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【書き起こし】『ザ・ファブル』『ガチ星』『めんたいぴりり』×江口カン監督

活弁シネマ倶楽部です。
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この書き起こしだけ(それも断片だけ)で判断するのではなく、語り手が語る言葉に耳を傾け、じっくりと楽しんでいただければと思います。
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日本製ガンアクションの新境地『ザ・ファブル』と過去作『ガチ星』『めんたいぴりり』を江口カン監督が語る!!活弁シネマ倶楽部#37

(森直人)始まりました!活弁シネマ倶楽部、この番組のMCを務めます、映画評論家の森直人と申します。どうぞよろしくお願いします。今回のゲストをご紹介したいと思います。『ザ・ファブル』が大ヒット中でございます。江口カン監督です。よろしくお願いします。

(江口カン)よろしくお願いします。

(森直人)今日はオーディエンスが結構たくさんいらっしゃるんですよね。

(江口カン)え、いつものパターンじゃ?

(森直人)いつもはいないです(笑)ちょっと不思議な感じもしますけど。はじめまして。

(江口カン)はじめまして。

(森直人)ようこそおいでいただきまして。

(江口カン)お会いできて光栄でございます。こちらこそ。

(森直人)最初にということで、恒例のなんですが、簡単ですけど江口監督のご紹介をさせていただきます。1967年生まれ福岡出身。映像制作会社KOO-KI代表。ドラクエ、スニッカーズなどの多数のCMを演出。ウェブ・ムービーではベースボールパーティー、トヨタですね。『COME ON! 関門!』などヒット作品を手掛け、国内外で異例の視聴数を獲得。2007年から2009年までカンヌ国際広告祭、カンヌライオンズですね。3年連続受賞。これが銅賞、銀賞、金賞と全部獲ったという。

(江口カン)いや、銅...。

(森直人)銅、銅、金か。

(江口カン)あ、銀も獲ったかな。忘れましたね。(註:2007年銅賞、2008年銅賞、2009年金賞)

(森直人)でも、すごいですよね。そう何回も。そして2013年、これはみなさんご存知だと思いますが、東京オリンピック招致PRの「Tomorrow begins」。ハートマークのようにも見える花びらが空を飛んで、五輪のマークになるあの有名な、そのクリエイティブ・ディレクターを務められて?

(江口カン)そうですね。僕は企画してプレゼンしたぐらいです。ディレクターは別に。

(森直人)演出はまた別に。そしてですね、同じく2013年、テレビ西日本のドラマシリーズ。名作ですね。『めんたいぴりり』が日本民間放送連盟賞優秀賞、ギャラクシー賞などを受賞。さらに劇場映画作品はデビュー作が『ガチ星』。「映画芸術」ベスト10の第10位に選出されまして。今年はこの間に劇場版の『めんたいぴりり』を挟み、『ザ・ファブル』3作目で、今ヒットしておりますということで。ものすごく濃厚な経歴ですね。

(江口カン)そうですね。

(森直人)さっき収録が始まる直前にお話をさせてもらった時に、仕事以外のことをしていないから、話がないですよみたいな。

(江口カン)いや、そうなんですよ。おもしろい話がなくてね。人生においては。

(森直人)そんなことないと思うんですけども。今日は『ザ・ファブル』や『ガチ星』ももちろんなんですけども、江口カン監督の多彩な全貌をできるだけ知りたいなと思いまして。まさにこの方の人生について、お訊きしたい。江口カン入門を目指してお話をいろいろ伺いたいなと思って、どうぞよろしくお願いします。

(江口カン)よろしくお願いします。

(森直人)では、まずなんですけども、生まれも育ちも福岡で今も拠点は福岡なんですよね。KOO-KI。

(江口カン)一応、自宅は福岡にあって。KOO-KIも本体は福岡にありますね。

(森直人)東京にもオフィスとかを構えてみたいな展開はあるってことですか?

(江口カン)なんかね、1、2年前ぐらいから東京のスタッフが増えちゃったので、小さな部屋を1個借りていますね。

(森直人)もともとって、設立ってKOO-KIはいつぐらいなんですか?

(江口カン)もう20年、22年ぐらいになるんじゃないですかね。

(森直人)20年、22年...。

(江口カン)うーん。

(森直人)97年。30歳ぐらいの時ってことですか?

(江口カン)そうですね。30歳ジャストの時ですね。

(森直人)あー、じゃあそれってなんかあれですか?30歳になったからちょっとみたいなところがあった?

(江口カン)いや、全然。その前はフリーで一人でやっていたんですけど、とにかく金が借りれなくてね。

(森直人)あ、フリーランスだと?

(江口カン)そう。日本におけるフリーランスのね、状況は本当に劣悪で。

(森直人)それ僕ですね。僕のことですか(笑)

(江口カン)お金貸してくれないの、銀行が。

(森直人)借りたことないですね。借りるという発想がまずない。

(江口カン)うーん。無借金経営ができるのは素晴らしいんですけど、やっぱり当時自分一人でなんかいろいろやっていて、機材も買いたいのにお金がないみたいなときがあって。で、どうしたらいいかなっていろいろな人も訊いていたら、会社にしたらお金貸してくれるよって。

(森直人)ははははは!会社を名義にしちゃえば。

(江口カン)そうそう。

(森直人)それぐらいのあれだったんですね。

(江口カン)まあ、一人でやるのもさみしくて飽きてきちゃったんで、大学の時の友だちとか後輩とかを集めて。当時ですから、「バンド組もうぜ!」ぐらいのノリで、金借りられるぞって言ってつくったら、全然借りられないんですよ。

(森直人)あ、ダメでした?(笑)

(江口カン)全然甘くて。実績ないから。

(森直人)あーまだ見られるんだ、そこを。

(江口カン)そうそうそうそう。

(森直人)それは江口カンで実績があったとしても、KOO-KIでなかったらない?

(江口カン)全然ダメでしたね。

(森直人)あー...甘くないよな。じゃあKOO-KIで頑張るしかないなみたいな。

(江口カン)もうひたすら耐えに耐えて、お金ないのを耐えに耐えてやっていましたもんね。

(森直人)いきなりおもしろい話が出てきて、おもしろい(笑)。

(江口カン)よくある話です、これは。

(森直人)いやいや、そんなないと思いますよ。大学は九州芸術工科大学で、今は九州大学になっているんですよね。

(江口カン)そうなんですよ。

(森直人)芸術工学部のご出身で、超名門ですけども。そこの元学生が集まってという感じがってことで。

(江口カン)そうですね。芸工大が多かったですね。

(森直人)会社の中に最初から演出だったり、CGであったりとか、いろいろなスペシャルな技術を持ったメンバーが揃っていたという形で、バンドを組んだと。

(江口カン)まあ、そうっちゃそうですけど、やっぱり一緒にいて楽しい人たちを集めたって感じですかねえ。

(森直人)ツレ同士という。

(江口カン)うん。古い話でね、あまり昔話をしたくないんだけど、ちょうどパソコンで映像がやっと本格的に扱えるようになった頃だったんですよね。ネットで大量な重いデータもやっと送れるようになったぐらいだったので。それまでは映像作ろうと思ったら、お金いっぱい持っている大きなプロダクションに入るとかしか方法がなかったんだけど、パソコンのおかげでやっとそういうインディペンデントな独立系の映像会社がつくれるようになったので。僕らだけではなくて、例えばイギリスのトマトという集団とかいるじゃないですか。

(森直人)あーそうですね。

(江口カン)彼らとかもだいたい同じ頃に出てきているんじゃないかな。

(森直人)たしかにそうで、90年代がDIY型の映像制作会社の勃興期で、始まりですよね。

(江口カン)そうそう。

(森直人)それは完全にパソコンというところが大きい?

(江口カン)大きかったですよね。

(森直人)ちなみに、本当にちなみになんですけど、僕ライターを始めたのが97年なんですよ。やっぱり手書きからパソコンへという感じがすごく出てきた頃で。その感じもすごい覚えていますね。

(江口カン)ちゃんとネットで送れるというね。

(森直人)そう、ちょっと経つとそっちがあっという間の主流になっちゃったという。その過渡期にちょうどいい具合にある種ベンチャー的に始められたという。

(江口カン)そうですね。そういう意味では本当にタイミングがよかったというかね。いい波が来たので、乗ったというかね。

(森直人)当時、ということはそういう会社って少なかったでしょ?

