威張るな。

ひがんでいると思ってくれていいんですが、
最近、KO大学出身の人が嫌いで嫌いで仕方ありません。

世話になっています。ありがとうございます。
でも、すみません、もう、でもマザーグースの
I do not like thee, Dr.Fell なみに嫌いです。

マザーグースと違って私は理由がしっかりわかっています。

最初のうちは、あの、すぐつるむ感じがいやなのかな、と
思ってました。

KOの人のイベントを手伝った時に、ペンのマークのTシャツが
肩にあしらわれたTシャツを支給されました。
しっかりしたつくりだったので、家で着られるなと思ったんですが、
間違えてジムに持って行ってしまったことがあったんですな。

するとね、もう、わらわらわらわら来るんです。
奈良公園で鹿せんべい出した時くらい、わらわら来るんです。

「あなた、三田?」

「あなた、塾校?」

KOって言わないの。「三田」「塾校」なの。
知らんけど。
日芸の人が絶対日大って言わないと同じくらい
「三田」なの。

「違います」と言ったら、
興味を失くしたように、みなさん去って行きました。
でもまぁそれはそれで。同窓生とつるむの楽しいのは
わかるから、まぁいいや。いいことにします。

さて本題です

私が、「あ、やっぱり嫌いかも」と
思ったのは、
とある場所での、卒業生の会話を聞いたからです

全員下からの、卒業生。
みなさん裕福なんでしょうね。

一人の女性(多分70代前半)が言いました。

「社会とか人間って絶対に平等じゃないわよね」
それに「そうだそうだ」と頷くおっさんたち。

私だって人が平等だなんて思っていないんですが、

前後の話の流れからいって

この女性が
「だから教育の機会を均等に!」とか
そういう福沢諭吉先生の建学の志的な意味ではなく

「私たちは勝ち組だ」と言いたいのがよくわかった。

上品なバーで。
大声で。
誰が聞いているかわからないのに。

「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」は
KOの福沢諭吉の「学問のすすめ」の1文です。

これって福沢諭吉が平等を説いた言葉として引用されることが
多いんですが、
この1文の下には「と言えり」がついていて、
福沢諭吉自体、これをアメリカの独立宣言からひいてきている。

(全ての人間は生まれながらにして平等である、ってやつですな)

そして、このあと諭吉は
「でも実際には貧富の差、才能の差とかある。それを埋めるには
勉強するしかないのだよ」と言ってるわけですよ。

何が言いたいかといえば、

「たまたま金持ちの家に生まれたってだけで、威張るな」

と、これに尽きますな。
太宰の「親友交歓」のラストなみに、
言い放ちますよ、「威張るな」と。

私は口は悪いが育ちはいいので、
本当に育ちのいい人がどんな教育を受けているか
なんとなく知っている。

つまりは
上記のようなことを人前で言うなってことだ。
育ちや家柄がいい人は、うらやましがられ、
それはいつしか妬みに変わる。だから威張るな、と。

というような話を中高の同窓生にした。

彼女は一言こう言ったのですね。
「成金て、ほんと威張るよね」。

そう思い始めるともう止まらない。

思えば、知り合って「褒めてやんないと機嫌が悪い」のは
いつもKOのじーさんだったな、とか。
いや、実際には酒場にいるじーさんってのは褒めないと
機嫌が悪い人が多いものですが、
もう一度走り出した「KO、なんか鼻につく祭り」は
しばらく終わらない。

「じゃあ、お前は威張ってないのか」と言われるかもしれないが、
私は外では威張らない。
その反動で家でアレクサに威張り散らし、
誰も読んでいないこんな場所で、KOを攻撃させてもらうくらいは
許してください。

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