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サボる技術

僕はアメリカで20年以上仕事をしている。とは言え、自分の性格・気質はアメリカにはちっとも適していない。日本人の中でも超内向的で、日常会話が苦手。大勢の中での会話が苦手。変化に弱く、機転の利いた事が言えない、できない。マルチタスクができず、ひとつひとつに集中して取り組むため、要領が悪く、時間もかかる。そんな僕がアメリカでなんとか楽しく心地よく働けているのは、知らず知らずのうちにサボる技術を磨き上げたからかもしれない。

テクノロジーが進歩し、コンプライアンスが厳しくなる。情報が増える。社会が目まぐるしく変化する。それに伴って、学ぶこと、理解すること、選ぶこと、実行すべきことが加速度的に増えている。僕のように要領の悪い人間でなくとも、どんな切れ者でも、まともに全部をこなそうとすれば簡単にパンクする。情報の洪水におぼれ、自分を見失ってしまう。特に真面目な日本人が陥りやすい罠だ。自分を守るためにはサボる技術は重要だ。

「サボる」の実践

文書の確認をサボる

仕事に関わる文書であっても、全てを完全に確認することをサボる。致命的なダメージを与えるリスクが低い文書は、確認をサボる。定型文書は、間違ったことは書いてないと信じて、読まないリスクをとる。
読まないことで、100回に1回の割合で問題が起こるリスクがあるとする。でも、問題が起こったとしても、その問題解決にかかる時間と労力が、問題が起こらないように100回すべてを懇切丁寧に確認した場合に消費した時間と労力より小さければ、リスクを取った方が効率的だ。

ミーティングをサボる

ただ参加するだけで、自分が貢献する機会がほとんどないミーティング、あとで議事録を見ればそれで十分なミーティングには出ない。とにかく参加だけはしなければいけないミーティングは、オンラインで参加している振りだけして、音量を下げて聞かずに、自分にとって重要なことをするか、ボーっとしてエネルギーを温存する。

会話をサボる

僕は大人数での会話が超苦手だ。会話が人から人へと移り替わるとそれについていけない。ついて行こうとするとめちゃ疲れる。知らず知らずのうちに、心は会話から離れて、自分の世界に入っていく。ふっと我に返ると、みんなの話は進んでいて、何の話をしているのか分からない。踏ん張って会話についていこうとすれば、すごいエネルギーを消費する。会話についていけずに、自分の世界に入っていくのは、エネルギーを温存するための防衛反応のようだ。作り笑顔でなんとか乗り切るようにしている。妻には、「聞いていないのは皆にバレてるよ」とよく指摘されるが。。。

トレーニングをサボる

自分が説明責任を果たせる範囲でトレーニングをサボる。
例えば、ある問題が起こった時の対処方法が書かれた手順書があり、トレーニングとしてそれを読まななければならないとする。実際に問題が起こった時にその文書を読みながら対処する自信があるのなら、実際には事前には読まないで、読んだと嘘をついてトレーニングを完了させたことにする。

「理解する」をサボる

本当は白黒はっきりつけたい、明確にしてスッキリしたい気質だ。でも、アメリカに来たら、そうはいかない。この環境が功を奏した。僕のような語学が苦手の人間が英語使って仕事をしなければならない状況に置かれれば、すべてを完全に理解・把握するのは、無理だと諦めざるを得ない。ぼんやりとだけ分かった状況でも、ヨシとしなければ、次に進めない。完全に理解することは無理で当然。ぼんやり分かれば、それでヨシとする。

疲れる前にサボる

続けて仕事をしてヘトヘトになってしまう前に、積極的にサボる。ルーチン好きの僕は、頭が疲れてくると、いったん仕事を止めて、5分間ほど腕立て伏せ、腹筋、ラジオ体操などを行う。あるいは、コーヒーを楽しむ。あるいは、5~10分昼寝する。心底疲れてしまう前に積極的にサボる。