(江口カン)まだ全然少なくて、なおかつそういう形だからこそ、福岡でできるんですけど。ネットでいろいろやり取りもできるから。それまでは福岡でそんなイケている映像を作って、全国や世界に発信するなんて会社はまあなかったし、地方からはね。そういう新しい形で仕事ができるようになりそうだなという予感はありましたね。

(森直人)でも、今日本当にそれ重要なポイントだと思っていて。まさに新しい、90年代から始まったもろもろの色々のインディペンデントの新しい波というところに、KOO-KIという会社も乗っていたんだろうなというか。ちょっと想像としてもあったんですけど、江口さんは大学の時というのはどういったことを勉強されていたんですか?

(江口カン)大学は勉強というか、すごくおもしろい大学だったんですよね。本当に大学に8年いる伝説の人とかね。

(森直人)ああ、ご自身ではなく?

(江口カン)僕じゃなくてね。僕はもう普通の学生なんだけど。

(森直人)8年。いれるだけいたみたいな。

(江口カン)いれるだけいた人とか、まだ下駄履いている人とかもいましたしね。とにかく芸術家崩れみたいな。芸大ではないんですよ、芸工大って。芸術と工学という両方やらなければいけなかったので、芸大に行けなかった芸大崩れの人とかもいっぱいいたし。その分、なんて言うかな。コンプレックスも強くて、それがバネになって面白いみたいな感じで。

(森直人)あ、そうですか。

(江口カン)授業は本当に出ていなかったんだけど、なんやかんや先輩後輩、同級生他学科みたいなものも全部ひっくるめて、面白いこと、表現活動をやるっていう。それが面白くてしょうがなくて。

(森直人)じゃあもう大学時代からいろいろなことをやられていたという感じ?

(江口カン)そうそう。で、それでなんかね、学校の外にどんどん出していっていたので。映像を作ってお金もらえるようになっていたんですよ。学生時代から。

(森直人)あ、そうなんだ。

(江口カン)そう。なもんで、就職せず、このまま食えるなと思って、フリー時代が始まるんですけど。

(森直人)じゃあ大学卒業して、即フリーの映像ディレクターになったってこと。

(江口カン)そうそう。

(森直人)十分面白いじゃないですか(笑)

(江口カン)面白いかなこれ。よくある話だなという(笑)

(森直人)全然よくある話じゃない(笑)

(江口カン)ああ、そうですか。

(森直人)じゃあフリーの時と、KOO-KIの最初の頃というのは広告映像を主に作られていたということなんですか?

(江口カン)まあ広告のみならず、当時やっぱりやっていてすごく楽しかったのは、MTVの番組と番組の間にちょっとしたバンパー映像とかっていうMTVのロゴをちょっといじったりするような映像ってあるじゃないですか。

(森直人)ありますね。うん。

(江口カン)ああいうのがすごく楽しかったですね。

(森直人)そういうのをやられていたんですね。番組の中で。

(江口カン)もちろん、広告映像もやっていたし。本当に今でもそうなんだけど、僕らなんかは自分たちでジャンルをあえてそんなに決めず、ありとあらゆる映像を「面白いの作りまっせ」っていうのが僕らのスタイルですね。

(森直人)頼まれて、とりあえずなんでもやりまっせ的な感じではあった?

(江口カン)それはちょっと違う。ジャンルは問わないけど、やっぱりそうだなあ...面白くなるかどうかというのはすごく重要でしたかね。

(森直人)やってもしょうがないなと思ったものは、いやちょっとうちは...という感じですか?

(江口カン)そうね、そこの判断はすごく難しい。意味のないものはないと思うんだけど、これはどうやったって僕らには向いていませんねみたいなのがやっぱりあるので。そんなんはやらなかったですけど。

(森直人)それって、今の江口さんご自身の仕事のスタンスは続いているということですよね。

(江口カン)あまりそこは変わっていないでしょうね。特に意識の部分がね。

(森直人)で、97年にKOO-KIが始まって、2007年、2008年、2009年はカンヌライオンズで賞を獲られているわけでしょ。

(江口カン)はい。

(森直人)あのNIKEのやつですよね、最初の2年は。NIKEのCosplayというの。秋葉原に戦隊ヒーローたちがわーって来る。次は「escort」。2009年に金賞を獲った相模ゴムの、「ロングディスタンス」。名作ですよね。

(江口カン)「LOVE DISTANCE」ですね。

(森直人)ごめんなさい。「LOVE DISTANCE」。それでも愛に距離を。コンドームで有名な相模ゴムって会社なんですけど。神奈川?

(江口カン)えっと、会社どこだったかな。本社に行ったことがないんですけど。

(森直人)行かないままで。コンドームのね、メーカーですよね。ショートだけど一応ラブ・ストーリーですよね。感動的な。二人が走ってきて抱き合う。これ、音楽って?

(江口カン)音楽ね、坂本龍一さんなんですよね。

(森直人)ピアノの。

(江口カン)これもたまたまね、プロデューサーが坂本さんと仲良くってほどではないと思うんだけど、なんか仲良くしていて。頼んでみたら、これだったら使っていいよって言って。

(森直人)まじっすか(笑)

(江口カン)ほんとですよね。ラッキーですよね。本当に。

(森直人)そうですね。この3年ってやっぱり盛り上がっていたんじゃないですか?

(江口カン)うん。そのときもやっぱり、ある波があって。それは本当にYouTubeというものが出てきてね。それまで、作った映像の出し口って映画館とかテレビとかぐらいですよ、本当に。それがまあ、YouTubeというものが出てきたぞと。これは世界中の人に観てもらえるぞと。表現もまあやっぱりね、テレビよりは全然制約がなくて自由だし。今はだいぶいろいろYouTubeでもあるんでしょうけど、当時は本当に自由だったので。この中でおもしろいことができるんじゃないかって、これまた予感があって。その波に乗れたという。

(森直人)毎回始まりのところの波に乗れているというのがすごいですよね。

(江口カン)そうそう。やっぱり、最初にやったもん勝ちというのはいつも思っていて。波に乗れなきゃなので。ちなみに僕は高校のときにサーフィンやってたんですね。

(森直人)サーファーの感じなんですよね。これね、服見たらわりとどこのトライブ、カースト出身かって分かるんですよ。サーファーですよね。

(江口カン)そうなんですよ。まあまあ、ちょっとしかやってなかったですけど、その頃のカルチャーとかもすごい好きで。

(森直人)なるほどね。じゃあ、ルーツ的には西海岸的な方向が?

(江口カン)うん、大好きですねー。西海岸と言えば、実はサーフィンとコンピューターなわけですよ。

(森直人)まさに、そう。これ、めっちゃ重要な話じゃないですか。

(江口カン)はい。思い出してきました。

(森直人)そっかあ、じゃあカルフォルニア・カルチャーというのがサーフィンとコンピューター、インターネット、ITというこの二本柱がそのまま江口さんの中に入るんだ。

(江口カン)やっぱり僕大好きでしたね。

(森直人)それであれか。芸工大に行ったというのもある?両方できる感じがしたみたいなところもあります?

(江口カン)いや、大学を選んだときはそこまでの深い話はあまり知らなかったんだけれども、でもサーフィンが好きで。できれば、楽に生きていきたいなと思って。

(森直人)波に乗ってね(笑)

(江口カン)そうそうそう。

(森直人)レイドバックしてっていう。

(江口カン)山登るのと違ってね、波に乗るのって単に流されているだけなんで。なんか流されていきたいなって思ったときに、たまたまわりとそういう美術とかは得意だったんで。得意な方を伸ばしたら、楽に生きれそうかなと思って。そしたら、地獄の始まりでしたね(笑)

(森直人)すごいよく分かります。でも、このカンヌライオンズの3年。インターネットで見せるということから始まったけども、カンヌライオンズって結構その上では続いてきて。広告業界の映像最高峰という意味では、もっと歴史があるじゃないですか。そこにはひゅっと乗っかることができたという感じなんですか?

(江口カン)そうです、そうです。テレビしかなかったら、たぶん僕獲れてないなって思います。

(森直人)NIKEとかってどういう風に依頼があったわけですか?

