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無職男と時給870円女子の起業物語【最終話:最高のマーケティング、そして売却へ】

あらすじ:2014年六本木に夫婦で脱毛サロンIbiza Waxを開業。四苦八苦しつつもお店と通販事業が軌道に乗っていると一番の取引先に丸パクリされる。我々が生き残るために選んだ戦いは札束の燃やし合いだった。


売れ行き絶好調だったVIO美白化粧品のイビサクリーム。しかしある日突然、独占販売権を渡し二人三脚で歩んでいた取引先がまさかの丸パクリ。僕らの邪魔をしつつ自社商品を販売し始めた。昨日の友は今日の敵とはこのこと。どうせ地獄行きなら道連れにしてやる。相手が呆れるほど大量に広告費を投下した。金額にして1億円。
それが功を奏したのか、敵は丸パクリ商品ごときにそんな大金を注ぎこめず息切れし、僕らは有利に戦いを進めることができた。まさに地獄の沙汰も金次第である。

最大のピンチだったが、僕らのイビサクリームにかける狂気がカテゴリーNo.1死守に繋がった事件であった。

とはいえ内情は一命を取り留めただけの話。この施策は売上をお金(広告)で買う世界線。お金さえあればバカでもできる、いやむしろバカが取る戦略だ。
僕らの利益は圧迫され、ハンドル操作を間違えれば大事故になる状況だった。

麻美と話し合い、広告だけに頼らずイビサクリームのブランド力(分かりやすい差別化)を高めるため、違う側面からも商品力をアピールする必要があるという結論に至った。

「デリケートゾーンケア?それならイビサだよね」と認知してもらうような活動。僕らにはオリジナリティがあり、本物でカッコいいと思われる施策をするのだ。そうなれば自ずとその他の商品は模倣品となるはずだ。

当社は「カッコいい女であれ」を標語に掲げ、他社ではアホらしくてやってられない活動をすることにした。
できるだけ売上に繋がらず、できるだけ面倒なこと。え?なんでこんなことやるの?というレベルのものだ。
理想のイメージでいうと、レッドブルが商品と全く関係ない危険なチャレンジに手間とお金をかけているような。

しかし実際やってみるとどうだろうか?
売上に繋がらないどころか、本業に影響が出るほど手間がかかる。お店や会社の営業を停止してイベントをしなくてはいけない。ライバル会社が思う前に僕自身が「え?なんでこんなことまでやるの?」とアホらしくなってきた。

お客様と一緒に洋服を買い(もちろんプレゼント)さらにヘアアメイクし撮影する変身企画(ほぼ毎週やって100人近く続けた)
スタッフにヘアメイク代等を支給しお客様を誘って屋形船で宴会
お客様とガチの運動会
オリジナルのゴミ袋まで作って定期的にお客様とゴミ拾い

特に意図してない企画でも、心のどこかではバズったり、会社へのインパクトを期待した。それなのに何も起こらない。
僕は我慢の限界となり「マジで金の無駄だし辞めない?」と麻美に何度も提案するも、彼女は辞めない。
それどころか全国にいるご購入中のお客様、離れていったお客様、クレームを入れてくれたお客様に連絡を取り、現地まで出向きランチ会を開いた。

ただただ経済合理性を無視して続けたのだ。

すると、これは会社の資産では?と思える現象が起きはじめた。
会社に対してだけでなく、麻美や従業員のファンになってくれた人達の顕在化、その方達との気軽なコミュニケーション、スタッフのやる気向上。
またお客様のご紹介で新しいネットワークが築けたり、お客様の得意分野を聞けば無償で答えて助けてくれた。
お客様は当社に様々な期待をしていたし、協力したいと申し出てくれたし、意見をくれた。この方がいい、あれが好き、ここが嫌い等など。

僕らはその声を片っ端から掻き集め、お客様をオフィスに招き商品会議にも混ざってもらうことにした。
するとどうだろう。僕と麻美がイビサクリームを開発した時のような熱狂をスタッフもお客様も持ち始め、気がつけば皆で一丸となって唯一無二の最高の商品を目指し動き出したのだ。これこそがライバルには一朝一夕で出来ないことだった。楽しくて楽しくて仕方なくて、次から次へとアイデアを出し、お客様の意見も取り入れながら新商品を作りまくった。ブランドにして4つ。アイテム数10以上。お金もバリバリかけた。

●都市部に通勤する女性向けブランド:シティービューティ
●骨盤底筋アンダーウェアブランド:IBZ
●ホームパーティーグッズ:MATES
●和の漢方に着目した機能性コスメ:和漢ビューティ

次々に納品されるプロダクト。協力してくれた皆に披露すると目が輝いた。これから世の中に発信して売るのだ。全国にいる協力者の口コミも加わりきっと売れまくるだろう。僕らが考え得る最高のマーケティング手法だった。僕は全員の思いを乗せて広告を回す。すると、奇跡が起きた!!


