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築地本願寺 建築の謎を探る

築地にあるただならぬ雰囲気の建物。
それが築地本願寺

今回はそんな本願寺建築の歴史と秘密を探っていきます!

異彩を放つ本願寺建築

築地本願寺の建物を見ると日本の寺院には見えない。

何も知らずに通りがかった人だと
「わっ、何だあの建物は?」
と思うのではないでしょうか。

それが仏教のお寺だと知ったとき、人によっては
「なんでお寺なのに洋風建築なの?」
と言ったり、
「イスラム教のモスクみたい」
と言ったりする。

それもそのはず、通常日本の寺院は木造建築です。
石で造られた寺院に違和感を覚えるのは無理もないです。

では何故あんな形をしているのでしょうか?

結論から先に言います!

築地本願寺の建物は「洋風建築」ではなく、実は「インド風建築」なのです。

「えっ? インド風建築?
  なにゆえインド風建築なの???」


でも思い出してみてください。
子供の頃に本で読んだり、テレビで見たりした「西遊記」を!

三蔵法師が「経典」を求めて目指したのは「天竺」でしたよね?

そう仏教発祥の地は「天竺」
つまり今のインドというわけです。

そのインドの建築を模して建てられたのが「築地本願寺」ということです。

築地は本願寺から

まずは築地に本願寺が建てられるまでの歴史を、ざっと見ていきます。

時は江戸時代の初期。

江戸開府に伴い、京都の「浄土真宗本願寺派」の本山である「西本願寺」の「別院」が今の浅草橋の南側あたりに建てられた。

それが、1657年に江戸の大半を焼き尽くした大火災「明暦の大火」で消失してしまう。

江戸の町の防災強化のために、幕府より本願寺再建の場所に指定されたのが、当時はまだ海だった現在の本願寺の位置。

本願寺を建てるために、埋め立てて築いた土地だから「築地」。

だから「築地」の歴史を語るうえで、本願寺は外せない。

ちなみに土地を埋め立てたのは、前回の記事で紹介した佃島の佃衆。

隅田川河口の洲を埋め立てて佃島を作った実績を買われてのことでした。

大谷探検隊と伊藤忠太の運命的な出会い

時は下って明治の終わりごろ、

京都の西本願寺の偉いお坊さんの「大谷光瑞」さんはふと思いました。
「たしか仏教の発祥の地はインドだったよな?」と。

しかし、日本の仏教は中国を経由して入ってきたので、本来の仏教とは違うのではないだろうか?
このまま原点を知らずして良いものか?

とゆうわけで、仏教の伝来ルートを調査するために「大谷探検隊」というものを結成して、シルクロードを伝ってインドに向うことにしました。

同じころ仏教建築を研究していた「伊東忠太」という建築家がいました。

伊東忠太はふと思いました。

「仏教の発祥地はインドじゃね?
日本の寺院は中国風の木造建築だけど、それって何かおかしくね?」と。

それで伊東忠太は仏教建築のルーツを求めてインドへと旅に出ました。

そしたら出会っちゃったんですよ!!!

その大谷探検隊と伊東忠太が!!!

シルクロードで!

となると普通こう思いますよね。

「まじっすか?
 俺たちって気が合うんじゃね?」って!