(江口カン)代理店の僕と同じようにくすぶっていて、何かでもおもしろいものをやりたいなという人たちがいて、そこから声がかかったんですけど。ちょうどそのときは波長とモチベーションもものすごい合ったので、本当にもうずーっと企画の話をしていましたよね。

(森直人)あ、そうなんだ。

(江口カン)ずーっと企画の話ししてた。

(森直人)その中から戦隊ヒーローがいいんじゃないかというのが出てきて。

(江口カン)そうですね。

(森直人)サーファー出身の人が作るにしてはちょっとね、意外な方向でもありますよね。

(江口カン)あーそうですか。だいぶ西海岸の香りが...。

(森直人)そう?(笑)

(江口カン)ギークな香りがするなって気はしますけどね。

(森直人)そうか。じゃあ、相模ゴムはどういう?

(江口カン)相模ゴムも同じスタッフなんですよ。3年間、全部撮ったのって同じチームで。プロデューサー、さっき言った坂本さんと仲良いやつというのは、とにかくいろいろな人と仲良くなるのが上手くて。相模ゴムの人ともすごい仲良くて、前々からクラブイベントでコンドーム配ってみたいなことをやっていたみたいで。という流れから始まってはいるんですけどね。

(森直人)じゃあ、不思議な波が来たなみたいな感じなんですね。

(江口カン)そうそうそう。

(森直人)だから、この3つは今でもぶっちゃけYouTubeで観れる3本なんですけども、どれもヒューマンでユーモラスという感じ。あったかみがすごくあって。CMってもっと、例えば90年代始めからスパイク・ジョーンズとかいろいろいるじゃないですか。わりとユーモアというのは、みんなデフォルトで持っているけど、スタイリッシュであったりもするけど、江口さんが作られるものってトーンアンドマナーで言うと、あったかみというのが結構人肌な感じというのが大きいんじゃないかなという。

(江口カン)あーそうですか。

(森直人)思いました。

(江口カン)まあなんか、人柄が出ちゃうのかもしれないですね(笑)

(森直人)それで2010年から2012年はクリオ賞で、これはアメリカの。それこそ、カンヌライオンズに並ぶ広告では本当にトップですけど、この審査員をやられていたんですね。

(江口カン)これもでもね、世代というか時代ですけど、ネット審査だったんですよ。行っていないのよ、だから。

(森直人)行っていないんですか!?

(江口カン)行っていない。

(森直人)今っぽいな(笑)

(江口カン)今っぽい。既にもうそんなのが始まっていた時代で。ちょうど。

(森直人)じゃあ、スカイプとかでみたいな感じなんですか?

(江口カン)いや、もうネット上にアーカイブされていて。その審査すべき作品が。それ、でもものすごい量があって、それを観ながら、ポチポチ付けていくっていう。だから、審査員やりませんか?って来たときには、「うわーアメリカ行けるな」って思って喜んだんだけど、全然別に会社や自宅の時間があるときにひたすら観てポチポチって。

(森直人)何本くらい観るんですか?

(江口カン)いや、めちゃくちゃ多かったと思いますよ。300本ぐらいはあると思う。間違いなく。

(森直人)それを期間内に見て、推すものを決めるみたいな。地味ーな。

(江口カン)ひまひまにやる内職みたいなので。

(森直人)時間の隙間にやるようなノリですよね。

(江口カン)そうそうそう。

(森直人)まだ200本あるなみたいな(笑)

(江口カン)もう本当ね、苦痛だった。

(森直人)おもしろいですね。文字情報だけ見たら、めちゃめちゃすげーなって。

(江口カン)すげーなって感じでしょ。地味ですよー。

(森直人)おもしろいな。

(江口カン)カンヌも僕、行ってないですもんね。1回も行っていなくて。お祭り騒ぎが苦手なので。

(森直人)そうなんですか(笑)

(江口カン)はい。その場所を想像しただけでも、おえーってなっちゃうから。

(森直人)映画監督なのに、人混みが苦手。

(江口カン)ほんとだめなんだよね。別に賞獲れただけでいいやって。

(森直人)じゃあ他の方々が受け取りに行かれたとか、そういう感じだったんですか?

(江口カン)同じチームの代理店の人とか、プロデューサーとかは行っていますよ。彼らはお祭り騒ぎ大好きなので。

(森直人)大好きな人たちが行ってという。

(江口カン)僕の分まで騒いで来いよって。

(森直人)おもしろいじゃないですか(笑)変わってますね。ちなみに、その頃って広告映像では頂点極められた頃だと思うんですけど、この番組に出ていただいた『生きているだけで、愛。』とか『太陽の塔』の関根光才さんも、ちょうど似た頃にそういった舞台でよく出られたと思うんですけども、面識とかは?

(江口カン)会ったことはないんですけど、しょっちゅうディレクター候補としても、関根くんと一緒にあがるので。ほんとやだなって思っていました(笑)

(森直人)会ったことないのに、やだなとか言わないでください(笑)でもそうですよね。作風とかは全然違うんだけども、お二人の名前が並んでいるのをよく見たと思うんですよね。その頃、実は地味だった審査を終えられた頃でKOO-KIを設立されて、15年ぐらいだと思うんですけども。ここで、名作『めんたいぴりり』を手がけられる。所謂長編ドラマと言いますか、がっつりストーリーテリングをやろうという企画で、これ最初なんですか?

(江口カン)そうですね。本当に長編はそれが初めてですね。

(森直人)これってどうやって始まったものなんですか?

(江口カン)これはまあなんか、地方というか、福岡の話らしい話なんですけど。もともと明太子を初めて作ったふくやって会社の話なんだけど。

(森直人)はい。川原俊夫さん。

(江口カン)川原俊夫さんの。そのお孫さんと僕は歳が近くて。なおかつ、その人自身、自分でも芝居を演出したりするんですよ。脚本書いて、演出したりして。

(森直人)あ、そうなんだ。

(江口カン)で、そういう人なので縁があって。たまに飲んだりしていたんですよね。その中で、お孫さんがもうすぐじいさんの生誕100年なんだという話から、おじいさんの話をし始めたら、やっぱりすごくおもしろくて。当時の戦争前後の人だから、そこらへんの体験も含めて、めちゃめちゃおもしろくて。そのときにこれは僕に対して、「おじいさんをモチーフに何かを作れ」って言っているんだと勘違いをして。企画書を書いて、持って行ったんですよ。こういうことだよねって思って。全然勘違いだったんだけど、これはおもしろいからやりましょうってことになって。

(森直人)じゃあ、オファーじゃないんだ。

(江口カン)じゃない。勘違い(笑)

(森直人)波を起こしちゃったんだ、自分で。

(江口カン)あー、そうとも言うね。今まで小さい波に乗っていたけど。波が来たと思ったら(笑)

(森直人)思ったら、違ったけど、ま、いっかみたいな。でもね、そういう風に見えないですよね。今完成したものを観ると、テレビ西日本開局55周年記念!みたいな感じで出ている。

(江口カン)それはテレビ西日本開局何周年みたいなのと、タイミングが合ったのでテレビ局的にもそれに乗れたということですね。

(森直人)なるほど。全部それは合致したという。

(江口カン)そういう意味では波が来てたという。

(森直人)それ、今までストーリーテリングというものをやられていなかったのに、企画書を書かれたというのはやりたい、あるいはできるっていう予感みたいなものが監督の中であったってことですか?

(江口カン)こういうものにしたいというのは瞬間すぐ浮かびましたね。それはね。

(森直人)それって今最終的にあがってきたものと、イメージは同じ?

(江口カン)そうそう。せっかくああいう戦中、戦後激動の時代の話ではあるので、思いっきり昭和の話なので。それはそれでやりたいことの1つだったので。

(森直人)そうなんですね。

(江口カン)で、ホームコメディみたいなね。義理人情みたいなものは。

(森直人)それは前からやりたかったんですね。

(江口カン)それはいくつかいろいろやりたいことがある中の、1つだったんです。本当に。

(森直人)長年。いつぐらいからですか?

(江口カン)いつぐらいからかなあ...。どれぐらいかなあ。でも、40になってぐらいからだと思います。

(森直人)じゃあわりに最近。

(江口カン)そうです、そうです。

(森直人)じゃあ映像を作られていく中で、こういうものをやりたいっていう欲望が湧いてきたラインの1つであったみたいな。

(江口カン)そうそう。

(森直人)これね、僕もちろん本放送というのは観ていないんですけど、遅ればせながら観て、第一部というのは実際のリアルタイムの放送では1時間。

(江口カン)はい。

(森直人)第一部ってどういう形で放送されたんですか?

