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海外で働けるトキシコロジストという研究者の道 - 3. 昔は日の目を見ない仕事 今は脚光を浴びる仕事

僕はアメリカの製薬会社でトキシコロジストとして働いている日本人研究者です。トキシコロジストは、日本のみで教育を受けた研究者でも世界に飛び出して活躍しやすい仕事なので、興味を持ってくださる方がいればうれしいと思い、トキシコロジストの仕事を紹介しています。今回は、トキシコロジストの重要性がどんどん高まっていることを紹介します。

トキシコロジストの昔と今

一昔前の製薬会社では、トキシコロジストは日の目を見ない冴えない研究者でした。画期的な新薬の種を見つける化学者、その新薬で治療効果を実証する薬理学者(ファーマコロジスト)。それに比べると、トキシコロジストの仕事は、動物実験で毒性を見つけるというネガティブなもので、泥臭く、サイエンスとは呼べない下請け的なものでした。化学者が、数千数万という化学物質から有望な候補を提供し、その中から薬理学者が薬効評価試験で「これは!」という新薬の種を見つけると、トキシコロジストのところに安全性評価の依頼が来ます。化学者・薬理学者が、トキシコロジストに期待するのは、「余計なことはやってくれるな。最低限の安全性を確認して、有望な新薬の研究・開発を先に進めさせてくれ!」です。安全性評価試験で、実験動物に薬を投与して何も起こらなければ、研究・開発が次の段階に進められます。一方、期待に反して毒性所見が出てしまうと、「投与したラットの肝臓に肝細胞壊死の毒性がでちゃいました。これ以上の開発は難しいですかね?」で、プロジェクト失敗となります。トキシコロジストの仕事では、何も起こらないことがよいことで、真のサイエンスとはほど遠いものでした。

しかし、時代は大きく変わりつつあります。今では、トキシコロジストは、サイエンスを駆使し、研究・開発の是非の判断に大きく関与する重要なポストとなりました。初期の探索段階からヒトでの臨床試験への移行、さらには新薬の承認申請という最終段階まで関与するため、幅広い知識と経験が要求されるトキシコロジストは、他部署からも頼られる存在です。

今では新薬候補のコンセプトが始まると同時に、トキシコロジストの仕事もスタートします。今では薬が標的とする分子の役割や組織・細胞分布の情報が容易に入手できるので、実際の安全性評価試験を行う前に、これらの情報をもとに、どのような毒性が起こり得るか? その毒性は患者さんの安全性を考えた時に容認できないものか? あるいは十分コントロールできるものか? などを予測できます。ファーマコロジストはコンセプトのポジティブな部分のみを見がちになるので、トキシコロジストが、薬物が標的とする分子に作用した場合に起こり得るポジティブな面・ネガティブな面の両方を予測して、さらなる研究・開発の是非を考察するのです。

実際の安全性評価試験でのトキシコロジストの役割も大きく変わり、サイエンスを駆使した知識・経験に基づいて評価をしていかない限り、とうてい新薬など世に送り出せない難しい時代になりました。科学の発展とともに、開発される薬の標的分子への作用も強くなり、切れ味が鋭くなっています。安全性評価試験で、そんな切れ味鋭い薬物を動物に投与すれば、何らかの毒性反応が起こるのは当然です。起こった毒性を慎重に評価せず、すべて受け入れていたら、ほとんどの新薬のプロジェクトは潰れてしまいます。見られた毒性は本当に患者さんにリスクをもたらすものか? それとも適切に投与量・投与方法を設定して正しく使えば、安全で患者さんにベネフィットをもたらす薬になるか? 安全性評価試験で見られた毒性は、使用した動物に特異的に起こるものであって、ヒトには起こり得ないものなのか? これらのことを評価して、世に出してはいけない危険な薬物の研究・開発を停止させ、患者さんにとって有用な薬を可能な限り早く届ける判断の担い手となれるのが、トキシコロジストなのです。

研究成果の扱いに関しても大いに変わってきました。以前は、開発中の新薬の安全性評価試験の結果を学会発表したり、論文投稿するなどということは、ほとんど御法度でした。しかし、今では、特にアメリカ・ヨーロッパの製薬業界では、早期の安全性評価試験の結果であっても、たとえ開発中止となった新薬プロジェクトの結果であっても、業界全体のサイエンスの向上に貢献できるなら積極的に公表していこうという動きが強まっています。僕が最近関わった画期的ながん治療薬でも、新薬の認可が下りる前から、僕たちのチームが行った安全性評価試験の結果を積極的に論文にして公表していきました。この結果をオープンにしていこうという姿勢は、関わる研究者のモティベーションを高め、結果的に新薬の承認審査機関とのやり取りもスムーズにし、患者さんにいち早く必要な新薬を届けるためにも、会社の利益のためにも、業界全体のレベルアップのためにも、意味のある取り組みになったと思ってます。

これからもそんなトキシコロジストの地位の向上、才能のあるトキシコロジストの育成に貢献できていけたらうれしいです。


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