プライド
いやはや今日は疲れた。
20時間以上の移動なんて、、、
よくもまぁ数年前までちょくちょくアメリカに行ってたもんだ。
あっちへゴロゴロ、こっちへウトウト。
なかなか筆が進まない本日である。
プライドという言葉もまた微妙なニュアンスがある。
「プライドが高い」というのは割に悪口として使われるけど
「プライドを持ってやっている」というと、おそらくそれは崇高な誇りについての話だ。
傲慢は7つの大罪の一つにも数えられているし、
人間の業、ベスト7に入る程度には厄介だということだろうか。
なぜプライドなどという厄介なものに固執してしまうんだろうか。
なぜ他人から寄せられた自分への評価について訂正したい気持ちになるのだろうか。
プライドの高さの裏には弱さのようなものを感じる。
そうせずには自分を保つことできない弱さだ。
現実的な自分のサイズを直視することを恐れる気持ちといってもいい。
実際のところ、現在の自分のサイズがどうであれ、改善や成長の一歩めは、現在地の確認から始まるのだから、早いところ惨めな自分を認めてしまう方が良さそうである。実利的には。
ただ、これはいうほど容易くはない。というのが人間の面白いところでもあるような気がしている。わかることとやれることはけっこう違うもんだ。
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