(江口カン)なんかね、イメージとしては第一部はエピソード0だったんですよね。

(森直人)そうですよね。

(江口カン)そうそうそう。第二部というのが15分×16話で、日本でたぶん初めてNHK以外で、しかも地方で朝ドラをやったんですよね。

(森直人)たしかにそうですよね。15分のレギュラーフォーマットで始まったという。

(江口カン)僕、これ絶対に朝ドラでやりたいなと思っていて。テレビ局ってやっぱり、未だにゴールデン神話があって。せっかくこういうものなので、ゴールデンでやろう、ゴールデンやろうって言って、局内は盛り上がるんだけど。ゴールデンで、例えば1時間とか1発流したらタッチポイントが少ないというか。ビデオに録るという方法はあるにしても、接触回数が少なくてちょっと流れちゃうなと思ったので。短く小分けにして、とにかく毎朝同じ時間帯にやる。これが絶対にいいなと思って。その仕組みからちょっと提案をしたんですよね。

(森直人)じゃあ最初の企画書を書かれたときに、朝ドラ的なフォーマットでやりたいってことはホームコメディというコンセプトと一緒に出されたということですか?

(江口カン)企画書にあったかどうかはちょっと覚えてないですけども、そこはひたすら僕はずっと主張し続けて。

(森直人)頭の中にはもうあったんですね。

(江口カン)もうあって。

(森直人)ということは、ホームコメディというイメージって朝ドラもあったってことじゃないですか。監督の中で。

(江口カン)なんか人と違うことをすごくいつでもやりたい方なので、NHK以外ではやってないなというのはちょっとありましたね。

(森直人)なるほどね。なんかね、それもおもしろいですよ。ずっとわりと先端的なところの波の乗ってきた方が、いきなりすごく古典的なフォーマットというところにぶわっと。ホームコメディということもそうだと思うんですけど、人情喜劇ですよね。旋回してきたというところ、すごくおもしろいなと思っていて。僕、第一部が昭和50年に主人公夫婦、博多華丸さんと富田靖子さんが釜山港にやって来るところから始まるじゃないですか。あの1時間が衝撃でしたね。スケール。明太子っていうのがそもそも、韓国、朝鮮にルーツがあって。主人公のご夫妻は釜山産まれの日本人であるという言い方をする。

(江口カン)そうそう。

(森直人)昭和初期の釜山。日本人の青春、中学生ですね。お二人は。これがめちゃめちゃみずみずしい。戦争中、満州からの引き上げも描かれるし、沖縄での戦場も描かれる。いきなり、あの1時間を作っちゃうというのは、ちょっとどういうことなんだと(笑)エピソード0はすごいなと思って。

(江口カン)そうですね。そういう意味で言うと、企画書的にはどっちかって言うと、その後の第二部のホームコメディが企画だったんですよ。ところがまあ、そのあのドラマのちょっと前ぐらいからせっかく福岡拠点にやっているので、福岡に関連することをなんか自主制作的にやりたいなってずっと思い始めて。それこそ、韓国との国境だなって思って。本当に自主的に自主勉強的に釜山とか、あいだの対馬とかにいろいろ調べに行っていたんですよ。

(森直人)あ、そうなんですね。

(江口カン)そのタイミングでこの話をやることになったので、しかも創業者は戦中の日本統治下の釜山で生まれ育って。戦争があって終わって、福岡に来てってなので。本当はホームコメディ、そこだけでよかったんだけど、どうしても釜山時代が描きたくなったし。調べれば調べるほど、モデルになった人たちは釜山にいたからこそ、明太子を作ったんですよね。もともと、釜山のキムチみたいなものの一種だったので、それをアレンジして作り始めたのが明太子だったので。どうしてもやりたくなって。ここもかなり無理を言って、どうしてもそのエピソード0をやりたいって。

(森直人)うん。急に予算増えちゃいますけどね。そこも押し切った感じ?

(江口カン)だいぶいろいろプロデューサーには無理をさせてしまったと思いますけどもね。

(森直人)でも、実際に撮られたのもエピソード0からってことでしょ?

(江口カン)えー...順番的にはそう...ですね。そうですね。

(森直人)あのエピソード0は東アジアの歴史性みたいなものも全体でがっつり入れられて、先ほど朝ドラっておっしゃいましたけども、朝ドラがやっていないことでもありますよね。このアングルで歴史を掘るというのは。それはもしかしたら、九州だからできることかもしれないですよね。

(江口カン)そうですよね。やっぱり博多港って戦争が終わってから、本当に大量の人たちが帰ってきた入り口だったりするんでね。そういう意味では福岡に住んでいるということが、ドラマを作る僕の中での理由の1つではありますよね。

(森直人)それで、エピソード0の後、戦争直後のふくのやを舞台に。ふくやがふくのやになっているんですけれども、レギュラーフォーマット。これは本当に古き良き人情喜劇の世界で、『ザ・ファブル』が松竹さんじゃないですか。

(江口カン)はい。

(森直人)すごい『めんたいぴりり』は松竹喜劇の匂いがしますよね。それこそ、『男はつらいよ』とか。そういうのお好きなんです?

(江口カン)寅さんは全部を観ているわけじゃないですけど、観る度に渥美さんってほんとすごいなって思うんですよね。

(森直人)しかも、年々染みる感じがありますよね。

(江口カン)うん。1番すごいのは顔なんだけど。お芝居そんなに...こうなんて言うのかな。ちょっとみなさん観てみてほしいんだけど、ちょっとした仕草で本当に笑わせるし、泣かせるし。そんなに表情変わらないのにね。なんだろうと思って、いつも観るんだけど、分からないんですけど。

(森直人)博多華丸さんをご起用されたというのは、やっぱり芸人さんでやりたいという気持ちはあったってことですか?

(江口カン)当然そのメインキャストとスタッフは博多で揃えようとは思っていたんですけど、富田さんはわりと最初から満場一致で富田さんにお願いしたいよねって言っていたんですけど。主役を誰にするか意外と悩んだというか。いや、普通に役者さんでいこうと思っていたんですけど、そうするとじゃあ妻夫木さんかなとかね。

(森直人)ああ!うんうん。

(江口カン)でもコメディにしたいなと思っていて、妻夫木さんは素晴らしい俳優さんだけど、なんかちょっとイメージが僕の中では湧かなくて。本当におりてきたというか、忘れてたわ!って思って、華丸さんいたわ!って思って。ただ、本人はその時点ではドラマとかやったことないし、その主人公のモデルになった人って博多では偉人なんですよ。

(森直人)ああ、地元の名士。

(江口カン)地元の。みんな大好きなので、背負えないって言って、最初はちょっと嫌がっていたんですけどね。居酒屋でお酒をたくさん飲ませるという。

(森直人)ははははは!華丸さんとは以前からもうお知り合いで?

(江口カン)いえいえ、僕それが初めてで。

(森直人)初めてなんですね。まあじゃあテレビで観て。

(江口カン)そうですね。

(森直人)本当に博多を象徴するキャラクターという意味で言うと、むしろ全国的にもイメージがあるというか。

(江口カン)そうですよね。

(森直人)素晴らしいですよね。『めんたいぴりり』観ちゃったら、華丸さん以外のキャストで考えられないぐらいの。

(江口カン)そうそう、僕ももう全くそうですね。

(森直人)これが本当にすごく人気になって、評価されて。シーズン2にもいったし、劇場版にもなったりした。劇場版も拝見したんですけど、あれってあらためて撮り下ろしたんですか?

(江口カン)そうですね。

(森直人)この『めんたいぴりり』をやられることで、監督の意識ってかなり変わりました?

(江口カン)うーん...まあ、変わった部分もあるかもしれないけど...どうだろう。あまり変わっていないかもしれないですね。

(森直人)変わったとしたらどこですか?変わったかもしれないなあって。でも、確実に新しい扉は開けたわけでしょ?

(江口カン)うーん...。

(森直人)今まで監督が撮られた、作られた映像を観る層もかなり変わってきたんじゃないですか?

