業に貴賎なし 意味」検索

職業による社会的地位の格差はあってはならず、どんな職業であるかによって人を差別や値踏みをするべきではないという意味。尊い職業と卑しい職業での格差は存在せず、全ての職業が尊い営みであるとする

Wikipedia より

なるほど。
どんな職業に就いているかによって、人を差別したり値踏みしてはいけないということなのね。

さらにwikiにはこの言葉の歴史についても書かれている。

江戸時代の石田梅岩の著作である『都鄙問答』からの言葉。勤労とは世の中に役立つ尊い行為であり、当時に存在していた士農工商という身分とは関係が無いという著者の倫理観から。
日沖健は、石田梅岩は現代の用法とは違って職業内での地位の高低によって人間の価値は決まらないとしているとする。対して現代では職業そのものに貴賎は無いという意味で用いられているとする。石田梅岩の主張を現代に当てはめてみれば、ドナルド・ジョン・トランプやカルロス・ゴーンなどは人を押しのけてでも自分が上に上がろうとする意地汚い性格であり、このようであるため職業内において上の地位に就いているからといって、人間としての価値の高低が定まるかとは関係が無さそうであるとする。対して職業そのものの貴賎は存在すると考える。単純労働も価値があり必要とされていると言われるが、機械化しようと知恵を絞られており、無くそうとされている事に価値が有ると言うのには無理があるとする。

Wikipediaより

最後の一節が興味深い。
機械化されていくような単純労働に価値があるとするのか、そうではないのか。

機会に任せられるような人がやらなくてよい仕事など、価値がない。

乱暴な書き方をするとこんな感じになるけれど、これだけ言い切ると、イヤイヤ・・・とツッコミを入れたくなる。そもそも価値がない仕事なのであれば、投資をして機械化を進めるのではなく、ただ「やらなくなる」だけのように思う。


また、別の例だが、
誰もが知っている、とある世界的な超大手企業において、2000年代の前半~2010年代の中ごろにかけて、効率化と低コストを実現するために、人が手作業で行っていた単純作業を機械化することが推し進められていた。
しかしながら、2010年代の後半ごろから、それらの機会化した仕事の一部を再び、人による手作業に戻すという動きが推し進められているのである。

業務が高度化、複雑化するに伴って、機械化では対応が出来なくなる(機会のアップデートが追いつかない)という事象が発生し、スピーディーかつフレキシブルな対応を実現するために、システム化・自動化されたものをアナログ、マニュアル化しているのである。

すこし前述した内容と逆説的になってしまうけれど、機械化された単純作業に価値がないのであれば、コストをかけてマニュアル化(手作業化)する必要もない。


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職業に貴賎があるのかないのか、どういう意味合いであれ、その真実は私には分からない。
ただ、人が好きでこだわりをもって行う仕事というのは、貴いものであると思うし、その積み重ねによって価値が形成されていくことも往々にしてある。

多様化する社会の中で「職業」という一つの切り口だけで、人のあり様を括ろうとすること自体がナンセンスであることは紛れもない事実なのだろうな。

誰がどう言おうと、自分らしいキャリアを。自分自身が愛せるキャリアを進もうとする人を、私は応援したいと思う。

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