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【pdf】儒教系統の自己認識

儒教系統の自己認識
以下では、人間界の創造主は儒教系統の自己認識を創造する。一般的に、人種や宗教や文明や階級が異なる時、自己認識(アイデンティティ)も異なる。 例えば、西洋文明では、ユダヤ教徒の白人がユダヤ教徒でなく、ユダヤ人になる。しかし、有色人の大部分はユダヤ教徒の白人をユダヤ人でなくユダヤ教徒と認識している。

国民国家では、アメリカ国民やフランス国民がアメリカ人やフランス人のように民族の代替になる。それに対して、東洋人やその他の人々はフランス人とフランス国民を明確に区別している。実際、インド人のアメリカ国民は彼ら自身を”アメリカ人”と認識しない。また、アメリカには、"黒人"という自己認識が存在するが、肌の色による自己認識も外部から見ると非常に奇妙である。

このように、人種や宗教や文明が異なると、自己認識(アイデンティティ)それ自体が互いに非常に異なる。そして、どの自己認識が正しいのかという問題が存在する。新儒教では、創造主は唯一に正当化された正しい自己認識を、つまり儒教系統の自己認識を次で提示する。

なお、政治的な分野では、自己の系統の自己認識を持たないと、非自己によって自己を決定されて、戦争や争いの道具にされる。代表的な例では、西欧白人によって決定されたツチ族やフツ族の例が存在する。ロシアとウクライナ戦争でも、下位分類としての部族は異なるが、実質的には同じスラブ民族同士が争っている。


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1. 儒教系統の自己認識

1. 自己同一性(アイデンティティ)

一般的には、アイデンティティの日本語訳は自己同一性である。しかし、西欧白人が考える自己同一性は東洋人が考える自己と異なる。そこで、創造主はその事実を提示する。

儒教系統の認識1 西欧白人は白紙の自己を何かに人工的に対応させる。

例えば、西欧白人が鏡を見る。その時、その白人の顔が鏡の中に映る。このとき、その白人は自己を鏡の中の何かに人工的に対応させる。そして、その白人はその鏡の中の何かを自己と考える。創造主はこの自己同一性を「対応的自己同一性」と便宜的に呼ぶ。

国民国家では、西欧白人は自己をアメリカ国民に人工的に対応させる。そして、白人は自己をアメリカ国民と考える。ユダヤ教では、白人は自己をユダヤ教徒に人工的に対応させる。そして、その白人は自己を”ユダヤ人”と考える。

儒教系統の認識2 東洋人は自己を認識する。

例えば、東洋人が鏡を見る。その時、その東洋人の顔が鏡の中に映る。このとき、その東洋人は自己を鏡の中の対象と認識する。創造主はこの自己同一性を「認識的自己同一性」と便宜的に呼ぶ。

儒教系統の認識3 西欧白人の自己同一性は東洋人の自己同一性と異なる。

つまり、 対応的自己同一性≠ 認識的自己同一性。例えば、ある西欧白人が考える”日本人”はある東洋人が考える”日本人”と異なる。なぜなら、西欧白人と東洋人では、何を”日本人”と考えるのかがそもそも異なる。


2. 自己同一性と機能

人種や宗教や文明が異なるとき、自己同一性も異なる。また、性が異なるとき、自己同一性も異なる。創造主はこの認識を次のように解釈する。

儒教系統の思考規範1
(1)自己同一性は人種に依存する。
(2)自己同一性は宗教に依存する。
(3)自己同一性は文明に依存する。
(4)自己同一性は性に依存する。

なお、性には、動物的性と人間的性がある。自己同一性は両方の性に依存する可能性がある。自己同一性を関数のようにf(x)と置くと、f(race), f(religion), f(civilization), f(sex)になる。まとめると、f(r, rl, c, s)になる。i=f(r, rl, c, s)。


3. 自己認識

一般的には、自己認識はアイデンティティに対応する。ある主体が自己をどのように認識するのかがアイデンティティである。初めに、創造主は自己認識が何であるのかを提示する。

