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ヘルシンキの写真

ヨーロッパで撮った写真を現像した。あいも変わらず、わけもわからず、撮っているので、大体がひどい出来映えだ。でも「ちょっと色がいいんじゃない?」とか「なんか気に入った!」とか思える写真も少しはある。下手くそといえども、そういう写真を目にすると嬉しさがこみ上げる。フィルムで撮った写真は現像後に初めて見るわくわく感や思い出喚起力がバツグンで、楽しい。

初めてミラーレス一眼を買ったとき、絶対に自分は「カメラ」という趣味にハマると思った。自分の目に映った像を、慎重に、ときには瞬時にシャッターボタンを押して切り取るのは昆虫採集のようだし、無数のカメラやレンズのなかから自分でこだわって選び、購入するのは、大好きだった野球のグローブを大事にする感覚に近い。(どうでもいいが、野球のグローブの世界はかなりマニアックでおもしろい。革の種類や形状のカスタマイズ、なじませかたなど、こだわるポイントが沢山ある。)あとは純粋に「写真」ってかっこいい。要するにカメラという趣味は、僕の少年心をくすぐると思ったのだ。

しかし見立ては外れて、なかなか本格的にはハマれない。相変わらず、「カメラ」や「写真」という語が喚起するイメージは魅惑的だし、こうやって旅先などで写真をガシャガシャ撮るのは楽しいけれど、もう一歩、ずぶずぶにのめり込めない。歯がゆい。本を読んだり、文章を書いたりするのは、胸を張って言えるほどではないけれど、ハマり込むことができたのに、なんでだろうと疑問に思った。

もしかしたら完成までにかかる時間が鍵かもしれない。僕はかなり鈍臭いのだ。なにごともくどくど考えて、こねくり回して、のろのろちびちび作り上げていくことしかできない。そしてもしかしたら、その「くどい時間」が好きかもしれない。逆に一発勝負や反射神経、スピードを問われる勝負はめっぽう苦手だ。運動神経も悪い。野球では臨機応変な動きと敏捷性が求められる守備はダメダメだった。ひとつのフォームを地道に固めるバッティングのほうが好きだった。
同じように写真も瞬間勝負で、ある意味、運動神経が求められる気がする。そしてシャッターを撮った瞬間に成果物の大部分が出来上がってしまうあたりが、自分は少し呆気なく感じてしまうのかもしれない。もちろん素人感覚での話だが……。

ハマれない理由を書いてしまったが、今、「やっぱり写真おもしれえ!」という気持ちがいっぱいなので、またイチから始めてみようと思う。

写真を見せる友だちはいないし、Instagramにたくさん写真を載せることは怖くてできないので、少しづつnoteに写真を載せていく。以下は旅行の最後に訪れたヘルシンキの写真。

今週中に就職先の配属が発表されるらしい。働くのが、こわい。

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