人と違う

”人と違う”ということをどんな風に使うだろう。

特別感だろうか。疎外感だろうか。それとも、肯定感?

または、「人はみんな違うという点において同じである。」なんていうパラドックスで遊んでみる?

中学生の頃、”人と同じ”ということが本当に嫌で、裸足で過ごしていた時期がある。みなさんの疑問はわかります。「なぜ裸足。。。」ということですよね。説明します。

まずですね。髪型については色々規制があるのが割と多くの中学校というものです。私が通っていた中学校も例外ではありませんでした。
次に服装。これはもうなんか色々ありますよね。やれ短ランだ。ドカンだ。ボンタンだ。ボタン留めを変えてみたり、ボタンを他校のものをつけてみたり、カラーを外してみたり。もうなんかいろんな手段が講じられていたのが服装の部分です。みなさんの中学校にもいませんでしたか?そういう生徒。

ということで、私は考えましたよ。なんか今更、みんながしのぎを削ってるエリアで勝負なんかしても、そもそもその後のり感がダセェし、だったら誰も勝負していないし規制もあまりキツくないエリアで”自分は他者とは違う”アピをしなくては。

結果、靴です。靴をね。履かない。これはねあんまりいない。みんな上履きは履いてますから。なので、ブルーオーシャンもいいとこ。「かつじゅん?あぁあの変な人ね」圧倒的に成功しましたよ。これ。

僕は一躍変人扱いでした。というかまぁその前から随所にそういった策を講じていたので、安定の変人。みたいなポジショニングはバッチリだったかと思います。

と、いうのが僕の中学時代のお話。

31歳になった今、人と違うことを嫌だなぁと思うことも増えました。

普通やベーシックということを大切さをよく思い知らされます。”普通とは違うのがいい”とか思ってる浅はかさに嫌気がさしたりします。

僕が知っている本当にセンスがある人は普通だな〜と思います。いきなり奇を衒う人は偽物か、極度の本物かで、多くは前者であると僕は思っています。

”人と違う”というのは、大衆という基準点から自分を見るような感じで、そもそもそんな見方すらあまり必要でなかったかもしれません。
”人と”というより、”自分はなんなんだ”という方に重心を移してみる。
結果として人と違ったね。ということでいい気がしています。



お読みいただきありがとうございます!