儒教系統の決まり1 自己認識は自己に対する認識である。

よりより定義が存在する可能性が高い。異なる言い方では、自己認識は認識である、かつある主体が自己をどのように認識するのかである。または、自己認識は認識である、かつそこではある主体が自己をある対象に対応づける。


4. 自己認識の系統性

有色人がユダヤ教徒の白人が”ユダヤ人”になっているのを見るとき、彼らは違和感を覚える。そして、彼らの一部は宗教や文明や人種が異なると、自己に対する認識の仕方が異なると認識する。この事実を使用して、創造主は自己認識の系統性を提示する。

儒教系統の決まり1 x教系統の自己認識はx教徒が信仰する自己認識である。

xを儒教とすると、儒教系統の自己認識は儒教徒が信仰する自己認識である。儒教徒の自己認識はユダヤ教徒の自己認識と異なる。例えば、有色人はユダヤ教徒の白人をユダヤ人と認識しない。彼らは黒人を黒人でなく、ネグロイド人種と認識する。


5. 自己認識と宗教

上記では、創造主は人種や宗教や文明や階級が異なる時、自己認識(アイデンティティ)も異なると提示した。ユダヤ教徒はユダヤ教系統の自己認識を持つ。儒教徒は儒教系統の自己認識を持つ。彼はそれを次のように提示する。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己や非自己を儒教系統の認識で自己認識する。

つまり、儒教徒は儒教系統の自己認識を持つ。このとき、彼らはユダヤ教徒の白人をユダヤ人と認識しない。彼らはネグロイド人種を黒人と認識しない。


6. 自己認識と所属

モンゴロイド人の雌や西欧白人との中間種は西欧文明におけるキリスト教やユダヤ教系統の自己認識を大和民族や日本国に強制しようとしてきた。また、西欧白人と結婚したエヴァ・ブラウンは「私の白人の夫と白人ハーフの子供を”日本人”にして欲しい。」と主張してきた。ある種の人々が自己認識と所属を関連づけないので、この種の未開的な現象が生じる。そこで、創造主は自己認識と所属を次のように関連づける。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が自己や非自己を儒教系統の認識で自己認識するならば、その主体は東洋文明に所属する。

対偶を取ると、もしある主体が東洋文明に所属しないならば、その主体は自己や非自己を儒教系統の認識で自己認識しない。上記の人々に対して、「君は東洋文明に所属するのか?」と質問する。もし彼らがこの質問に回答できないならば、その自己認識は東洋文明に所属しない。 また、もし上記の人々が東洋文明に所属すると表現するならば、彼は「君はどの宗教系統の自己認識を持っているのか?」と質問する。

儒教系統の思考規範2 もしある主体がキリスト系統の自己認識を持つならば、その主体は東洋文明に所属しない。

特に、西洋キリスト教系統の自己認識は東洋文明に所属しない。その他には、ユダヤ教やキリスト教、ヒンドゥー教系統の自己認識は東洋文明に所属しない。


7. 自己認識と性

日本人女性と呼ばれるエヴァ・ブラウンは白人と結婚した後、彼らは白人の夫や白人ハーフの子供を大和民族に見せびらかす。ただ、彼女らは漢民族や朝鮮民族といった異民族、異人種にはこの種の行為を実行しない。

そして、彼女らは「夫や白人ハーフの子供を"日本人"して欲しい」と主張する。さらに、彼らは夫や中間種の子供を人種的な托卵のように大和民族に育てさせようとする。また、彼女らは夫の宗教であるキリスト教や西欧文明を強制しようとする。

このとき、創造主はサピエンスのメスは民族それ自体を認識していないと認識する。彼女らにとって、民族とは白人の夫を自慢しても怒られない何か、白人の夫や混血児を育てさせる人種的な托卵のための何でしかない。そこで、創造主は自己認識を性で分ける。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体はx教の男性系統の自己認識をx教の女性系統の自己認識から区別する。