(江口カン)でも、別にCMをやっているときからできるだけたくさんの観ている人たちをやっぱり笑わせたいとか、泣かせたいとか、あるいはめっちゃ気分良くさせたいってことばっかり考えていたので。あまり変わらないですかね。あの...僕の仕事は嗜好品を作っているんだなって思っていて、というか日常の気分があるじゃないですか。観ている人たちも。

(森直人)はい。

(江口カン)日常の気分からいかにちょっと特別な気分にさせられるかということだけ、考えているので。

(森直人)なるほど、なるほど。

(江口カン)そこの部分は本当に変わらないですよね。今でもね。

(森直人)じゃあその生活者の日常にある楽しみ、それがエンタテインメントである。

(江口カン)いや、日常の普通の日々暮らしているときって、まあやっぱりつまらないじゃないですか。学校へ行ったり、会社行ったりということがそれほど楽しくない中で、僕が作ったものをテレビでも、たまたまでもいいから観てもらったり、映画館へ行って観てもらうことで、日常から意識がボーンって。

(森直人)そっか、むしろ飛ぶということが。

(江口カン)そうそうそう。

(森直人)一方で結構日常密着型のものを描かれたりもしますよね。

(江口カン)それは単に世界感の話だけなので、別にSFだって機会があれば撮りたいですし、全然。

(森直人)あーそうなんだ。なるほどね。まだまだいろいろあるなって感じ。

(江口カン)そうそう。題材がそれっていうだけの話で。

(森直人)そして、『ガチ星』なんですけど。これが長編映画デビュー作。あのー...。

(江口カン)劇場のね。

(森直人)はい。この活弁シネマ倶楽部のスタッフのあそこにいる菊地さん。彼が『ガチ星』すっごいよかったって。そこから僕観たんですよね。めっちゃ良かった(笑)

(江口カン)ありがとうございます。

(森直人)これも、もともとテレビ西日本のドラマとして撮られていますよね。全四話。

(江口カン)これもね、結構いろいろあって。僕は自転車が好きなんですけど、そもそもが。

(森直人)サーファー+自転車?

(江口カン)最近はね。

(森直人)超アクティブですよね。自転車が好き。

(江口カン)自転車が好きで。自転車が好きってだけで、たまたまテレビで競輪学校のドキュメンタリーをやっていたので、うわ!自転車や!って思って観たら、本当にちょうどそのときソフトバンクホークスを辞めた選手が。でも、そのときはその人は20代後半だったと思うんだけど、競輪学校に行っているという。

(森直人)ああ、まさに主人公のモデルの方がいた。

(江口カン)うん。やっぱりね、そのプロスポーツ選手って厳しい世界だし、やっぱりいろんな天才たちが集まっている場所ですから。やっぱりそこで限界を感じる人たちっていう方が多いわけじゃないですか。

(森直人)うんうん。

(江口カン)その人たちって、一体どうなるんだろう...っていうのは思っていて、ずっと。飲食店をやって、上手くいく人もいるけど、やっぱりそもそもは自分の肉体で稼ごうと思ってずーっとちっちゃい頃からやってきるわけだから。なかなかそういうもの上手くいかない人の方が多い中で、競輪学校はその年齢制限を撤廃しているんですよ。年齢制限をなしにしているものだから、いろいろなスポーツで1回挫折した人たちが...。

(森直人)受け皿みたいに。

(江口カン)そうそう、もう1回己の肉体でなんとか仕事をやろうと思ったときに、行く場所の1つなんですよね。

(森直人)なるほど。

(江口カン)ところが、他の学生たちはみんなやっぱり10代で。彼らには挫折はないわけですよ、10代の。もう、夢しかない。夢と野望しかないわけですよ。その中で20代後半の野球辞めた人がすごく苦しそうで、めちゃくちゃ感動しちゃって。で、どうしてもここを題材にしたものがやりたいなと思って、企画書書いて、とにかくいろんな人に会う度にこういうのがやりたいんだと言ってしていたと。

(森直人)それいつ頃ですか?

(江口カン)それが...今からすると6年前、7年前とかですかね。6年前ぐらいかなあ...。

(森直人)え、じゃあ『めんたいぴりり』と同じ...?え?どれぐらい?

(江口カン)まあ、同じぐらいかなあ...そうですね。

(森直人)同じ感じですよね。

(江口カン)そうですね。

(森直人)ちょうどそうですよね。

(江口カン)とにかくなんかいっぱい持っていないと、どれがそれこそいい波に乗れるか分からないので。1個じゃなくていっぱい持っていて、合う人に合わせてそれをこうこれを出そうかなとか、いろいろあるんですけど。

(森直人)でも、ちょうどその頃、6、7年前というのが何かストーリーのあるものをちゃんと語りたいという内在的なものがうっと出てきた時って言えるかもしれないですよね。

(江口カン)1つはまあね、CMはとにかく数たくさんやってきたんで、なんとく技術的には...知識と技術はだいぶ溜まってきたなというのもあったんで。今だったら、作りたいもの形にできるなっていうのはあったと思いますよね。

(森直人)つまり、2012年までの広告映像があって、セカンド・シーズン、セカンド・ステージというようなイメージが自然に湧いてきたという。

(江口カン)そうそうそう。

(森直人)主人公は安部賢一さん扮する濱島という。実際その映画の中でも、福岡ソフトバンクホークスから外されたって本当にそのままの。

(江口カン)そうですね。

(森直人)ただ40歳...。

(江口カン)そうそうそう(笑)

(森直人)なんでその(笑)実際、40歳でもう1回やる人っているんですか?

(江口カン)まあ、どうですかね。現役選手で60歳っているんですよ。

(森直人)あーそうなんだ...。

(江口カン)うん。そこから考えると、まあもちろんね、じゃあ40歳から競輪学校入る人っていうのは今はいないと思うけど、全くありえないわけではないっていうリアリティラインぎりぎりなんとかいけるかなって。でも、映画なんでそこはちょっとね、やっぱりぎりぎり攻めたいじゃないですか。

(森直人)さっきの日常の話にちょっと通じるなって思うんですよね。日常の回路に通じているんだけども、ちょっと違うところまで上げたいというような感じの年齢設定ですもんね。

(江口カン)そうそうそう。そこはなんだろう、映画なんでね。多少のファンタジーがないと、つまらないから。

(森直人)ってことですよね。日常+やっぱりファンタジーが必要だっていう。で、負け犬がもう1回奮起する話。これは言ったら、ある種王道なラインなので。『ロッキー』だったり、『レスラー』だったり、自転車で言うと、『ヤング・ゼネレーション』っていうのも。

(江口カン)ああ、はい。

(森直人)今はそうですよね。もっと若いけど。うん。あと、この番組に登場していただいた方で言うと、武正晴監督と足立紳さんの『百円の恋』とか。

(江口カン)はいはい。

(森直人)ああいったもののメンタリティに近いものだと思うんですけども、僕、本当にすごいよかったんですけど、一方で「ん?」と思ったのが、これまでの華々しい経歴とダメ男、どん底まで落ちたダメ男の再起、奮起、どう重なっているのかなって思ったんですよね。

(江口カン)うん...まあ分からない。僕の人生が上手くいっているかどうかなんて、僕にすらよく分からなくて。だけど、いまだにやっぱりものすごいこう...例えば映像を作る上での歯がゆい思いとか、たっくさんあるわけですよ。なんで俺これできないんだろうというようなことは、いっぱいあるので。それはもう決して順風満帆...なんだっけ、なんて言うんだっけ。

(森直人)まあ、順風満帆ではないですよね。

(江口カン)ですよね。

(森直人)というご意識なんですか。ご自身も。

(江口カン)うーん...さらに言うと、うーん...例えば映画の世界で言うと、映画監督のデビューなんてね、若い人はめちゃくちゃ若いわけじゃないですか。

(森直人)たしかに。

(江口カン)うん。あと、いじわるなこと言う人って結構いて、例えば僕が40代半ばぐらいになった時に「今から映画ってだいぶ厳しいよ、急がないと」みたいなことを言う人もやっぱりいるわけですよ。

(森直人)周りにですか?

