【連載小説】ライトブルー・バード<12>sideマナカ③
前回までのお話です↓
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頬に当たる風が冷たい…。
メイン通りから道が1つ外れた平日の住宅街は、思った以上に静かで、老人や犬を連れている人が時々通りかかるくらいだった。
今泉マナカは、そんな場所の一角に立ち、ただただ一点を見つめている。
(私ったら…一体何をやっているんだろう)
彼女の視線は十数メートルほど先にある3階建てのアパートを捉えていた。側面に書いてある『オリーブグリーンハイツ』の文字と微妙な緑色の外壁がかなり目立っている建物だ。いや『周りの風景から見事に浮いている』と言った方が正しいか…。
通学バスの窓から外を見ていると、いつもこの緑色が目に飛び込んでいたので『オリーブグリーンハイツ』の存在は1年生の頃から知っていた。
だが、このアパートに荒川ヒロキが住んでいると分かったのは、つい最近のことだ。
(荒川さん…)
途中下車し、ここまで歩いて来たが、マナカはこれ以上アパートに向かって足を進めるつもりはなかった。
ただ、好きな人が生活している場所の空気にちょっと触れたかっただけなのだから…。
(ごめんなさい。すぐに帰ります)
心の中でそう呟くものの、マナカの足はそれを拒否して動き出そうとはしなかった。
☆
それは3日前、スタッフルームでの『ほんのちょっとした偶然』から始まった。
翌週分のシフト申請を書き終えたマナカは、いつものように用紙をマネージャーのデスクへ提出しようとしていた。
数分前までチーフマネージャーの小暮サヨコがここで仕事をしていたのだが、急な呼び出しの為に一時中断。机の上には書類がそのまま放置されている。
「…ん?」
そこには開いたままになっているサヨコの手帳もあった。他人のプライベートを見るつもりはなかったが、マナカはうっかり視線を滑らせてしまう。
「えっ…?」
驚き、そのまま動きを止めてしまったマナカ…。
そのページには何人かの住所が書き込んであり、マナカの片思いの相手である『荒川ヒロキ』の名前もあった。更にアパート名はあの『オリーブグリーンハイツ』。これは驚いても仕方ないだろう。
(うそ!? 荒川さんって、あの緑色の建物に住んでいるんだ!!!)
瞬時に部屋番号まで覚えてしまったマナカはドキドキが止まらなかった。
マナカとヒロキの仲の良さを知っていたスタッフは信じてくれないかもしれないが、2人はお互いの連絡先を交換していない。
ヒロキがしっかりと公私を分けていることを薄々感じていたマナカは、どんなに優しくされても『バイト仲間』 の領域から外れることはしない…と心に決めていた。
以前、ヒロキに好意を寄せているであろうバイトの女子が、皆の前で『荒川さん、私とLINEの交換をしませんか?』と言ってきたことがあった。おそらく公然で軽くお願いすれば、ノリで軽く受け入れてくれるのでは?…と計算したのだろう。
「あー、ごめんね。『俺ルール』でシフトを代われるスタッフ以外とはLINEの交換をしていないんだ」
優しい口調ではあったが、きっぱりと拒否したヒロキ。『良かった。やはり自分の判断は間違っていなかった』…と密かに安堵したことをマナカは時々思い出す。
(『俺ルール』か…)
そんな彼だから、自分のこんな行動がバレたら軽蔑されてしまうかもしれない。
(もぉ、いい加減にしなくちゃ)
腕時計を見ると、針は15時を差していた。
(うわぁ…。私、30分近くここに立っていたんだっ!! なんか怖っ!!)
しかも自分が立っている場所は自動販売機の側で、そこから隠れるようにしてアパートを見つめている姿はまるでストーカーだ。
ヒロキの部屋に自由に出入りできる女性はあの綺麗な彼女だけ…。そんなことは分かっている。
(彼女さん、ごめんなさい!! 私、荒川さんを取る気なんて全然ありません!! いや『取る』なんて言い方が既におこがましいよね。彼女さんに対して失礼だし、そもそも荒川さんはモノじゃないんだから…)
「よし! 帰ろう!!」
『彼女』のことを考えると ようやく足が動き、元来た道を戻ろうと振り向いた瞬間…
「…うそ?…何で?」
その数メートル先には、マナカのよく知っている人物の姿があった。
ちなみにヒロキではない。
ただし、ヒロキを『今、鉢合わせしたくない男性ナンバー1』だとしたら、彼は間違いなく『ナンバー2』だ。
「あれぇ!? やっぱり今泉じゃん。自販機の前で何やってんの? 小銭でも落としたか?」
「…………」
それは…友人の井原サトシだった。
☆
サトシとマナカは付き合っているとよく勘違いされるが、2人はれっきとした友人同士だ。クラス委員の仕事がきっかけで意気投合。そして今は『異性でありながら、お互いの片想いについて話せる大切な存在』となっている。
『荒川さんのことは、ただ想っているだけで充分』とサトシに言っている手前、ストーカーのような行動をとってしまったことは絶対に知られたくない!!