作った商品が片っ端から売れないのである。

全く売れない。ウンともスンとも言わないのだ。ええぇえ?こんなことってある??状態。
冗談抜きでカートが壊れていると思い、試しに自分で注文をしてみた。するとちゃんと注文が入る。次の日も、その次の日も自分で注文を入れてみる。毎日イノウエ カツオさんからの受注は来るのに、他の人からの注文は一切入らないではないか。何かがおかしい。

ある商品には1000万円の広告費をかけて電話が2件。うち1件は「当社にも広告出しませんか?」という営業だった。カモみーっけ!と思われたに違いない。吐き気がした。

皆の愛情と熱量を巻き込んだ新商品。これを売れる商品にすることが、残念ながら僕らには出来なかった。

この前まであった熱狂は消え、社内はシーンとしていた。聞こえてくるのは「またカツオさんが注文してきたよ」というヒソヒソ話。
最高だと思ったマーケティング手法は最低な結果になった。
積み上がる在庫。失っていく自信。

そして極め付けの出来事が起きる。
ある日、麻美が僕に言ったのだ。

「私、代表降りようかな、、」


「おいおい、気軽か!?!?」

そんな簡単なノリで社長って辞められるものなの?学級員長すらそんな気軽に辞められないんじゃない?と思ったが気持ちも理解できた。

彼女の本音なのだ。心が折れたと言うか、離れ出したんだと思う。当然だ。2人の子供はまだ幼いのに会社の経営で起きている時間の大半を持っていかれる日々。授乳しながら見つめるのは我が子ではなく、トラブル対応中のスマホ画面。

授乳しながら顧客対応。出産後すぐからずっとこんな感じ。

気がつけば従業員も増え、大小含めた判断と指示は絶え間なく、責任も増えていた。

本当は子供達とゆっくり向き合う時間も欲しかったと思う。
もともとアパレル店をやりたかった麻美は、僕に半分そそのかされて脱毛サロンをやり、そこで見つけたニーズの化粧品を作ったらあれよあれよの間に上手くいってしまった。

起業当初は2人で30万でも稼げたら御の字だね〜なんて思ってたのに6年で店舗はFC含め9店舗、売上は通販合わせ10億円を超え、経常利益は2億円以上だった。

当時の通販会社では珍しく六本木の路面にショールーム兼オフィスを構えた。

本当に取引先様、スタッフ、お客様、そして運とタイミングに恵まれた僕ら。感謝しかない。

「私たちの会社って売却できるかな?」

僕の頭の片隅にはずっとあったけど、黙っていた言葉。それが麻美から出たときは正直驚いた。

「未経験すぎて全くわからないけど、、麻美がその気なら動いてみるよ」

人伝いに2社ほどM&A仲介会社を紹介してもらい、決算書を3期分渡して査定をしてもらうことになった。

曰く、販売チャネル数の少なさ、売れてる商品数が1アイテムのみとネガティブな面もあるが、創業から年数が経過してない分、ややこしい資産もなく、クソ真面目に税金も払っており、無借金。財務が綺麗ということでM&A仲介2社ともほぼ同額の査定金額が出た。

これが事実であれば子供達が大学まで私立行こうが海外行こうが足りるし、我々も大きな贅沢をしなければ一生働かなくても良い金額だった。

なるほど、、、。僕はすぐさま計算をした。単純な掛け算だ。
あと1、2アイテムでも売れればダブルアップでしょ?!

大きな贅沢がしたい。欲がドバドバ出た。
邸宅住んで高級スポーツカーころがして六本木でバカ騒ぎ。
売却できると分かれば、1円でも高く売りたい。

そうだ、次は恩人経営者をそそのかして商品開発に携わってもらうか。彼はいくつもの事業を当ててきた実績がある。早速、一連の事情を説明すると、

「かつお、、、自分の器って分かるか?話の前半でお前の器からあらゆるもんが溢れちゃってたぞ。売却の件、有難い話じゃね?6年でここまでよくやったよ。欲かかずに売ったら?良い経験の一つじゃん。なんなら俺もゆっくりしたいわ〜」

と諭すように言われた。

おっしゃる通りだ。僕らの会社にこれだけの金額がつくなんて。
それに、とっくのとうに僕らの器を超えていたのも分かっていた。
いつまで経っても胸先三寸、気分次第で物事を決定し会社経営ごっこの域。
そして、その面における向上心も立て直す気力も失っていた。

伸び代ある商品を持ち、追い風市場にいることは自負していた。
(事実、現在フェムケア・フェムテックのカテゴリーは当時では考えられないほど浸透している)
悔しいが、僕らが引っ張れるのもここまでか。
優秀な経営陣にバトンタッチした方が、皆のためであることは明らかだ。

後日、手数料は高いものの売却金額と信頼性を考慮し、上場しているM&A仲介会社ストライクと秘密保持契約を交わした。

数ヶ月に渡り法務、ビジネス、財務に関する何百もの質問に答えデューデリを進めていった。

長かったようであっという間の6年半。麻美がへそを出して物件を探していたのがつい先日のようだ。

劇的に変わった生活環境含め、社長であり妻でありママであった麻美のそばで24時間365日公私にわたり喜怒哀楽を共有し過ごした日々は、良いことばかりでは全くなかったけど、総じてエキサイティングで最高の時間であった。

2020年11月30日、株式会社ファイブテイルズの株式を全売却。
2021年3月31日、引き継ぎを完了し会社を去った。

出社最終日

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あとがき

僕らが幸せだったのは、何かあれば恩人経営者が僕の頭を叩きつつも損得ゼロで率直な意見をくれたからだと思う。時には何時間、何日にもわたり言い合いが出来る相手がいるのは本当に有り難いことだと思ってます。
いつも超多忙にも関わらず、僕のウザい絡みにお付き合い頂き有難うございます。またステーキとパフェ奢らせてください。

僕自身、起業から売却までの判断基準の軸に丁稚奉公していたときの影響が強く残っています。小難しいことは言わないが本質をついた恩人経営者のアドバイスがズバズバ効くのだ。これに関してはまたシェアしたいと思う。


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無職男と時給870円女子の起業物語
【第1話:火傷しない商売のルール】
【第2話:スパイ大作戦と砦の確認】
【第3話:半径1mの資金調達】
【第4話:六本木No.1戦略】
【第5話:洗面器に顔を突っ込む】
【第6話:飛び道具の開発方法】
【第7話:無鉄砲な当てずっぽう】
【第8話:順調は不調の始まり】
【第9話:1億円を燃やして得た教訓】
【最終話:最高のマーケティング、そして売却へ】


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