このとき、男系の民族と母系の民族が生じる。つまり、日本人女性と呼ばれてきたサピエンスの
雌は大和民族でない。この考えを使用すると、上記のような人種的な托卵が生じなくなるだろう。 その他の例では、ネグロイド人種との混血をなぜかサブサハラでなく、大和民族に日本国で育てさせようとする。または、イスラム教徒の中東人との混血児を大和民族に日本国で育てさせようとする。彼女らは彼女ら自身が大和民族であることに甘えて、大和民族に依存しきっているので、彼女らはこの種の行為を実行する。

その一方で、彼女らは大和民族を維持する意志もないので、異人種かつ異教徒かつ異文明民と結婚、混血した後、彼らを大和民族に日本国で育てさせようとする。もし彼女らがこの種の行為を実行するならば、彼女らは民族を悪用するだけであるので、サピエンスのメスにはそもそも民族は不要である。彼女らには、民族がない方が良い。


8. 自己認識と主導権

自己の系統の自己認識を持たないと、非自己によって自己を決定されて、戦争や争いの道具にされる。代表的な例では、西欧白人によって決定されたツチ族やフツ族の例が存在する。ロシアとウクライナ戦争でも、下位分類としての部族は異なるが、実質的には同じスラブ民族同士が争っている。この現象を防止するために、自己認識に関する主導権を提示する。

儒教系統の決まり1 自己認識主導権は権利である、かつx教徒は自己及び非自己をx教系統の認識で自己認識する。

上記の権利は力や能力であるかもしれない。xを儒教徒とすると、儒教系統の自己認識主導権は権利である、かつ儒教徒は自己及び非自己を儒教系統の認識で自己認識する。そこでは、例えば、儒教徒はユダヤ教徒の白人をユダヤ人でなく、ユダヤ教徒と認識する。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は儒教系統の自己認識を維持する。

上記は権利の維持と同じである。なお、彼は儒教系統の自己認識を儒教系統の人間性の一種と認識する。儒教徒が彼ら自身をどのように認識するのかは儒教系統の人間性それ自体であり、その人間性は否定されない。


9. 自己認識の強奪

西欧白人や西欧白人との混血は無関係な有色人に西欧文明におけるキリスト教やユダヤ教系統の自己認識を強制してきた。たとえある有色人がその行為を批判するとしても、彼らは彼らの行為をやめてこなかった。そこで、創造主は次の思考規範を提示して、この種の強制を防止する。

儒教系統の思考規範1 もし儒教徒が儒教系統の自己認識を奪われるならば、その儒教徒はその行為を儒教系統の人間性の強奪と認識する。

彼は儒教系統の自己認識を儒教系統の人間性に関連づける。儒教系統の自己認識の否定は儒教系統の人間性の否定である。

儒教系統の思考規範2 もし儒教徒が非自己系統の自己認識を強制されるならば、その儒教徒はその行為を認識の奴隷化と認識する。

例えば、もし儒教徒がユダヤ教徒の白人を”ユダヤ人”と認識することを強制されるならば、その儒教徒はその行為を認識の奴隷化と認識する。なお、ユダヤ教徒の白人が彼らを”ユダヤ人”と認識するのは問題がない。


10. 自己認識と個人と社会

アメリカ国民は彼ら自身の自己認識を好き勝手に形成してきた。日本国でも、日本人女性と呼ばれるエヴァ・ブラウンは「夫や白人ハーフの子供を"日本人"して欲しい(ただし、漢民族と対峙するときは大和民族にやってほしい)」と主張してきた。玉城デニーのような西欧白人との白人父系中間種は琉球民族に人種的民族的に背乗りしてきた。

儒教では、創造主はこの種の個人的な自己認識を善と判断しない。彼は社会システム化された自己認識を善と判断する。彼は自己認識を個人的な何かでなく、社会的な何かと認識する。

儒教系統の認識1 彼が認識するのは、x教系統の自己認識は社会的な認識である。

彼が認識するのは、x教系統の自己認識は個人的な認識でない。個人的な認識には、アメリカ国民の自己認識がある。モンゴロイドのメスの認識や関西人の認識、朝鮮民族の認識がある。朝鮮民族もまた彼ら自身を”日本人”と呼んで、民族を誤魔化してきた。

