『命よりも大切なものがある』がん哲学外来 樋野興夫先生の教え

『命よりも大切なものがある』


本書のタイトル「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」もその一つです。これはマルティン·ルター(ドイツの神学者·牧師)の言葉を私風にアレンジしたもので、そこには次のような意味が込められています。

「命よりも大切なものはない。命が一番大事」とは考えないほうがいい。
命が尊いことは確かですが、「自介の命よりも大切なものがある」と思ったほうが、私たちは幸せな人生を送ることができるようです。
「命が何よりも大切」と考えてしまうと、死はネガティブなもの(命の敵)になり、あるときを境に死におびえて生きることになります。

命よりも大切なものを見つけるために、自分以外のもの、内から外に関心を向けてください。
あなたに与えられた人生の役割や使命が見えてくるでしょう。
そうして見つけた役割や使命を人生最後の瞬間までまっとうする。
つまり、明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげるのです。

(『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』「はじめに」より 樋野興夫著 幻冬舎刊)



冒頭から引用文で失礼致しました。でも、この文章を読んで、こころからの納得が得られた方も多いことと思います。


友人の飯田智子さんからお誘いいただいた市民公開シンポジウム
『アスベスト・中皮腫外来の歩み』が2月1日、順天堂大学で行われました。
飯田さんは青葉中学の同級生。様々なご縁があって、今は彼女の主催するNPO法人リュバンローズ、特定非営利活動法人 乳がん患者会をサポートさせていただいています。また、「似合わないことこの上なし」ですが、アロマテラピーも教わっています。

この日は長い会議の後で頭がカツカツでしたが、樋野興夫先生のお話が聞けるとあって、喜んで駆けつけました。
樋野先生とは初対面でしたが、気さくな感じの素敵な先生でした。
飯田さんからの強いお薦めで手にした本が冒頭の「明日この世を去るとしても…」でした。

一つひとつの心に響くお話が、短いなかに深く味わいたい表現があって、私は疲れた時に、ぱっと開いたページを読んでいます。
『この世の中を、私が死ぬときは、私が生まれたときよりも少しなりともよくして逝こうじゃないか。』という内村鑑三氏の言葉を引用し、「いまからでも遅くありません。あなたの居場所を見つけてください。」と先生は訴えておられます。

高校3年の時、雨の日の交通事故で「ああ、こんなことで死ぬのか…」と思った私は、強運にも入院もせずに軽症ですみました。あの時から、目に見えない大きな意思によって自分は生かされている、と感じています。その後もキャンプのボランティアで台風直撃の時、春休みの赤岳で凍った斜面を滑り落ちた時など、普通なら命はないなと思われることが何度もありましたが、その都度、この生かされている感覚になりました。「この世にやり残した重大な案件がある。それをやり遂げるまでは生きて頑張れ」と言われているようでした。だからこそ、エネルギーの落ちている人や、周りから余計なことをされて困っている人を放っておけないのだと思います。

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さて、昨夜の市民公開シンポジウム『アスベスト・中皮腫外来の歩み』です。
そもそもアスベストがいかに危険な物質なのか、教わりました。

アスベストとは、天然に採取される鉱物の一種であり、石でありながら軽い綿状の性質を持つことから、石綿(せきめん/いしわた)とも呼ばれる物質です。加工しやすいことに加えて、耐火性・断熱性・電気絶縁性が高い性質があり、一時期は断熱材や保温材、防音材として建築物に多く使用されていました。しかし、アスベストを吸入すると、肺がんや悪性中皮腫などの悪性疾患をはじめとした健康被害を引き起こすことも知られており、現在、日本では使用が制限されています。しかし、建築材として過去に使用されたものについては今でも残存している部分もあります。(2018年時点)

また、アスベストに関連した健康被害は数日、数か月後に出るというものではなく、なかには数十年経ってから発症するものもあります。そのため、一時的なものではなく、長期的に続く問題と捉える必要があります。

悪魔の繊維とも言われるアスベストは、製造工場に勤務していた人だけでなく、たまたま吸ってしまった=曝露(ばくろ)してしまった人までもが発症する病気です。曝露から30年〜50年で発症したときには、手遅れになっていることが多く、2005年の尼崎のクボタ・ショックでは、10年で51人の方が亡くなられたそうです。
にもかかわらず、日本ではまだまだ一般に認識が足りないと思われます。
地震国日本では、長きに渡って建物の建材として使われてきたアスベストが、建物の崩壊によって露出することがあるので、その際に被曝するかもしれないのです。

N-ERCという腫瘍マーカーの話や、胸膜全摘手術から胸膜切除術、化学療法などの治療法、中皮腫ができるのは肺ではなく胸腔であることなど、初めて聞くことばかりで、勉強になりました。
「いいチームは不可能を可能にする」と教えていただきました。

樋野先生のおっしゃる言葉の強さ。
・がん学者」の2つ使命は、『最先端の診断・治療』を身に付けた「学者的な面」と「深い哲学と広い教養」を備え「静思から得られた結論」を語る「人間としての面」であろう。「時代を動かすリーダーの清々しい胆力」でもある。
・「病気もがんも、単なる個性である社会を作ろう」
これらの言葉に、がん哲学外来創設者であらせられる先生の強い意志を感じました。
「21世紀は「環境発がん 〜 アスベスト・中皮腫〜」で、日本国は世界に貢献する時であろう。」

平成が終わろうとしている今、これからの日本の姿をこうと決めつけず、「新しいことにも 自分の知らないことにも謙虚で、常に前に向かって努力している」樋野先生のようになりたいと思いました。



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