圏外の世界にいた

5日間、圏外の世界にいた。

正確に言うと、圏外で生活せざるを得なくなった。電波に色があったなら極彩色となっただろう東京の真ん中で、偶然にも1日にしてスマホを紛失し、ポケットワイファイの契約を切り、パソコンを自宅のフローリングに落としてクラッシュさせてしまった。

主要な連絡手段をすべて失うことになった僕は、文字通り「圏外の世界」で5日間生きることになった。

2016年の東京都心で、圏外生活は始まったのである。


1日目


「インターネットじゃないところに行きたい」とは、よく思ったものだった。

ゆるくもしつこい “友だちとのつながり” にうんざりしていた僕は、「インターネットじゃない世界」に行けば、あらゆるしがらみから解放されるのではないかとさえ思っていた。

だから最初こそ不安に思ったものの、7、8分もクヨクヨすれば後はかんたんに開き直ることができた。「しばらくはこのまま、デトックスしてみるか」と自らに言い聞かせ、圏外生活を送ることを決意した。

数年ぶりに電話ボックスに入り、財布から自分の名刺を取り出し、そこに書かれた会社の番号をプッシュする。上司にてきとうな嘘をつき、一週間ほど会社を休む旨を伝え、それがあっさりと承認された。

そもそもこれまでがインターネットに浸かりすぎていたのだ。「仕事してるのか」って言われるぐらいツイッターにかじりついていたし、フェイスブックにリアクションするのも完全にルーティンと化していた。インスタグラムの画像加工が唯一「つながっていない」感覚に陥るが、それも「つながるため、見せるため」にやっていたことだ。圏外となった今、誰かに見せるため、誰かとつながるために生きる必要はない。自分が満足いくように生きることに、集中できる。

圏外生活1日目、誰ともつながっていないことへの不安と、自由を手に入れた喜びに震えている。


2日目


一度圏外になると、インプットが増える。

いいことがあったとき、珍しいものを見たとき、新しい店を発見したとき、これまで「誰かにすぐ伝えなきゃ」とはやる気持ちを持ったが、今や連絡する手段がない。

慌ててポケットに突っ込んだ手をゆっくり戻して、そうかと納得してみせる。

アウトプットの手段が減った分、インプットが蓄積されていく。見たもの、感じたものがそのまま脳に残る感覚を得る。情報量はオンラインのほうが圧倒的に多いが、果たしてこれまで、得た情報をどこまで脳に通していたかは疑問だ。圏外生活を始めてちょうど24時間が経とうとしたところ、軽く頭痛がするほどにインプットに徹していた自分に気付く。

学生時代の講義だってなんらかのアウトプットがある。テストだって授業中の発表だって、立派なアウトプットだ。でも紙もペンもなく発信する方法も何も無い状態で1人街に出ると、本当に一日中、インプットに徹することになる。

本や映画、音楽、演劇など、完成された情報ばかりではない。駅看板のフォント、満員電車に詰め込まれた人々、改札前でキスをするカップル、つまらなそうな顔でレジ前に立つコンビニ店員。それらを全て一線引いたような気持ちで眺めると、情報として脳に残る。

圏外生活2日目、情報の濁流から陸に上がり、目に飛び込んでくるもの全てをよく見るようになる。


3日目


一度圏外になると、時間を忘れる。

携帯電話を持つようになってから、腕時計をつけなくなった。ポケットからスマホを取り出せばすぐに時間はわかるし、目覚まし時計もスケジュール帳も、時に関わるすべての実権は携帯が握っていた。

そんな優秀で残酷な監督者が、一昨日からいなくなったのである。僕はすこぶる時間にルーズになったし、少し寛大な気持ちでいられるようになった。一本や二本電車を乗り過ごすことも、一駅二駅降りそびれることも、そこまで苦ではない。

電車やバスに乗るとき、時刻表や電光掲示板を見る。しかし、そもそもいま何時かわからないと、それらも意味を成さない。次の電車がいつ来るか、わからない。

それでも東京は便利な街で、休日でも10分あれば電車は来るし、バスだって30分待たされることはほとんどない。何も急ぐことのない僕は、その時間を読書に当てて過ごした。

