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二ーバーの祈り 初めて全文を読んでみた

色々な人のスピーチなどを聞いているときに、時々引用されて出てくる二ーバーの祈り。一番有名なのは次の箇所だろう。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

ニーバーの祈り / wikipedia

この祈りを唱えたラインホルト・二ーバー(1892-1971年)さんは、自由主義の神学者でありコメンテーターとして、活動をされていた方らしい。


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つい先日、妻と物事の捉え方について話していた。
妻は何かしらの問題が発生した際に、必ずと言っていいほど、原因究明をしたがる。原因が分かろうと、分かるまいと、その次にとる行動が変わらないとしても、原因を知りたがる。仮に、原因がわからない(偶発的なもの)だとしても、何かしらの要因があるのではないか?と、必死になってGoogle先生に質問しまくるようなタイプである。

一方の私は、大抵のことについては「まぁ、そういうこともあるか」のスタンスであまり深く問い詰めようとはしない。特に既に起こってしまった問題については、なぜそれが発生したか?ということも多少は考えもするけれど、どちらかというと問題が発生しているこの状況で、次にどう対処するかを重視して考えてしまう。過去は変えられないとすっぱりと諦めるというか、受け入れてしまうようなところがある。

妻はこだわりすぎるし、私は諦めが良すぎるのかもしれないが、どちらのスタンスが正しいとか、間違っているということではない。

こういうお互いのスタンスの違いを感じたときに、冒頭の二ーバーの祈りの一節が頭によぎる。


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そんな二ーバーの祈りを何気なくGoogleしてみた結果、実は続きがあったことが分かった。

全文はこんな感じ。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。

アーメン

全文を読むと、二ーバーが神学者だったということがよくわかる。
信仰というのはすごいもので、一見すると理不尽に感じるような出来事が降りかかってきたとしても、そこには神の崇高な意思があり、何かしらの意味があるものだと受け入れることが出来る。

私は神社にお参りもするし、葬式はたぶん仏式にするし、読み物としての旧約聖書は面白いと感じるくらい、無宗派というか宗教に無頓着なところがある。

従って、神の意志みたいなものを普段あまり意識するようなことはない。(そのくせ、運とか縁とかはすぐ口にする)

だけれど、起こってしまった出来事について、なぜ?と問うよりも、どう捉えるかと考えてしまう。これは見方を変えると「神の意志を理解しようとする」ような行為と大差がないことに気が付く。自分以外の何かしらの大きな力の存在や、不思議の存在を認めて受け入れる。違いはそこに信仰の対象となる神がいるかどうかだ。

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最近、身の回りで色々な社会問題に挑戦し行動しているような人が増えてきている。これはニュースなどで感じるといったことではなく、実際に自分の知っている人が、何かしらのプロジェクトを進めていたり、アクションを取っているのを実際に見聞きしている。

私からすると、解決のしようのないような大きな問題に感じるのだけれど、そういった人々の小さな動きが、いつしか世の中に影響を与え始めるということも実際に起こっている。

そういうのを見ると、ただただ凄いなぁと感心しつつ、自分の諦めの早さを思い知らされる。もう少し粘ってみたりあがいてみたりしてもいいのかもな。

そんなことを感じる土曜日の夜でした。

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