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働く場所が決まった

今年も甲子園が終わった。飛びやすいボール疑惑、出場校が打高投低の傾向であったことなど、いろいろな要因があるのだろうが、とにかく「火力半端ねえ!!」な大会だった。高校野球では「春は投手力 夏は総合力」という格言がたびたび使われるのだが、もう「夏は打撃力」でもいいんじゃないかと思った。

でも矛盾するようだが、金属バットの進化や高校球児の筋肉トレーニングの進化によって「夏は打撃力」になるにつれて、「夏は投手力が超大事」になっている、というのが個人的感覚だ。実際に近年の甲子園優勝高の投手のほとんどがドラフト上位で消えている。少し前なら、高卒でドラフト指名をされない投手がエースだとしても、優勝するケースがあった。

良い投手がいなければ、試合前半に大量得点を取られて、勝負が決まってしまう。もちろん大逆転劇の試合もあるが、いくら攻撃力が自慢の高校でも、大量ビハインドを返すのは厳しい。精神的な問題もあると思うけれど、逆転するイメージが湧きづらい点差まで広げられてしまうと、なぜかチームは本来の打撃力を発揮できなくなるものだ。一方、優勢にあるチームは着実に「イメージできる」一点一点を追加していく。とことん野球は流れのスポーツだ。例えば0-4で負けてるときに5点取るのと4-0で勝ってるときに5点取るのとなら、前者のほうが圧倒的に難しいと思う。「一点一点追加する」って気持ちと「5点取らなきゃ」という気持ちじゃ、精神状況が全然違うんだろうなあ。「5点取らなきゃ」の何が悪いって、具体的に逆転するイメージがしづらい点差を追いかけなければいけないところだ。劣勢にいるときこそ、相手との間に隔たる漠然とした差に振り回されず、目の前のひとつひとつのことを丁寧にこなすことが逆転につながるのだと改めて思う。

途中で当たり前なことを偉そうに書いている自分に嫌気が差してしまった。野球において投手が大事なのは当たり前じゃないか! そして甲子園に出るほどの力をつけてきた高校球児たちの精神力は、僕が考えているほど弱いわけがないだろう? もっと敬意を払わなければ。

「広陵の中村くんの軸がブレないバッティングフォーム最高だ!」とか「花咲徳栄の綱脇くんの正確無比なコントロールと、若干醸し出るサブカル感たまらん!」とか書けばよかった。

エストニアのタリンの写真。なぜか青いのが多かった。

勤務地が「福島」になった。まさかの希望していないエリア、そしてその中でもなぜか出身県。かなりずっこけたが、頑張ろうと思う。
ただ唯一の寂しさは文化資本からどんどん離れていくことだ。最寄りの映画館まで車で1時間半なので、映画館で映画を見ることはほとんどなくなるだろう。しっかりした本屋も近くにはなさそうなので、あの大好きな空間に身を置くことも少なくなるだろう。
といっても悲観的になっているわけではなく、逆に飢えて、いろいろ積極的に手を伸ばしていけるのではないかと自分に期待している部分もある。あとは幸いにも今の時代、ネットがあれば、読書も映画・音楽鑑賞もあの手この手で楽しめるし。
というか、そもそも仕事が大変だろうから、趣味に使う時間は激減するかもしれない。

「SNSに関する誓約書」というものを、サインして会社に提出しなければならない。SNSにヤバいことは書かないだろうとは思うが、万が一が怖いので、SNS類を本名フルネームでやるのは止めようと思った。

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