(江口カン)映画関係とかプロデューサーとかで。

(森直人)あ、そうなんだ...。

(江口カン)煽られると、思ってもなかったのに焦っちゃったりするじゃないですか。え、俺ちょっと手遅れになっているのかなみたいな。そういう焦りとかも、やっぱり感じちゃったりするわけですよね。

(森直人)あ、そうなんだ。それがじゃあ、ちょうどさっきおっしゃった6、7年前の話なんだ。

(江口カン)そうそうそう。

(森直人)じゃあ、重なっている、40になった。

(江口カン)そうです、そうです。

(森直人)はー...。

(江口カン)なおかつテーマとしては、僕はすごい純粋に感動して。これは本当にやりたいなと思ったけど、競輪というモチーフが今そんなに人気がなかったり、原作がなかったりするからなかなかどこもそれをやってくれないわけですよ。どこに持って行ってもなかなか。

(森直人)うんうんうん。

(江口カン)上手くいきそうになったところも、なかなか意見が合わなくて僕の方からお断りしたりもしましたし。だから、やっぱりなかなかテーマ的にも難しくて、こうやってお蔵入りしていくんだなあ...なんて思って、ちょっと諦めかけていたんだけども、それでも周りの人たちに「もうさっ、ドラマでいいからやれよ」って。

(森直人)うんうん。

(江口カン)で、いろいろ準備してくれる人たちがいてて、おかげで僕自身は諦めかけていたんだけれども、まずドラマとしてなんとか実現したという。濱島そのものみたいな。1回落ちに落ちたんだけど、復活したみたいな。

(森直人)うんうん。それで、そのドラマ版と映画は再編集したものってことでいいんですか?

(江口カン)そうです、そうです。とにかくドラマにして、形にしようよという風に、それでなんとなくみんな一丸として盛り上がって。とにかく形にしてみたら、やっぱりね、映像って不思議でおもしろいなと思うのが。文字だけだった企画書や脚本から映像になると、みんなそういうことだったんだ!って。これってやっぱりおもしろいよね!ってことになるわけですよ。そうすると、そもそも映画でやりたかったので、やっぱり映画館でかけてみたいなって。周りの反応を見て、すごいそれが確信に変わってきて。これまた「どうしてもこれをやりたいんだ」ってプロデューサー泣かせな。どうしてもこれを再編集して、音も全部やり直して、なんとか劇場で。そもそもね、原作もないし、有名な役者さんも出てないし。競輪ってモチーフだしから始まったんだけど、いけるところまでいってみたいよねってところでちょっと劇場をあたり始めたと。

(森直人)それってもう完全にご自身で、ご自分で波を起こしているという方向ですよね。自主映画じゃないですか。作り方としては。

(江口カン)そうです、そうです。自主映画ですね。これはね。

(森直人)自主映画を、映画を撮りたいというのは監督ご自身の中に、どこからかの段階で湧いてきたということなんですか?

(江口カン)うん、よく訊かれるんですけど、そもそもはあまりなくて。そもそも僕が映像に入ったのは音楽のミュージックビデオとかがすごい出てきて盛り上がっていたときだったんで。映画よりも、そういうものとかCMの方がむしろキラキラしていたので。そもそもはなかったし、映画の世界でちゃんと監督として何か自分の作りたいものを作るという、そこの段取りとかステップは僕には見えなかったんですよ。

(森直人)なるほど。うん。

(江口カン)助監督の下の方から入って、めちゃくちゃ現場で鍛え上げられて、それでもう這い上がっていった先なのかもよく分からなくて。僕ほら、流されていきたいタイプなんで。

(森直人)(笑)

(江口カン)それもういやだなーって。

(森直人)山を登るのは嫌だって(笑)

(江口カン)そうそう、山は俺の場所じゃないなって思って。

(森直人)海に行くぞって(笑)

(江口カン)そうそうそうそう。

(森直人)(笑)

(江口カン)なのでね、あまり想像できなかったんですよ。ただ、作りたいものができてきた。どっちかって言うと。

(森直人)と、言いつつなんですけど、ネット情報。高校時代に『ロッキー』のパロディ映画撮られているんでしょ(笑)

(江口カン)そうそうそう(笑)

(森直人)これはなんなんですか?

(江口カン)あのねー、これは映像の世界に行くきっかけにはなったんですけど。僕、高校のときにサーフィンやってたじゃないですか。

(森直人)あ、早いですね。

(江口カン)そうそう。部活やってなかったんですよ、だから。早く帰って、海に行きたかったので。

(森直人)そうなんだ。

(江口カン)うん。3年のときに学園祭があるっていうんで、クラスで何かやらないといけないときに高校3年生の学園祭なんで、みんなもう部活で忙しいわけですよ。

(森直人)うんうん。

(江口カン)そしたら帰宅部がやれってことになって、いやいや俺ただ帰宅しているだけじゃないしって思ったんだけど。帰宅部がやれってことになって、何やる?ってときにちょうどほんとタイミング的には世の中に家庭用のビデオカメラが出始めた頃で。

(森直人)たしかに。

(江口カン)高いんですよね。うちにはなかったんだけど、金持ちの友だちがいて。

(森直人)80年代の半ばぐらいのことですよね。

(江口カン)半ばぐらい。そいつがカメラ買ったからさ、映画作ろうよって言い始めて。なんかでも、僕そのときから「俺、監督やるわ」みたいな感じでやっていましたね。

(森直人)それは自然な流れで?

(江口カン)なんか自然な流れで。

(森直人)『ロッキー』をやろうって言ったのは江口さんなんですか?

(江口カン)たぶんそうやと思います。

(森直人)じゃあやっぱ好きだったんだ。

(江口カン)まあ、映画自体はね、観るのは好きでしたね。

(森直人)あと、やっぱりああいうドラマツルギーというのがどっか自分の中で燃えるものがあるという。

(江口カン)まあ、『ロッキー』は好きでしたね。

(森直人)世代的にはでもね、全然リアルタイムじゃないと思うんですけど、いつぐらいにご覧になったんですか?

(江口カン)いつやったっけなあ...。

(森直人)ちょうどシリーズが続いていたので、よくテレビでは2、3、4やってと思うんですよ。

(江口カン)あー、テレビだったかも。1観たの。

(森直人)でもやっぱり、あのドラマがグッと刺さるものがあったというのが最初にある。

(江口カン)そうですね。スタローンはやっぱりちょっとほら、『ランボー』とかにも出て、あの頃すごかったじゃないですか。そういうのもあってねえ...。

(森直人)『ガチ星』で言うところの濱島が、本当に人生の再起で。それこそ、ガチでギア入れるのが遅いじゃないですか(笑)

(江口カン)そうそうそう(笑)

(森直人)あのね、すんごい遅いんですよ。それが...。

(江口カン)あの人こそ、流されて生きていましたからね。

(森直人)これがでも僕ね、独特だし、すごいリアルだと思ったんですよね。わかった!っていうところ遅いんですよ(笑)

(江口カン)そうそうそう(笑)

(森直人)あれなのかな。監督の持ち味が出ているということなんですかね。

(江口カン)まあその企画は僕が書きましたけど、そこからは脚本家との作業で。またこの金沢くんっていうのがすごく良くて。本当に長崎のすっごい貧しい生活から出てきた人なので。

(森直人)あ、じゃあちょっとハングリーな。

(江口カン)そうです、そうです。たしかにスポーツを舞台に負け犬が這い上がる話って世の中いっぱいあるわけじゃないですか。ここに他の映画と何か違う特徴をどうすれば出せるかなっていうのを考えたときに金沢くんから、「この主人公をほんとダメな男にしませんか?」っていうアイディアが出てきて。僕ね、なんか『24』のキムっていうのがいるんだけど、このキャラがめちゃくちゃ好きで。

(森直人)あ、そうなんだ(笑)うんうん。

(江口カン)あいつが動けば、動くほど、物語がややこしく進む。

(森直人)ややこしくなる、うんうん(笑)

(江口カン)めっちゃくちゃイライラするじゃないですか。

(森直人)うん(笑)

(江口カン)あれぐらいイライラさせる主人公って今までなかったなって思って。

(森直人)キムがモデルなんですか(笑)意外!分からないそれ。

(江口カン)そう。だから本当にダメダメで、観る人をイライラさせる主人公にすれば、同じ負け犬の復活のスポーツものでも、ちょっと違うものになるよなというのはそのときに金沢くんのアイディアからそうやってどんどん膨らんでいって。で、濱島が生まれたんですけどね。

(森直人)さっきの『めんたいぴりり』のときもそうなんですけども、何か王道のものに、やっぱりちょっと批評性を加えると言いますか。何か新しいものが自分がやるなら必要だという風にまず考えられるわけですよね。

(江口カン)まあ、やっぱりそうですね。決して...もちろんね、過去のものはいっぱい自分の中に蓄積されて出ちゃうので。何かしら参考にはしているんだけど、それでもやっぱり何か過去のものとは違うものにはしたいなという思いは当然あって。だから僕、『めんたいぴりり』も実は僕の中では、めちゃくちゃ技術も新しいこと当然使っているし、ただのノスタルジックなものとは思っていなくて。撮り方とかも全然やっぱり今なりの撮り方をしているし。ただ、それは気づかれなくても別にいいなって。じわっと観る人の中に入っていければ、それでいいかなって。

(森直人)なんかね、僕その『ガチ星』で江口監督と濱島のパーソナリティがどういう風に繋がるのかなって想像をしていた時に、公式コメントで編集者の伊藤総研さん。総研さん僕、総研さんが東京にいるときに「BRUTUS」の仕事とかでお世話になっていたりしたんですけども。総研さんのコメントが結構そのへんの微妙な距離感を説明してくれているような気がしたんですよね。

(江口カン)ははははは。

(森直人)江口カンは濱島のようなダメ男ではないはずなんだけども、なぜか生き様が重なるというようなことをおっしゃられていて。それはもしかしたら、江口さん本人というよりは江口さんは書かれてきた、描かれてきた人間たちの生き様と重なるものじゃないか。これはわりと、あ、そうかもって思えるところなんですよね。つまりその魂の部分みたいなことかな。要するに、ご本人の実際の人生というよりはずーっと中に持っているものが、肉体を持つとこうなるのかなという風に思ったんですけど、どうですか?

