走る

紅白対抗リレー。したくないですか?(はい。したいです。)
このような気持ちは体育祭楽しめていたピーポー独自の思いなんだろうか。
あの、あるコミュニティ全員の視線を一斉に背負って走るバトンリレーという経験はもうないのだろうか。全員で容赦ない大声で叫んだり、旗を振ったり、太鼓を叩いたりするあのムードはたまらなくアドレナリンである。

ここ数年の勝股淳しか知らない人にはけっこうな衝撃的事実だと思うのだけど、私は小中と応援団長でした。選手宣誓もしたし、サンサン七拍子的なやつもやったし、白組の健闘だって祈った。(ちなみに何故かいつも白組だった気がする。赤ってガラじゃないからだろうか。)

<走る>というのは、実はそれだけでけっこうなエンターテイメントだと思う。

24時間テレビのメインコンテンツだって(こう言っては元も子もないけれど)人が走るだけだったりするし(長時間、長距離走っているので、”だけ”と言ってしまうのはどうなんだ)、アメリカをひたすら走った映画はアカデミー賞だし(フォレストガンプ)、メロスだって走るのがいいんだ。(超有名文学作品に対して何を言ってるのだ)

昔。
たしか2008年ころ、WOWWOWで【蒼井優と4人の放送作家】という企画でドラマが制作され、放映されたことがある(蒼井優主演でそれぞれの放送作家が各1本ずつオリジナル脚本のドラマを創るというもの)。
その中のひとつに蒼井優がとにかく走るというシナリオのドラマがあって(ちなみにこの脚本を書いた作家は高須光聖で、知っている人はもちろん知っていると思うので説明するのもあれだけど、ダウンタウンの番組の多くを手がけている人。)

主人公である女性(蒼井優)が、突然全力で走り出す妙な癖を持っている設定で、家でゴロゴロしていたかと思うと突然スイッチが入ったかのように玄関を飛び出て10分きっかり全力疾走するのだ(その日のコンディションなどで、最終到達場所が微妙に伸びたり、縮んだりする)。

蒼井優が全力で走る。もうそれだけでめっちゃくちゃエンターテイメントだった。(僕が蒼井優ファンであることはこの際黙っておこう)(ちなみに蒼井優が爆走している時のBGMは木村カエラが歌うマシマロ、原曲は奥田民生)

走ることはフィジカルであるからよいのだと思う。息づかい、様、顔つき、腕の振り方、足の出し方、肉体的負荷。そういうものを見て取れる。感じ取れる。

生を感じるという事のひとつにはなんらかの限界線をまたいだりするということが含まれると思うのだけど、思えば、走るというのは一番お手軽に生命を燃やせる方法のひとつかもしれないね。
しらんけど。



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