あとは体内時計に頼る。日が暮れるタイミングと空腹になるタイミングは、3日目にもなればリズムが掴めるようになっていた。2日目のときは「やけに日が短いな」と感じたが、今日にはそれも慣れている。

圏外生活3日目、時間は刻むものではなく、流れているものだと実感する。


4日目


一度圏外になると、無知を知る。

ちょっとした辞書替わりにスマホを使っていたらしい。漢字の正しい書き方がわからない。好きな人の電話番号もわからなければ、地下鉄から地上に上がると、今どこに自分がいるかもわからなくなる。

こうして生活していると、脳の一部をスマホという名の外付けハードディスクに移していたのではと思う。誰かの誕生日も友人の数も、計算機も辞書もすべてそこにしまえばいいから、脳は基本的に稼働しておらず、だからといって大量のインプットができるかというと内部メモリは依然としてパンパンになっている。

ITが発達した結果、それを享受する僕の脳はとっくにキャパオーバーしていたのかもしれない。

「あれ? あー、あのメモはパソコンに移したんだった。あ、あのデータも、スマホに入ってたんだっけ。どこにしまったかもわかんないや」

わからないことだらけになった僕はなんとなく書店に寄って、その店でいちばん軽い辞書と、その店でいちばん新しい地図を買う。気休めにもならないが、何もないよりはマシだ。そもそも地図コーナーなんて立ち寄ったことがなく、じっと自分の相方を探すだけで、なにか楽しくなるものだった。

圏外生活4日目、知らないことを知ると、人は知りたくなるものだということを知る。


5日目


一度圏外になると、上を向く。

都心を歩いていると、誰も前なんか見ちゃいない。立ち止まれば手のひらの画面に目をやり、歩き出しても誰とも目を合わさぬようにうつむいて進む。

手元に見るものが何もない場合は、上を向くしかない。満員のエレベーターでずっと行き先階を見ているのと、同じ感覚だ。まだ上を見たほうがポジティブになれそうなものである。

普段はかろうじて視界に飛び込んでくる程度の雑居ビルも、実は3階や4階に見たこともない雑貨屋やバーが存在していたことがわかる。その情報はスマホよりもずっと確実で、興味深くて、身近。

道路の標識もよく眺める。これまでナビに頼りっぱなしだった体に土地勘なんて存在せず、慣れ親しんだ道のはずが異国の街みたく思えるので、青い看板を眺めながら、位置関係を把握するために必死になる。

「渋谷」と「新宿」は意外と距離があって、「初台」はまさしく「台」のように坂の上にある。迷子になってこの目と足で実感した東京は、思ったよりもデコボコしていていびつなことがわかる。

圏外生活5日目、俯き歩く人々をかきわけて、上を向く。



6日目の朝、圏外生活は終わりを迎えた。

何がきっかけというわけでもない。ただ「都心のド真ん中で5日間くらい、圏外を味わってみたかった」という好奇心のもとに実行した圏外生活だったから、それが実現した今、とくに一生続けようとも思わず、あっさりと終わりを決意した。

パソコンを家電量販店に預けて、ついでにスマホを購入する。SNSアプリを一通りダウンロードすると通知が鳴りだして、あっという間に非日常は日常に戻る。

前より少しだけ道に詳しくなり、無知を知り、支配されていることを知った僕は、また手元で光る監督者を操りながら、東京で日常を過ごす。

でもその日常に、非日常が潜んでいることを僕は知っている。




※この話はフィクションです。






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コメント4件

情報が氾濫する世の中…時にはこんな生活もいいかも知れない…
でも…仕事出来ないよね。
私も圏外生活してみたいと、思いきやフィクションだったのですね。でも、してみたいです。
より一層社会問題化したら、断食月ならぬ「断スマホ月」が奨励されるかもしれませんね 感慨深いです。ありがとうございます。
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