(江口カン)それはもうなんかやっぱりね、他人から言われることだなっていう。

(森直人)(笑)

(江口カン)僕自身からもそこはよく分からないんだけど、濱島のあの流されていく感じは僕の流されていきたいという気持ちと近いなという気はしますけどね。だから、一歩間違えると僕もそう...。

(森直人)あ、もう一人の自分。

(江口カン)可能性はものすごくあるなって思いましたから。

(森直人)正直、こうして近くでお会いすると、似てますね(笑)

(江口カン)そうでしょう。

(森直人)感じがやっぱりなんか鏡像のようにね。

(江口カン)ボソボソっとしてるしね。

(森直人)そう(笑)モデルが監督なんじゃないかなという風に今思っちゃいましたけどね。『ガチ星』を撮ったことで、また意識は変わった、変わってない?さっきと同じような話ですけど、どうですか?

(江口カン)えっとね。『ガチ星』は変わりました。

(森直人)あ、そうなんだ。

(江口カン)それはやっぱり、自主制作映画だったわけですよ、結果的に。これを本当に0からやって、宣伝の方法とかも一生懸命みんなで考えてひたすら地べたな作業をいっぱいやって。それでもなかなかね、上手くこう軌道に乗らなくてみたいなことをやっているときに、やっぱり本当にこういうことを観てもらうということに対して、先頭走って引っ張っていかないと到達しないものだなという。そこの意識はものすごくありましたね。今まで来た波に乗ったら上手くいっていたことばっかりだったので、波がない時にどうやって泳ぐの?みたいな。

(森直人)なるほど。新しい技術が試されるなと。

(江口カン)うん。メンタルのことは大きいですね。

(森直人)言ったら、新人ですもんね。

(江口カン)そうそうそう。

(森直人)これすごいことですよね。また新人なの!?俺。みたいな(笑)

(江口カン)そうなんですよ。

(森直人)本当におもしろいなと思うんですよ。でも、メンタルってそこの部分が大きいですか?

(江口カン)そうですねー。だから、波ねえなって思って泳いでいたら、いつの間にか山登っている...ここ山じゃんみたいな。すげーきついなみたいな。

(森直人)苦手だった。

(江口カン)そうそうそう(笑)

(森直人)(笑)苦手だったところに来たけど、もうやるしかない。いきなりですよね。『ザ・ファブル』も松竹さんと日テレさんの所謂メジャー映画、スター映画。これはオファーですか?

(江口カン)そうなんですけどね。これ、『ガチ星』がやっぱり蓋を開けてみると、決してすごい興行成績が良かったわけではないんだけれども、ものすごいファンの人たちができて。

(森直人)コアファンが?

(江口カン)うん。それが業界にもいてて、結構。そういう人たちがものすごい『ガチ星』を勧めたり。それからなんかね、もうDVDをいっぱい配ったりしてくれる人がいてて。それが結構やっぱりきっかけにはなっているんですよね。

(森直人)じゃあ、『ガチ星』からってことなんですね。繋がりとしては。

(江口カン)そうです、そうです。

(森直人)タイミングとしては本当に『ガチ星』の評価がじわーっと浸透してから、来た。

(江口カン)そうですねー。

(森直人)またね、ほんと新たなチャレンジだったと思いますけど、主演が岡田准一さんとかっていうのはまだ決まってなかった?

(江口カン)いや、岡田さんは決まってました。

(森直人)あ、決まってたんだ。じゃあ、岡田さんありきの企画で動いていて、監督は誰かって時に江口さんが『ガチ星』撮ったすごい人がいるっていう風になったという流れなんだ。来た時って、それは波じゃないですか。乗ってやろうって。

(江口カン)それは波ですねー。

(森直人)また乗るっていう方向で。

(江口カン)うん。もうめっちゃくちゃやりたいと思いましたね、これ。

(森直人)漫画も好きなんですけど、今回映画を観てから読むパターン。南勝久先生の人気漫画ですけど。原作がすごく映画的な構成というか、センスに貫かれている感というか。すごい独特なね、漫画で。オフビートアクションというか、ノワールコメディというか、すごいおもしろい。映画も純正のアクションというよりはそのへんのニュアンスをすごい丁寧に移植されたものになっていますよね。キャラクターによった異色コメディというような印象を持ったんですけど。映画化のアプローチとしてはどういった感じだったんですか?

(江口カン)やっぱり大きく悩んだのは、原作のおもしろさ、いくつかあるうちの1つって、プロの殺し屋だから決してそのね、派手な殺しをしないというか。地味さがおもしろいじゃないですか。リアルなシーン。

(森直人)はい。

(江口カン)そっちもあるなというのは、やっぱり思っていたんですよ。でも、一方でね、松竹さんとかは結構大きく展開したいと。そのためにやっぱり華のあるエンタテインメントにすべきじゃないかって。そこで本当にどっち行くの?みたいな話をわりとしつこくさせてもらって。

(森直人)なるほど、ポイントがあったんですね。

(江口カン)うん。結果的にそのアクションはわりと華のある、わりとビッグビジュアルもあるエンタテインメントに舵を切ることになったんですけど。松竹のプロデューサーから言われた話で、すっごいおもしろいなと思った話があって。『スパイダーマン』と『バットマン』があるじゃないですか。日本以外は圧倒的に『バットマン』が人気なんだけど、日本だけは『スパイダーマン』が人気なんですって。なんでだと思います?って言われて、なんでだと思います?

(森直人)なんでなんでしょうね。うちの息子も『スパイダーマン』大好きなんですけども...やっぱりダメなやつだから(笑)?っていうのが1個ある。

(江口カン)うん。真面目に考えるとそうなるじゃないですか。でもまあ、たしかにね。バットマンは金持ちだったりするけど。なんかね、バットマンは黒い。黒くて暗い。

(森直人)うん。

(江口カン)スパイダーマンは赤と青で明るいって。

(森直人)すごい答えですね(笑)

(江口カン)すごい答えだなって思って。これねー。

(森直人)すごいな(笑)

(江口カン)今の日本人は、特に例えばデートで観に行く映画とかって、そっちなんだと。『スパイダーマン』なんですよって言われて。

(森直人)赤と青の。

(江口カン)そう。なんかね、ええ!?って思った。めちゃくちゃ響いて。

(森直人)たしかにね、おもしろいっすね。この問答。

(江口カン)うん。乗ってみようって思って。

(森直人)なるほどね!それが大きかった。

(江口カン)そうそうそう。

(森直人)おもしろいな。

(江口カン)ちょっと華のあるアクションの方にグーッと舵を切るわけなんですけど。

(森直人)その言葉に乗って、よし!じゃあそれでいいですよって風になったんだ。たしかに出来上がった作品を観ると、その折衷、なんか緊張感があるものにはなっていると思いますよね。

(江口カン)そうですね。その原作の持ち味は本当に僕もすごい読んで好きだったんで、好きなので、本当にどう残すかなってところは頑張りましたね。

(森直人)なるほどね。これが今までと違う題材と体制で大きなバジェットであって。初週の興行チャート2位でしたよね。

(江口カン)はい。

(森直人)その後も堅調にヒットを飛ばして、またなんか変わったところにありますね。

(江口カン)うーん...いやまあ、今のところは何も変わってないですけど、でも、本当に原作ものって原作ファンにやっぱり気は遣いますし。そういう意味でなんだろう。もちろん、賛否両論で全然いいとは思うんだけど、せっかく原作を預かるんで。中身が多少変わっても、おもしろかったねってなれば勝ちだなって、それだけは思ってたんで。そういう意味で数が出たってことはある意味達成できたのかなって思うから。そこは本当に原作の先生、南先生や原作ファンの人に対しても報いれたんじゃないかなって、そういうところでね。全くそっくりではないけど。原作をとにかく大切にできたんじゃないかなってそういう意味では。

(森直人)なるほど。ますますね、これがヒットすることで、いろいろなお仕事、オファーが舞い込んでいるんじゃないかと想像するんですけど。最初に東京にも社員がいる部屋があるっておっしゃいましたけど。あくまで福岡を拠点にすることは今後も変わらない感じですか?