築地本願寺本堂内に展示されていた写真


関東大震災 ~ 再建へ

そして大正末期の1923年に関東大震災が起きました。
それはそれは大きな地震で東京は壊滅的な被害を受けました。

築地本願寺も例外ではありません。

おそらく、京都から駆けつけた大谷光瑞さんは、焼け落ちた築地の本願寺を前に呆然と立ち尽くしこう思ったでしょう。

「参ったな〜、これからどうしたらいいんだろう…😭
一から建て直すっていってもな〜…」

途方に暮れながらしばし考え込んでいると…

「あっ、そうだ💡
どうせ建て直すならば、あの人にお願いしよう❗️」
と。

てことで、大谷さんはおそらく伊東忠太氏に

「あのさ〜忠太さん、折り入って頼みがあるんだけどさ〜、全部お任せするから新しい本願寺を造ってくれないかな?」
のようなことを言ったでしょう。

すると伊藤忠太は

「えっ、ホンとっすか?
 自分に任せてもらえるなら、全力で造らせてもらいますぜ!」

って言ったかどうかは分かりませんが、
伊東忠太は依頼を受け、自分の思い描く仏教寺院を建てることになりました。

ということで、伊東忠太がインド建築を研究した成果を具現化した建物が築地本願寺なのです。

築地本願寺本堂内に展示されていたパネル

そして、1934年に本願寺は伊東忠太の設計を基に再建されて現在に至ります。

国指定重要文化財

これだけ異彩を放つ建物なので、歴史的な価値のある建造物と認められて、築地本願寺の本堂と3つの門(正門・西門・東門)と石塀が、 2014年に国の重要文化財に指定されました。

重要文化財の正門と本堂
こちらも重要文化財の大谷石の石塀

この石塀の材料の石は、わざわざ栃木県の宇都宮市から大谷石(おおやいし)というのを取り寄せたものとのことです。
ちなみに本願寺の大谷上人と字は同じですが、「おおたに」と「おおや」ですので読み方が異なりますし、全く関係はありません。

内装にも注目

築地本願寺は一般に開放されているので、檀家さんとか、葬儀の会葬とかでなくとも中に入ることができます。

中に入って様子を見ると変わっているのは外観だけでなく、内装も独特であることに気が付くでしょう。

本願寺の本堂にはなんと「ステンドグラス」や「パイプオルガン」までもあるんです。

そこまでいくとインド風どころか、むしろキリスト教の教会的な要素まであって驚かされます(笑)

本堂入口扉上にある「蓮の花」を模したステンドグラス
本堂内にはなんとパイプオルガンが


正面入口手前の両脇から1階へと続く階段には様々な動物の彫刻もある。

鳳凰(左)と牛(右)
馬と獅子(左) 象(右)
一対の猿

宗派を超えた寺院

築地本願寺が位置する場所は銀座からすぐの距離。
東京駅からでもタクシーで10分もかからないぐらいの好立地。

都心部でこれだけ大きなお寺はそう多くはありません。

その上、本願寺ではその立地を生かし宗派にかかわらず本堂を葬儀会場として利用可能です。

そのため会葬者がたくさん集まる著名人の葬儀をとり行うことでも知られています。

実際に本願寺で葬儀が行われた著名人をWikipediaで調べてみると、竹下登元総理、三島由紀夫さん、大島渚さん、勝新太郎さん、中村勘三郎さん、XJAPANのhideさんなどがいるそうです。

XJAPANのhideさんにおいては多くの著名人を差し置いて、いまでも本願寺の1階に追悼コーナーが設けられています。

今も残るHIDEさんコーナー(撮影 2022年3月)


さらには、葬儀だけでなく仏前式の会場に使われることも。

仏前式の記念撮影をしていたところをパシャリ
(撮影 2015年11月)


おわりに

築地本願寺の建築の謎について、簡単に紹介させてもらいました。

築地本願寺は築地場外市場のすぐそばにあります。
また、銀座の和光ビルや歌舞伎座辺りからも歩いていける距離ですので、築地や銀座にお買い物や食事に訪れた際には是非築地本願寺にも立ち寄られてみてはいかがでしょうか。

敷地内にはお洒落なカフェ「本願寺カフェTsumugi」等もありますので、ゆっくりとお茶を飲んだり食事をしたりもできますよ。


築地本願寺へのアクセス

東京都中央区築地3-15-1

最寄り駅:日比谷線「築地駅」出口1直結

 有楽町線「新富町駅」 徒歩約5分
 浅草線 「東銀座駅」 徒歩約5分
 大江戸線「築地市場駅」徒歩約5分

築地本願寺の敷地内に日比谷線「築地駅」の出口がある

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