儒教系統の思考規範1 もしある自己認識が社会競技系化(システム化)されていないならば、そのと
き、彼はその自己認識を社会的な認識と認識しない。

もしある自己認識が社会競技系化(システム化)されていないならば、彼はその自己認識を個人的な自己認識と認識する。もしある自己認識が社会競技系化(システム化)されていないならば、そのとき、彼はその自己認識をx教系統の自己認識と認識しない。


11. 自己認識とその善性

創造主は善である自己認識を提示する。言い換えると、彼は正当化されうる自己認識を提示する。正当化されない自己認識には、個人的な自己認識がある。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が自己の社会を形成することができないならば、その主体系統の自己認識の善性は正当化されない。

このとき、彼はその自己認識を善と判断しない。具体的には、「夫や白人ハーフの子供を"日本人" して欲しい(ただし、漢民族と対峙するときは大和民族にやってほしい)」がある。この種の自己認識では、正常な社会は形成されない。

儒教系統の思考規範2 もしある主体が他者、特に異人種や異民族や異教徒や異文明民と対峙することができないならば、その主体系統の自己認識の善性は正当化されない。

このとき、彼はその自己認識を善と判断しない。具体的には、西欧白人との混血は彼ら自身を”日本人”と呼ぶ。しかし、彼らは漢民族や朝鮮民族と対峙しようとしない。対峙するとき、彼らはまるで子供のように大和民族の陰に隠れようとする。玉木デニーもそうであり、彼は琉球民族を装うが、大和民族や漢民族や朝鮮民族と対峙しようとしない。なぜなら、彼もまたその自己認識に正当性がないとどこかで勘づいている。

儒教系統の思考規範3 もしある系統の自己認識が任意の文明に所属しないならば、その自己認識の善性は正当化されない。

このとき、彼はその自己認識を善と判断しない。つまり、ある主体が自己の自己認識がどの文明に所属しているのかをきちんと表現する。西欧白人との混血は彼ら自身を”日本人”と呼ぶが、彼らはその自己認識がどの文明に所属しているのかを表現しない。この時、彼はその自己認識の善性を正当化しない。

儒教系統の思考規範4 もしある系統の自己認識が任意の地域に所属しないならば、その自己認識の善性は正当化されない。

このとき、彼はその自己認識を善と判断しない。上記も(3)に類似する。ある主体が自己の自己認識がどの地域に所属するのかを表現する必要がある。 彼は(1)を社会形成性と呼ぶ。彼は(2)を対峙性と呼ぶ。彼は(3)を所属性、または文明所属性と呼ぶ。彼は(4)を地域性と呼ぶ。ここでの地域は東洋地域やアジア地域である。東洋地域はアジア地域の部分である。

例えば、アメリカ合衆国では、アメリカ国民は個人の自己認識を自由に決定している。しかし、この自己認識には、社会形成性が存在しない。対峙性に関しては、西欧白人との中間種は自己を大和民族と装う。しかし、彼らはその自己認識で漢民族と対峙できない。さらに、その自己認識は東洋文明にもアジア地域にも所属しない。


12. 自己認識と科学

科学と自己認識は完全には一致しない。例えば、黒人という人種は科学的には認識されない。彼らの人種はネグロイド人種であると認識される。このように、政治的な自己認識は科学とは完全には一致しない。そこで、創造主は自己認識と科学を次のように認識する。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は儒教系統の自己認識を自然界に関する正確な表現に優先させる。

上記の分析者は科学者である。例えば、黒人という人種は存在しない。しかし、白人はネグロイド人種を黒人と呼んで、加害してきた。だから、彼らは自己を黒人と感じるのは科学的でないが、自然である。この時、もし彼が黒人であったならば、たとえ黒人が科学的に存在しなかったとしても、彼は黒人という存在を認識して政治活動や社会活動を優先させる。

儒教系統の思考規範2 もしある主体が儒教徒であるならば、分析者がより強力な儒教系統の社会を形成しない限り、その主体は儒教系統の自己認識を自然界に関する正確な表現に優先させる。