(江口カン)そうっすね。そこはなんか今更変えようもないというかね。

(森直人)でも重要なことなのじゃないかなって僕は思うんですよね。

(江口カン)例えば東京にずっと長いこといると、体調も悪くなるし。

(森直人)海が近くないから(笑)

(江口カン)そうそうそう。便秘になったりするんだけど。

(森直人)あ、そうなんだ。

(江口カン)うん。飛行機乗って、福岡空港にびゃーって降りた瞬間なんかね、うんこしたくなったりするわけですよ。

(森直人)急にストレスが。

(江口カン)そうそうそう。なんかよく分からないんだけど、そういう意味では本当にホームグラウンドなんだなって思いますよね。それは体が本当に正直にそういうのはそうなので。

(森直人)それももちろんそうだし、あとはやっぱり『めんたいぴりり』のエピソード0。あそこの可能性ですよね。やっぱりある場所でないと語れないことっていっぱいあるんじゃないかなと思って。

(江口カン)はい。

(森直人)例えば、アジア性ってことを考えると、東京からのアジア性と博多からのアジア性って明らかに違う気がするじゃないですか。線の引き方にしても。そこでどういう物語が立ち上がってくるのかってものすごい興味があるんですよ。監督ご自身の例えば、監督ご自身の活動を通しても、そういうことってすごく気になっているんですけど、そういったことって考えたりします?

(江口カン)うん。いや、あのー...『めんたいぴりり』をこの前、釜山のちっちゃな映画祭ですけど、持って行ったときにも釜山の映画関係者とかフィルム・コミッションとかと話したんですけど。韓国映画の4割ぐらいは釜山で撮っているんですってね。

(森直人)あー...そっか。たしかに映画の街ですもんね。

(江口カン)そうです、そうです。

(森直人)釜山はね。

(江口カン)韓国映画で坂道とかが出てくると、大概これ釜山じゃないかなって思うぐらいなんだけど。うらやましくて。やっぱりソウルじゃなくて、釜山。そういう意味では東京...日本なんて、東京が中心に見えるけども、見えているだけで。人口で言うと、1割ぐらいしかいないわけで。9割が東京以外に住んでいるわけですから。別に東京と対抗するっていう意味じゃないけれども、やっぱ福岡でしかできないことをやりたいし。もっと言うと、この前行ってきたのもあって、せっかくなので福岡と釜山の話をもうちょっとやりたい。

(森直人)監督、青春映画撮ってくださいってよく言われません?

(江口カン)うーん、なんかキラキラ系は今のところ、ちょっとお断りしてますけどね。

(森直人)それはいい(笑)エピソード0の青春パートがやっぱりすごいエモーショナル。ある意味本気でキラキラしているんですよね。

(江口カン)はいはい。

(森直人)あれ、素晴らしいじゃないですか。あの感じって、どこかでガッと展開してほしいなって普通に思いますね。

(江口カン)どうしてもね、青春映画って言うと、今の若い人たちの感覚がどうだってことに寄り添わなきゃいけない部分もあるじゃないですか。

(森直人)うーん。

(江口カン)そうすると、いつでも若い人たちっていうのは複雑なんだけど、今はもう環境含めてますます複雑なんで。

(森直人)たしかに。

(江口カン)ここはちゃんとやらないと、難しいなって思いますよね。『めんたいぴりり』の青春時代は昔の話だから、ああいうこうなんて言うかな。まっすぐに描けたんだけど。

(森直人)なるほどね。やっぱりちゃんとやろうってなると、まっすぐだけじゃだめだなって気はあるんですか?

(江口カン)うん。そこはやっぱりそう簡単ではないなって思いますけどね。

(森直人)なるほど。ますますその言葉を聞くと、楽しみですけどね。ここに青春映画に出そうな若い方が揃ってらっしゃいますけどね。なんか監督が若い人をどう描くかっていうのもすごく観てみたいですね。

(江口カン)はい。

(森直人)ちょっといろいろお話させてもらって、お時間が近づいているんですけども。『ガチ星』撮られたときって、50歳...?

(江口カン)『ガチ星』...撮ったときは...。

(森直人)67年生まれだから、 50ですよね。

(江口カン)50か。はいはい。

(森直人)結構ね、映画監督デビュー50歳って、例えば40代ってわりといるんですよね。いろんなことをやってらして。さっき言った関根光才さんも40代でしたし、大根仁監督とか、あとはまあ、遡れば伊丹十三さんとかね。いろいろやって40歳ぐらいで『お葬式』を撮られて。50歳って珍しいなと思って。

(江口カン)でもね、伊丹さんって『お葬式』、51歳か52歳じゃなかったかなあ...。

(森直人)50歳か。

(江口カン)僕もね、そうそうそう、さっきも言ったように全然気にしてなかったんだけど、人から頑張らないともうあれだよ、手遅れだよみたいな脅しをかけられたときに、え!?って思って。

(森直人)調べた?

(江口カン)調べたら、伊丹さん『お葬式』、51歳じゃないかな。

(森直人)50歳乗ってたか。そっかそっか。40代終わりだと思ったら、50代に乗ってたか。失礼しました。じゃあ、伊丹十三パターンじゃないですか(笑)

(江口カン)実は自分の中ではまだ救いになっていて、いやいや伊丹さんいるしって思って。

(森直人)あ、そうなんだ。しかも、伊丹さんもすごく王道なところに、ご自身の批評的な部分を乗せてくるタイプの方で、真ん中で闘われた方って気がしますよね。

(江口カン)そうですね。それをきっかけにいろいろ調べると、もともと好きは好きだったので。なんか『お葬式』もね、ちょっと自主映画で。

(森直人)そう、ATGですからね。

(江口カン)そうそう。なかなかかけてもらえなくて、本当に自分でも劇場を回って、一生懸命お願いしたって言っていたんで。やっぱり大変だったんだなって思って。そういうことないと、やっぱりなんて言うかな...受け入れてもらえない世界でもあるんだろうなっていう風にはね、なるんですけどもね。

(森直人)でも偉大な先達がそこにいるっていうのは大きいですよね。

(江口カン)そうそう。

(森直人)『ザ・ファブル』がヒット中であれなんですけど、今後みたいなことは何か考えてらっしゃることはありますか?

(江口カン)一応、秋に1本撮ろうとしていて、なのにまだ脚本が出来上がってなくて。

(森直人)あ、そうなんですか。

(江口カン)もういつでも大変だなって思いながらやっていますけども。

(森直人)それはまた全然違う感じの映画になるんですか?

(江口カン)これまた全然違いますねー。

(森直人)SFじゃないですよね(笑)

(江口カン)SFではないですけど、だいぶ違いますねー。かなりエロですね。

(森直人)あ、そうっすか。へえー!そうなんだ。公開はもうちょっと来年以降に。

(江口カン)来年ですね。

(森直人)また新しいジャンルですかね。

(江口カン)そうですね。毎回全然違うんでね。

(森直人)すごい楽しみにしてます。

(江口カン)はい。ありがとうございます。

(森直人)というわけで、番組を楽しんでいただけた方は#活弁シネマ倶楽部、#活弁で投稿をお願いいたします。活弁シネマ倶楽部のTwitterアカウントもありますので、ぜひフォローください。それでは今回はここまでです。いや、すごく楽しかったです。

(江口カン)ありがとうございます。

(森直人)江口カン監督でした。どうも、ありがとうございました!

(江口カン)ありがとうございました。


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