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全体公開の書 13/13

○自分とわたし

全体公開の最終章は
「自分」と「わたし」についてね。
見方の話であるし、意識の話。
1ページから続けてきた内容からはじまって
13ページまでやってきて、もう一回1ページに戻る話になるんだわね。

自分
→自は「自由」だったり「自然」とかの頭文字に使われるわね。
じゃ、なぜ「分ける」事をするのか?

数学用語を使えば「線」と「線分」の違いだったりする。
「自」と言えば、どこまでも続いてくんだけど

人間の限界にも個人差と多様性があるわね。
ある人には無理、であっても。
別な人にとっては、可能な範囲ってある。

こういう物事を「才能」って言うんだわね。
天から与えられた才能だから、天才。
秀でるまで磨き続けた才能を、秀才。
ありふれた(凡)才能だから、凡才。

自分の話に戻れば
「どこまで進めば」「納得できるか?」って
話が、自分を分ける所になる。

人間も、自然も、地球も、行き着くところまで行けば「生命の根源(神秘)」に行き着くし
わたしは、宇宙自体も意志を持っているし。

宇宙から分けられた存在だからこそ。
「自分」だと思うんだわね。
色々な自分がいてもいいし、各々の人も
「自分」があるし。
他の生物から見ても、草には草の「自分」がおり、虫には虫の「自分」がいる、獣には獣の。鳥には鳥の。
って具合になる。みんな違う。

そして「自分を見ている自分」もいるわけで
スピリチュアルを介せば「ハイヤーセルフ」だし
そったら事信じない。というなら
「自分は他からどう見られるか?」で考えてみればいい。

「わたし」について行こう。
「自分」が分ける事によって得られていたアイデンティティなら。

「わたし」は共通項によって繋がる物事。
漢字に直すと「和多志」となる。

「私」と表記する事もあるけど
できれば、ひらがな表記をオススメする。

和→なごむ、わする、調和
多→幾多の、多くの、いくつもの
志→こころざし、士(さむらい)の心

資格の中にも○○士と銘打っているものを
さむらい業とも言ったりして尊ばれているわね。

自分の為でもあるんだけど
自分の外に広げて「自分は何をするか?」
「自分を活かす」「生活をする」
こう言ったことを踏まえての「わたし」なんだわね。

多くの志を1つに集めて
意志合わせをして事に向かうとどんなことが起こるだろうか?

「アセンション」とか「パラダイムシフト」とか「クオンタムジャンプ」とも言われるけど。

今の地球であれ、日本であれ、自分の身の回りであれ、カツコ自身であれ
必要な物事は
「地球の借り物を、未来にお返しする」って事なんだわね。

だから、天地自然の法や森羅万象を知る必要がある。
自分の人生をどうしよう。と迷うなら。

「やりたいことを達成するためには、何が必要だろう?」
って発想の転換が必要なんだわね。

宇宙から見れば
「One for all,All for one」って事が
わたしってことなんだわね。

あるところでは「ワンネス」とも言ったりする。
「八紘一宇」も「意志」があって動く。

だからこそ、全体公開の書は無償で
しかも、みんなで共有してもらう為に
内容をかいつまんで13ページ立てで書かせていただきましたわね。

ここに無い内容は、直接会った時や
セッションの際にお答えさせていただきましょう。お役に立ててくださいね。

絶対にこの考え方は必要になってくる。
この先の日本、未来。

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Facebookより

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