見出し画像

言葉を言葉にする、言葉を伝えるパワーが足りない

前回のnoteを公開したのが2022年1月なので5ヶ月ぶりくらいの更新。
その5ヶ月くらいの間、様々なシーンで言葉を紡ぎ出すことができない自分だったので、それについてふりかえって、紡ぎ出すことができなかった理由を考えてみようと思う。

「言葉を紡ぎ出すことができない」というのは、自分の中に何かが浮かんできたとしても、それを自分の外に出すことができない。言語の断片までは出てくるのだけど、それを紡いで自分の言葉として語ることができない、ということ。
それはnoteだけじゃなくて、TwitterやSlack、人と話すことにおいても同様で、言葉が自分の中でぐるぐる回っている感じで出てこなかったので、このnoteを書いて公開するのも数ヶ月かかってしまった。。

自分の中にあるものを紡ごうとすると止まる

自分自身、ファシリテーションやコーチングをすることが日常なので、その場にあることや見えることを言葉にすること、その言葉をつなぐこと、その場にいる人たちから言葉を引き出す機会はとても多い。その場にまだ出ていないことを自分で言葉にすることもあれば、参加者から言葉が出るような働きかけをすることもある。
そういったことはできるものの、自分自身の中にあるもの、思いや感情を言葉にして紡ぐ、綴ろうとするとその途端に止まってしまっていた。思いや感情、思考が止まってしまう感じ。止まってしまうと、自分もそこから動けなくなってしまって、そしてそこから離れていってしまう。
そんなことを何度も何度も繰り返していた。

自分にもコーチをつけているので、コーチとのコーチングセッションの中ではそれなりに言葉は出てくるのだけど、それはやはりその場における言葉の断片でその言葉が紡がれていかない。
こう書くと誤解を招きそうなのだけど、人と対話する中では自分の思いや感情が伴った言葉は出てくる。紡がれない、綴ることができないというのは、出てくる言葉が全部じゃなくて、欠片なのかもしれないと思っているから、そう感じているのかもしれない。
自分の中に埋まっている言葉を全部掘り起こして、それを自分の中から出したいのに、埋まっている表面だけを削って欠片がバラバラと出てきている。
その欠片を集めて伝えようとしていたのかもしれないのだけど、伝えて切れていなかった。
埋まっている言葉はどうすれば全部掘り起こすことができるのだろう。

言葉を言葉にする、人に伝えるために必要なパワー

言葉を言葉にする、自分の中にある思いや感情を言葉にして、人に伝える、日常的にそれを行っている人もいれば、それができない人もいる。
それはとてもパワーがいることだから、そのパワーが足りなければ言葉にすることはできないし、ましてや人に何かを伝えることはできない。
そのパワーが自分には足りなくて、足りないどころから徐々に減っていっているように感じている。

noteを書けない、公開できていなかったのはまさにそれが要因だったと思うのだけど、TwitterやSlack、人と話すことにおいても同様だったのは、それぞれのシーンで目に入ってくる、聞こえてくる言葉に怯んでしまっていたのかもしれない。他の人たちの言葉に向き合うパワーが足りなくて、それらの言葉に怯んでしまって、さらにパワーを失っていたのかもしれない。
いつの頃からそうなっていたのかはわからないけど、いまは自分にそのパワーが足りていないことは実感できるし、そのパワーが増減しているのもわかる。一瞬増えることもあるのだけどすぐに元に戻る。こうやって書いている最中にもパワーが激減してしまい、書きかけのnoteをそっと閉じようとしたことが何度もあった。

これはリハビリのためのnote

ふりかえってみると、いまの自分はそんな感じなんだろうなぁと、ようやくここまで書くことができた。途中で何度も挫けそうになったけど。
これはそんな状態の自分が言葉を紡ぐことができるようになるためのリハビリのnote。まずは言葉を綴ってnoteを公開すること。それを目的として書いたので、リハビリの一歩は踏み出せたかもしれない。

コーヒーを飲みながら書いていることが多いので、サポートいただけたらコーヒー代として使わせていただきます!