現在では、西洋文明における遺伝学や考古学は東洋文明を圧倒している。しかし、彼らは現実的には黒人という人種を社会に組み込んで、活動している。彼らは黒人という人種をネグロイド人種というより自然な人種にするような社会を形成することができていない。この時、黒人という自己認識や人種はネグロイド人種という自己認識や人種に優先される。もしそれが嫌であるならば、科学者はより強力な社会を形成する必要がある。

アメリカ先住民の場合、西欧白人はアメリカ先住民をモンゴロイド人種と一度分類した。だから、モンゴロイド人種はその応答に沿って自己認識を形成する。彼は認識を一種の契約や約束と認識する。現在、アメリカ先住民は北ユーラシア人の遺伝子を持っていると速報されている。その北ユーラシア人には、コーカサス人種の母系や遺伝子が存在する。西欧白人はこの遺伝的な事実を使用して、アメリカ先住民をコーカサス人種に含め、アメリカ大陸の比較的な先住権を訴えようとするかもしれない。しかし、彼は西欧白人はアメリカ 先住民と一度認識したので、彼はその認識に従い、新たな知見を強制されることを悪いと判断する。


13. 自己認識と国家及び民族

人種や民族や部族は1国家や1民族に依存しない。たとえアドルフ・ヒトラーが誰がユダヤ教徒であるのかを決定するとしても、その決定は1国家依存、1民族依存である。また、時間的にも数十年程度の自己認識や自己同一性である。新儒教では、創造主はこの種の身内的な自己認識を採用しない。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己同一性や自己認識を1国家や1民族に依存させない。

口語的には、より広い集合を考えて、新儒教徒は人種や民族を大局的に把握する。例えば、誰が日本人であるのかは大和民族や日本国に依存しない。たとえ大和民族が椎野カロリーナは日本人であるというとしても、漢民族や朝鮮民族やモンゴル民族は彼女が日本人であると認識しないだろう。この主張は1民族や1国家依存である。


14. 権限

基本的には、創造主が新儒教というシステムを設計する。しかし、自己認識に関しては、百姓や平民は彼らの自己認識を好き勝手に決める傾向がある。そこで、創造主は自己認識の創造に関する権限を決定する。つまり、彼は創造主のみが自己認識を創造することができると提示する。そして、儒教徒はその創造主による自己認識に沿って自己を認識する。これはヤハウェが”ユダヤ人” が誰であるのかを決定するような行為である。

儒教系統の決まり1 新儒教の創造主のみが儒教系統の自己認識を創造する。

一般化すると、創造者のみがx教系統の自己認識を創造する。つまり、創造主のみがx教系統の自己認識を創造することができる。儒教の場合、人間界の創造主のみが儒教系統の自己認識を創造することができる。個人個人が自己の自己認識を好き勝手に形成することはできない。創造主のそれに従う。


2. 自己認識の形成に関する儒教系統の手法

ここでは、創造主は自己認識の形成に関する儒教系統の手法を提示する。儒教徒は下記の手法に沿って、自己認識を実際に形成していく。その時、彼らは上記の考えを基盤とする。


1. 遺伝的な距離と位置

自己を認識するとき、創造主は自己と非自己との遺伝的な距離を把握する。この時、西欧白人との中間種は自己を”日本人”と誤魔化すことがなくなるだろう。なぜなら、遺伝的な距離を把握するとき、大和民族は西欧白人との中間種よりも朝鮮民族や漢民族に近くなる。この考えは人種や民族の誤魔化しを防止する。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己をある主体aと別の主体bとの遺伝的な距離で認識する。

例えば、ある日本人が自己を誰であるのか認識するとき、その日本人は朝鮮人と西欧白人との遺伝的な距離を考える。この時、日本人は朝鮮人により遺伝的に近いので、日本人は自己を西欧白人との中間種でなく、朝鮮人に近い何かと認識する。

