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マンガ版電子書籍化記念『オナニーマスター黒沢』原作者コメンタリー(4/4)

 マンガ版『オナニーマスター黒沢』の電子書籍化を記念したコメンタリーの第四弾です。
 本稿では同第四巻の内容をあつかっています。なお、本編のネタバレをふくみますので未読のかたはご注意ください。

第二十五発『繋がり』(原作:第二十一発)
 握手という行為が重要な意味を持つ回です。
 黒沢が女子トイレでのオナニーをやめるにいたる内面の描写は、なかなかしっくり来る表現が見つからず、マンガ化、原作文庫化のタイミングで本文に大幅な修正を加えました。

第二十六発『迫害されし者の懊悩』(原作:第二十二発)
 榛名と荒井が北原にお化粧を教えてあげる回です。机をなぎ倒したあとの北原の台詞は全編を通して気に入っている描写のひとつです。
 前後のエピソードとあわせて聖人化が著しい長岡ですが、そのクラス内での立ち位置は僕が高校生のころの同級生をイメージして書いていました。長岡圭史という名前は劇作家で俳優の長塚圭史さんから取っています。なぜそこから取ったのか、いまとなっては記憶が定かではありません。

第二十七発『Another Side』(原作:第二十二発)
 横田卓馬先生の発案で原作の描写をふくらませた、マンガ版オリジナルのエピソードです。
 原作は黒沢の一人称で物語が進行しますが、この回はすべて滝川の視点で描かれています。物語を補完する上で非常に重要なエピソードだと感じたため、文庫化にあたって原作小説にフィードバックしました。

第二十八発『彼女が消えるまで(前)』(原作:第二十二発)
 新都社で原作を連載していた当時、須川の人気がカンストした回です。『覇記』のくろやぎ先生がファンアートを描いてくださり嬉しかったのを覚えています。
 須川をヒロイン格のキャラクターにしようと思いついたのは第三発を執筆していたころでした。当時はまだ「ヤンデレ」「病んデレ」という属性が一般的ではなく、勝手に「ヤン(キー)デレ」というジャンルを創出しようと息巻いていました。

第二十九発『彼女が消えるまで(後)』(原作:第二十二発)
 北原のエクストリームリストカットが炸裂する回です。
 エピソード終盤の黒沢と小林のやりとりはマンガ版のオリジナル要素です。僕はクラス内での棲み分けや距離感を意識してキャラクターを動かしていて、黒沢が人並みの社交性を身につけたあとも、このふたりをがっつり絡ませる発想はありませんでした。サブキャラクターにも見せ場をあたえてあげようという横田先生のやさしさを感じます。

最終発『きみといっしょ』(原作:最終発)
 最終回です。サブタイトルは黒沢と北原の関係をあらわしています。
 このエピソードではドアを挟んで黒沢と北原の立ち位置が反転しています。
文庫版では、黒沢が自転車を押しながら「もう言いそびれるのはイヤだろ」と北原に語りかける場面につづきがあります。些細な会話ですが、この加筆が文庫版におけるもっとも大きな仕事だったと言っても過言ではありません。内容は文庫版を読んで確認してください(露骨な宣伝)。

番外発『アイ・ノウ・ユー』(原作:番外発)
 原作の連載完結時、あとがきで「蛇足だと思う」と予防線を張ったら意外とウケた番外発です。
 マンガ版はこの番外編で完結していますが、新都社に登録している原作のページでは『after the juvenile(一日目)』『after the juvenile(二日目)』という後日譚を公開しています。その後もツイッターで十周年記念の四コママンガを投稿したり、新都社の合同誌に四コママンガを寄稿していて、どれだけ立つ鳥跡を濁すんだという感じですね。ですが、どれもこれもこの番外編なくしては生まれていません。そういう意味では蛇足でもなんでもなく、必要な番外編だったと言えます。

こぼれ話
 あらためて自作品を振り返ってみて、僕自身忘れかけていたことの多さに気づかされました。同時に、さまざまな人、あるいはものからの影響も実感させられました。
 『オナニーマスター黒沢』は二十代はじめの混沌のなかでしか書けなかった物語だと思います。そして、制約と言える制約のない新都社でなければ発表できず、受け入れられることもなかったと思います。
 原作者コメンタリーは本稿で最後となります。ここまでおつきあいいただきありがとうございました。

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