…と、いうワケで彼女は今、必死で上手い言い訳を脳内で模索中だ。
「…い、井原くんこそどうしたの? 」
質問を質問で返すやり方は好きではないが、他に対処法が見当たらない。
「俺? この先にあるスポーツ用品店に行くところ。部のヤツから靴の種類が豊富だって聞いて…で、行くなら部活が休みの今日しかねーなーと思ってさ。全く…足のサイズが30センチだと色々大変だよ」
「…そ、そ、そ…そうなんだ」
( あー、近くに書店や図書館があれば、それらしい理由を捏造出来たのに…)
マナカはどうしていいか分からず、そのまま視線を泳がせる。
そして…、
「あっ…」
彼女はそのまま凍りついてしまった。
マナカの視界に『オリーブグリーンハイツ』が入り込んだ瞬間、2階中央の扉が開き、誰かが出てきたのが見えたからだ…。
「荒川さん…」
ここからでも分かる。姿を現したのは間違いなく荒川ヒロキだ。
会いたくて仕方なかったが、今だけは一番会いたくなかった人…。
「え? 『荒川』って、あの『荒川』?」
マナカはサトシの腕を引っ張り、一緒に自動販売機の陰に隠れる。そして顔を真っ赤にしながら彼に言った。
「その『荒川』」
「あぁ…なるほどね」
どうやらサトシは秒で状況を理解したようだ。そして「向こう側に行ってくれるといいな」と小声で囁いた。
「無理かもしれない。大通りはこっち側だし」
マナカは身体を縮めながら小声で答える。
「俺と同じ店に行くなら進行方向はあっちだが…」
「スポーツ用品店は120%ない。…どうしよう。荒川さんにこんなところ見られたら…私、絶対に軽蔑される」
今にも泣き出しそうなマナカを見て、サトシは「参ったな…」と言いながら頭を掻く。だが次の瞬間、「そうだ!」と呟くやいなや目の前のマナカをギューッと抱き締めた。
「い、井原くん?」
マナカは当然混乱する。
「今泉ごめん。ちょっと辛抱しろ。あの人常識人なんだろ? 盛りのついたカップルのフリをすれば、絶対ガン見されねーはず。物理的にもオマエのこと隠せるし、一石二鳥だ」
「えっ?えっ?えっ?」
「ホラ、オマエもそれっぽく俺に抱きつけ」
「…………う、うん」
確かにこれに代わる方法は見当たらない。覚悟を決めたマナカはサトシにしがみつくように腕を回した。
そして…
「こっち来たぞ」とサトシが囁く。
やはりヒロキの進行方向はこちら側だったらしい。
ヒロキは今、自分のすぐ近くにいる!!
マナカの緊張は加速したが、それは自分だけではなかったようだ。
(…えっ?)
サトシの胸からドクンドクン…という鼓動が速いリズムで聞こえてきた。
(…も、もしかして井原くんも緊張してる!? うわぁ!! どうしよう!! )
理由があるとはいえ、よくよく考えれば男子と抱き合うような行動をする自分は、なんて大胆なんだろう…と思う。そしてサトシに抱き締められていることに対し、決して嫌ではない自分がここにいる!!
マナカは今、ヒロキにドキドキしているのか、それともサトシなのか…もはや判別不可能な状態になってしまった。
(井原くん、巻き込んでごめんなさい)
サトシに謝りながらも、マナカは彼の背中に回している腕の力を思いきりぎゅっと強めた。
☆
5分経過した。マナカにとって長いような短いような…何ともいえない感覚だった。
「おい…『荒川さん』いなくなったぞ。大丈夫か?」
サトシが腕の力を抜いて、マナカの様子を伺う。
「あ、…ありがとう井原くん」
「ギリギリセーフだったな」
2人は顔を見合わせたが、 直前の行動を思い出し、同時に視線を逸らす。
「…そのぉ…井原くん、ごめんなさい。山田カエデちゃんがいるのに、こんなことさせて…」
「あ、俺こそごめん。オマエの好きな男の前であんなこと…」
「ううん、本当に助かった。…でも井原くん、幻滅したよね?」
「何で?」
「ストーカーみたいでしょ?。…私、3日前に荒川さんの住所知っちゃって…どうしても彼の住んでいる場所を近くで見てみたくて…。でね、今日は短縮授業で帰りが早かったから、勢いでここまで来ちゃったんだ。…なんか…私…気持悪いね」
マナカは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「そうか!? 俺は別にいいと思うけど」
「えっ?」
サトシは二カっと笑う。
「オマエの片思い、優等生過ぎて心配してたからさ、ちょっとくらい羽目外してもいいんじゃね? 誰にも迷惑かけてないし。それに比べて俺なんか…」
サトシは数日前の『寸止めキス事件』を思い出して頭を抱える。
「『俺なんか』って…山田さんと何かあったの?」
「頼む…今は聞かないで」
苦笑いするサトシ。2人は再び目を合わせたが今度は逸らすことはなかった。そしてお互いの顔を見て笑い合う。
「なあ今泉、今から俺の買い物付き合えや。荒川さんと鉢合わせしない為の時間稼ぎっていうことで…」
「うん、そうだね」
☆
「ねぇ見た!? あの2人。凄い美男美女だったよね!?」「うん、お似合い」
スポーツ用品店に向かう途中、すれ違った女子高生グループたちの声がこちらにも飛び込んできた。またカップルに間違えられている。
彼女たちはマナカとサトシが友人同士で、それぞれ別の相手に絶賛片思い中なんて夢にも思っていないだろう。
(そう…私たちは友人なんだ)
それなのにサトシに抱き締められた時、自分の感情が迷子になってしまった。やはり男子と女子の友情を維持するのは難しいのだろうか…。
「井原くん…」
「何?」
「私たち…ずっと友達でいようね」
「…偶然だな。俺も今、それを言おうと思っていたとこ」
「そっか…」
その時、2人の間に一陣の風が吹いた。冬が来るというのに、何故か心地よさを感じたマナカだった。
<12.5>↓に続きます。