儒教系統の思考規範2 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己を遺伝的な位置で認識する。

例えば、日本人と漢人は日本人と欧州人との中間種よりも遺伝的に近い。その中間種はカザフスタン人を含む中央アジア人に遺伝的に近い。

儒教系統の思考規範3 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は場合により理想個体を置く。

彼は交雑していな純粋な個体を仮想的に置く。その後、彼はある個体をその理想個体からの遺伝的な距離で認識する。


2. 離散と連続

西欧白人との中間種や朝鮮民族、大和民族は自己を0か1で把握しようとする。つまり、彼らは彼ら自身が日本人であるのか、そうでないのかを考える。しかし、新儒教では、創造主は自己を0か
1でなく、より詳細に、より連続的に考える。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己を0か1で認識しない。

例えば、朝鮮人と日本人との混血を考える。0か1で考える場合、朝鮮人も日本人もその混血を朝鮮人とも日本人とも認識しないだろう。その個体が朝鮮人であるのか、朝鮮人でないのか、日本人であるのか、日本人でないのかはあまり意味がない。重要なことはその個体が遺伝的に朝鮮人や日本人にどの程度近いのかである。

儒教系統の思考規範2 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己を日常的な意味で連続的に認識する。

同様に、朝鮮人と日本人との混血を考える。上記の思考規範を使用すると、その個体が朝鮮人や日本人に遺伝的にどの程度近いのかが問題になる。1/4朝鮮人、3/4日本人である場合、その個体は日本人に遺伝的により近い。


3. 大局性

一般的には、白人は自己を局所から大局へと拡張するように認識する。例えば、ある白人は自己をアイルランド人と認識する。その後、彼らはイギリス人と認識する。その後、彼らは白人と認識する。
つまり、白人は自己を局所から大局へと拡張する。または、彼らは自己を局所から大局へと構成する。儒教では、創造主はこの種の自己認識を採用しない。彼は自己を大局から局所へと把握する。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己を大局から局所へと認識する。

例えば、彼は自己をモンゴロイド人種と認識する。次に、彼は自己を東洋小種と認識する。次に、彼は自己を大和民族と認識する。このように、彼は自己を大局から局所へと縮小するように認識する。逆の場合、彼は自己をアイルランド部族と認識する。次に、彼は自己を欧州小人種と認識する。彼は自己をコーカサス人種と認識する。


4. 自然と人工の区別

西欧白人は自然と人工を区別しない。そのため、ユダヤ教徒の白人が”ユダヤ人”になる。アメリカ国民が”アメリカ人”になる。宗教や国民といった人工的な考えが遺伝子のような自然や物質と入り混じる。新儒教では、創造主は自然と人工を明確に区別する。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自然な自己認識と人工的な自己認識を区別する。

例えば、自然な自己認識には、人種や民族や部族が存在する。性も自然な自己認識である。人工
的な自己認識には、教徒や話者や国民が存在する。ここでの国民は国民国家における要素である。


5. 自己認識と名前の与え方

創造主は自己認識における名前の与え方を次のように決定する。下記は思考規範よりも決まりに近い。
儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自然な自己認識における集合の要素名を~人と呼ぶ。

決まりの形式では、~人とは、自然な自己認識における集合の要素名である。例えば、日本人は大和民族における要素である。

儒教系統の思考規範2 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は宗教に関する集合の要素名を~教徒と呼ぶ。

ユダヤ教を信仰する人はユダヤ人でなく、ユダヤ教徒である。

儒教系統の思考規範3 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は国民国家に関する集合の要素名を~国民と呼ぶ。

日本国籍の所有者は日本人でなく、日本国民である。

儒教系統の思考規範4 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体はある言語を話す集団に関する集合の要素名を~話者と呼ぶ。

英語を話す人間は英語話者である。


6. 自然な自己認識

ここでは、創造主は自然な自己認識が何であるのかを提示する。自然な自己認識を厳密に定義することは難しい。しかし、西欧白人の自己認識を見て、彼らの自己認識が自然でないことを認識するkとは難しくない。自然な自己認識は自己認識である、かつそれは次の条件を満足する。

儒教系統の決まり1 過去から現在への遺伝的な分岐の結果が自然な自己認識を自然に形成する。

例えば、大和民族という民族は大陸東洋人から遺伝的に文化的に隔離されて形成された。その民族は混合の結果でない。漢民族も朝鮮民族もチベット民族も同様である。遺伝的な混合の結果でなく、遺伝的、文化的な分岐の結果、人々の自然な自己認識が生じてきた。一方、国民国家のような自己認識は自然でなく、人工的な自己認識である。