サボりの効能

温存した時間とエネルギーを大切なことに使う

最も大きな効能は、サボりによって温存した時間とエネルギーを、自分の強みが活きる勝負どころに使えることだ。

例えば、僕は何となく参加したミーティングでとっさに機転の利いたコメントをするのは苦手だ。だが、自分が主催するミーティング、あるいは自分がプレゼンすることになっているミーティングであれば、自分の強みが活かせるように準備できる。そのような場で準備万全のプレゼンを行い、参加者に有用な情報を分かりやすく提供し、参加者に感謝されれば、仲間の信頼を勝ち取ることができる。

大勢での会話は苦手だが、1対1などの少人数の会話であれば、自分のペースで相手の話が聞ける。そして自分が伝えるべきこともしっかり伝えられる。そこでギバーに徹して、相手が超喜ぶコメントやアドバイスを与えることができたら、相手からの信頼度は爆上がりする。

ノイズが消えて本質が見やすくなる

もちろん自分にとって超重要なことをサボることはありえない。サボる対象となるのは、自分にとって重要でないことだ。重要でないことに、時間やエネルギーを割かないのだから、自然とノイズが消えて、自分にとって本当に大切な本質が見やすくなる。細かいことに惑わされずに、大空高くから鳥の目で、大切なことだけ俯瞰できるのだ。そこで見つけた自分がやるべきこと、やりたいことは、自然と大きなインパクトを与えられることになる。

サボりによって温存した時間とエネルギーを、自分の強みが活きる勝負どころに使い、インパクトのある貢献をしていれば、サボりを帳消しにするどころか、余りある成果を届けられることになるはずだ。


「サボる」を極める

サボるを極めるには、考え方のパラダイムシフトが必要だ。真面目な日本人は、サボることに罪悪感を持ってしまう。いくら重要でないことをサボり、重要なことにフォーカスしようと思っても、ビクビクしながらやっていては、うまくいかない。

こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」に書かれていたメッセージが、この「サボる」を極めるにもまさに当てはまる。

「捨てられない原因を突き詰めていくと、実は2つしかありません。それは『過去に対する執着』と『未来に対する不安』の2つだけです。」「自分にとって必要なモノや求めているモノが見えていないから、ますます不必要なモノを増やしてしまい、物理的にも精神的にもどんどんいらないモノに埋もれていってしまいます。」

近藤麻理恵著「人生がときめく片付けの魔法」

こんまりさんは、身の回りの物について書いているが、このメッセージは、行動や時間の使い方にも突き刺さる。
『過去に対する執着』で、規則だから、常識だから、誰もがこれまでやってきたことだから、サボれない。自分にとって本当に大切かどうかも真剣に考えずに。。。
『未来に対する不安』で、上司に怒られるかもしれないから、回りに悪く思われるかもしれないから、と心配して、サボれない。自分にとって本当に大切かどうかも真剣に考えずに。。。

社会のルール、会社の規則、上司からの指示は、建前上、堂々と人前で「サボる」とは言えないかもしれない。でも、自分にとって重要でないことなら、神様の前では、堂々と恥ずかしくなく「サボる」を正当化できるはずだ。自分自身だけは、自分の最大の応援者になる。「サボる」の場数を踏む。自分に重要でないことをサボり、重要なことに時間とエネルギーを集中することの気持ちよさ、清々しさの実体験を積み上げる。自分の苦手だと思っていたことも、得意だったことも、全て自分の一部だと受け入れて、愛する。積み重ねていくほどに、罪悪感なく、すがすがしく、自分にとって重要ではないものをサボることができるようになる。自分勝手な人間になっていく。自分勝手な自己中心的人間を非難する人はいるかもしれない。でも、僕は「あなたのために自分を犠牲にしてやりたいことを我慢して生きてますよ」という人間にはなりたくない。非難されても、自分の人生を生きる人間の方がいい。


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