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年頭に想う 街を守る・・のを妨げるもの

あけましておめでとうございます。

昨夜、大晦日は地元の青砥神社にて、お手伝いをさせていただきました。氏子ではあるものの最近のことなので、まだまだ分からないことが多く、ご指導いただきながらの活動です。

自分も氏子としてお手伝いを昨年から始めるまでは、知らなかったこと。例えば、午後11時半過ぎから配る甘酒800人分を作るのに、午後9時からヤカンにお湯を繰り返し沸かしては運び、沸かしては運び…(これが私の仕事になりました。)
そもそも、甘酒配り用のテントは明るいうちに氏子会の皆さまが組み立ててくださっていて…。初詣の準備は全てやっていただいてありました。
自分が関わっていない場面や、その場に居らず知らなかった場面などの計り知れない数多くの場面で「多くの人にお世話になっていること」をいかにイメージできるか。ここに普段の何気ない生活の中で、日々感謝して過ごせるかどうかのヒントがあります。

なのに、神社の夜警に来てくださっていた消防団の方と話していて、とんでもないことを聞きました。

私からは、町会の夜警で「うるさい!」とベランダから怒鳴られた人がいた件と、公園で「携帯で話してんのがわかんねえのかよ」と追いかけられた人がいた件を伝えました。すると、消防団の活動でポンプ車を移動させていたら「うるさい」と言われたと。

さらにとんでもないのは、救急車にもうるさいと言っている人がいるということでした。
「たまにしか通らないけどうるさいのよね」と言ったというその人は、自分や家族が緊急事態で搬送されるというイメージができないのでしょう。

不謹慎な事を言いますが、現場で人の命を預かっている消防の方々の苦労が理解できないのもどうかと思いますが、何でも自分の都合、自分の基準で周囲の善意を排除しようとするならば、公共サービスなど一切を頼らずに生きていってほしいとさえ思ってしまいます。

以前、どこかでも書いたのですが、世に言う「炎上騒ぎ」を起こしている人のような、自分は顔も名前も個人情報は出さない安全なところから、誰かのミスをあげつらって文句ばかり言う人、またそれを面白がる人、またその風潮が無くなってほしいです。

そして、議論すべきはきちんと議論を重ね、話し合うことを通じてお互いのことを知ることができれば、課題解決への意識も向上させられると思います。
「三人寄れば文殊の知恵」というように、賛成の側も反対の側も、より良い解決に向けての話し合いをしていけば、きっと良い解決策が出てくると信じて私は日々活動をしてきました。

炎上させて喜ぶのではなく、心を広く、どんと構えて、
みんなが喜ぶことにエネルギーを使い合える世の中にしていきたいです。

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