儒教系統の決まり2 過去から現在への文化的、歴史的、宗教的、文明的な分岐の結果が人工に関する自然な自己認識を形成する。

一般的に、白人は彼ら自身の自己認識を現在から未来へと向かっていくように形成する。白人にとって、自己認識は現在から未来へと人工的に作る何かであり、その自己認識は主義や主張の類であるように見える。儒教では、自己認識は自然なものであり、すでに存在する何かを宗教に沿って認識するだけである。白人の自己認識は人工的であり、東洋人や儒教徒の自己認識は自然であり、必要的である。

儒教系統の思考規範1 もし自然な自己認識が形成されるならば、上記のその決まり1と上記のその決まり2は自己認識の形成に必要である。

もしある自己認識がその決まり1と上記のその決まり2を持たないならば、その自己認識は自然な決まりでない。

儒教系統の思考規範2 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己の自己認識を自然な自己認識で形成する。

もしある主体が自己を人工的に認識するならば、その主体は東洋文明には所属しない。


7. 人工的な自己認識

ここでは、創造主は人工的な自己認識が何であるのかを提示する。自然な自己認識と同様に、自然な自己認識を厳密に定義することは難しい。下記は白人の自己認識にに対する違和感や認識の提示に近いかもしれない。

儒教系統の決まり1 現在から未来への契約や意志が人工的な自己認識を人工的に形成する。

例えば、ユダヤ教徒の白人は彼らの宗教書に沿って、自己をユダヤ人と認識するように見える。その時、彼らは自己を現在から未来への契約や意志で人工的に形成しているように見える。アメリカ国民も同様であり、ある主体がアメリカ国籍を取得すると、その主体は自己を現在から未来への契約や意志で人工的に形成しているように見える。

ユダヤ教徒の白人やアメリカ国民は宗教的な契約に沿って彼らの意志でユダヤ人に人工的になろうとする、彼らは国民国家的な契約に沿って彼らの意志でアメリカ人に人工的になろうとする。

その他の例には、会社や選手団、国民国家における国民、ある種の宗教団体が人工的な自己認識を持つ。その他の特徴としては、人工的な自己認識には、過去が存在しない。人工的な自己認識には、必要が存在しない。

一般的に、東洋人は彼ら自身の先祖や彼らの過去を見て、彼ら自身が誰であるのかを認識する。
遺伝的な要素に加えて、彼ら自身の先祖が長い間、東洋文明に所属してきたので、彼ら自身が東洋人であるという思考が存在する。だから、たとえある白人が日本国籍を取得するとしても、その白人は”日本人”にはなれない。なぜなら、その白人は人種的に日本人でなく、そしてその白人もその白人の先祖も長い間西洋文明に所属してきた。


8. 集合と要素

西欧白人との混血は彼ら自身を”日本人”と呼ぶ。しかし、彼らの半分はコーカサス人種であるので、彼らはそもそもモンゴロイド人種ですらない。この種の人種的な背乗りや民族ていな背乗りを防止するために、創造主は集合と要素の考えを提示する。

儒教系統の決まり1 モンゴロイド人種や大和民族は集合名である。

例えば、ある主体は大和民族であるという文は正確でない。なぜなら、その主体は集合でない。
正確には、その主体は大和民族に所属するが正確である。

儒教系統の決まり2 日本人や東洋人は集合の要素名である。

日本人∈大和民族。モンゴロイド人∈モンゴロイド人種。集合同士の関係はモンゴロイド人種⊃大和民族。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は自己を集合と要素で認識する。
例えば、ある主体は日本人である。その主体は大和民族に所属する。日本人は大和民族の要素である。彼は大和民族の要素である。その主体は自己をこのように認識する。


