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余計なことを言わなければ良い?

私が住んでいるのは日本の田舎だ。住んで2年。

この県の人たちは、言いたいことを言わない。


多分これは田舎ならどこでもそうかもしれないけど、

言いたいことをなんでも言っていると、人間関係が悪くなり

その土地にいづらくなるからそうなったんだと思う。

都会とは違って、どこに誰が住んでいるかはみんな把握しているから。

だから、みんな言いたいことは心にしまって、本音と建前を使い分ける。


あ、これは田舎に限らず、どこでもあることかもしれない。

自分の生業にしているビジネスがあったりすると、変な噂を立てられたくない。

言いたいことをなんでも言いあうというよりは、

表面的な付き合いになっているのを見かけたことがある。


でも私は言いたいことを言う。

関西でそんなふうに鍛えられたせいもある。
(関西に住んだ時、アメリカみたいだと思った。自己主張してもいいんだと思った。)

私は言いたいことを言うけど、相手が言う権利も残しているつもりだ。


「私はこう思う。こう感じた。あなたは?」


違う意見があって当たり前で、違うところをお互い知りながら、

すり合わせたり、認め合えたりできればと。


でも、思いを言わない人が多い。

今まで言ったことがないんだから、もはや自分がどう思っているかすら、

わからない人もいるのかもしれない。


結果、ただ嫌われるだけで疎遠になって終わってしまう。


うーむ。。。


それで、一時、こう思ったこともある。

「何も自己主張しないで相手に合わせられるような、好かれる人になりたい」

実際、好かれる人っていうのは自己主張が少ない人だった、私の周りでは。

自慢せず、控えめで、誰かが噂話をすれば乗り、

誰かがこれが好きだと言えばふむふむと聴き、

誰かが自慢話をすれば褒める。



そういう人になりたい、と思えば思うほど、今の自分を否定することになる。

今の自分が嫌いになる。


それで本当にいいのか?とも思った。


大坂なおみ選手の自己主張は、「余計なこと言って・・・」と言われてしまうことなのだろうか?(そう言ってる人がいた)


今まで、誰も彼女の心を気にすることはなかった。

それは、知らなかったから。今回彼女が言ったから、知ることができた。


大きな組織だから、今までの慣習だから、と続いている様々なことに、

意見するだけでこんなに生きにくくなってしまう社会が、良い社会なのだろうか。


自分はどんなふうに生きたいだろう。

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