9. 人種と民族の含有関係

一般的には、民族は人工的な認識や定義、契約を含む。一方で、人種はそうでない。新儒教では、創造主は民族を人種の部分集合と決める。

儒教系統の決まり1

  1. ...⊃亜人種⊃人種⊃小種⊃民族⊃部族⊃…⊃個族

  2. ...⊃サピエンス亜人種⊃モンゴロイド人種⊃東洋小種⊃大和民族⊃東北部族⊃…⊃荒谷族

  3. ...>サピエンス人>モンゴロイド人>東洋人>日本人>東北人>…>荒谷卓

彼は要素名を亜人、人、小人、民人、部人と便宜的に決定する。基本的には、彼は~人と呼ぶ。上記
を使用すると、民族もまた人種的な基盤を持つ。この時、たとえモンゴロイド人種やネグロイド人種がドイツ語を話すとしても、彼らがゲルマン民族になることはない。


10. 思考規範の具体例

ここで、創造主は思考規範の具体例を提示する。下記の思考規範は人種や民族の背乗りの防止に使用される。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が日本人であるならば、その主体は東洋人である。

対偶を取ると、もしある主体が東洋人でないならば、その主体は日本人でない。コーカサス人種やネグロイド人種との混血に「君は東洋人であるのか?」と質問する。もし彼らが「俺は東洋人
である。」と回答しないならば、彼らは彼ら自身を東洋人であると認識していない可能性がある。
コーカサス人種やネグロイド人種との混血は彼ら自身を東洋人でないと認識している可能性がある。もしそうであるならば、上記の思考規範の対偶を使用すると、彼らは日本人でないことが導かれる。なお、もしコーカサス人種やネグロイド人種との混血が「俺は東洋人である。」と表現しないならば、彼らは東洋小人種の任意の要素でない。

儒教系統の思考規範2 もしある主体が東洋人であるならば、その主体はモンゴロイド人である。

規範2の対偶を取ると、もしある主体がモンゴロイド人でないならば、その主体は東洋人でない。規範1と規範2を組み合わせると、もしある主体が日本人であるならば、その主体はモンゴロイド人である。組み合わせの対偶を取ると、もしある主体がモンゴロイド人でないならば、その主体は日本人でない。

同様に、コーカサス人種やネグロイド人種との混血に「君はモンゴロイド人であるのか?」と質問する。もし彼らが「俺はモンゴロイド人である。」と回答しないならば、彼らは彼ら自身をモンゴロイド人であると認識していない可能性がある。

コーカサス人種やネグロイド人種との混血は彼ら自身をモンゴロイド人でないと認識している可能性がある。もそうであるならば、上記の思考規範の組み合わせの対偶を使用すると、彼らは日本人でないことが導かれる。

なお、もしコーカサス人種やネグロイド人種との混血が「俺はモンゴロイド人である。」と表現しないならば、彼らはモンゴロイド人種の任意の要素でない。


11. 自己認識と定義

朝鮮民族は大和民族の名前を勝手に名乗り、彼らは大和民族を装って、違法行為を実行する。彼らがその行為を咎められると、彼らは「日本人の定義は何であるのか?」と質問して、彼らは民族的な侮辱を誤魔化そうとする。なぜなら、朝鮮人は大和民族は大和民族の定義は何であるのかという質問に回答できないことを知っている。そして、彼らは自己の民族を定義で誤魔化そうとする。この種の幼稚な侮辱を防止するために、創造主は自己認識における認識の優先性を次のように提示する。

儒教系統の思考規範1 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は認識を定義に優先させる。

つまり、重要なことは、人種や民族の定義でなく、人種や民族の認識である。上記の朝鮮民族は誰が大和民族であるのか、朝鮮民族であるのかを認識している。だから、質問の応答として、「君は自分を大和民族と認識するのか?」と質問することができる。この時、彼らはその質問に回答できない。

同様に、質問の応答として、「君は自分を朝鮮民族と認識しないのか?」と質問することができる。
上記は西欧白人との中間種にも応用される。彼らにもまた、問の応答として、「君は自分を大和民族と認識するのか?」と質問することができる。問の応答として、「君は自分をモンゴロイド人種と認識するのか?」と質問することができる。


3. 儒教系統の分類

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