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『マンガ ぼけ日和』 に思うお隣への愛、自分の愛。

電車に乗っていると目線の先々に広告が掲出されていて、電車中の時間ぐらい視界を邪魔されずのんびり景色でも見たいもんだ…と、どこにいてもアナログ・デジタル両面からの情報攻めにうんざりしてしまうことも多い。
乗降扉の横のスペースに設けられた広告枠には時の話題本なるものが紹介されていることが多いが、大概が自己啓発系で「全米が泣いた。常識がひっくり返った。」系の推しコメントが添えられている。
先日久々に電車に乗っていて、ふと目に留まったのが『マンガ ぼけ日和』の紹介だった。
原案を書かれた認知症専門医の方の小さな顔写真と、情報の多すぎない和やかなイラストに誘われ、すぐに購入を決めた。
「私にも何かできることがあるかもしれない」と思ったからだ。

数ヶ月前から、隣の家の女性がボケ始めた。いわゆる「認知症」なのかどうか医学的な診断は私は知り得ないので親しみを込めてボケたと言っておく。
ある日、大きな喚き声で私は夜中に目を覚ました。
「〇〇が亡くなりましたぁぁ〜、〇〇が亡くなりましたぁぁ〜。」
ひたすら、家の外で繰り返しこう叫ぶのである。
救急車を呼んだ方がいいのか、でも何か変じゃないか?と思いつつ、寝ぼけながら様子を見ようと布団から這い出したところで、近隣から怒号が飛んだ。
「うるせーーー!!!いい加減にしろっ!!」
確かに深夜だ。かなりうるさい。家族はどうした。すぐに男性が出てきて女性は家の中へ回収されていった。
それが始まりだった。
(きっと家庭の中ではそれより前から始まっていたのだろうが。)

それから毎日、家の中で叫ぶ声や、時には叫びながら家から出て回収される様子を見聞きするようになった。
このままどうするのだろう?デイサービスなど利用しないのだろうか?家族構成は…と気にはなるが、互いに見知った仲でもない。(私は隣の家の2階の窓から見ているだけだ)
ほどなく、デイサービスのお迎えの車が来るようになり、外部を頼ることに決めた様子に私もひとりほっとした。
週に数日だった利用が、すぐに、ほぼ毎日へと変わっていったように思う。
たまたま窓辺に立って夕空を眺めていたところへデイサービスの送迎車が到着し、お婆さんのお迎えシーンに出会したことがある。
私はあっと声が出そうなほど驚いた。
サービスを利用してからまだ1ヶ月も経っていない頃だったと思うが、お婆さんはすでに自力で歩けなくなっていた。
毎日聞こえてくる叫び声は張りがあって力強い。だから体は元気なのだろうと思っていたのだ。症状を知ってすぐの頃に見かけた時は家の外をうろうろ歩いていたのに、すっかり足は痩せて、車椅子から車椅子へとおじいさんがよたつきながら持ち上げて移動させる姿に老々介護の厳しさを見るようで胸が締め付けられた。(ちなみに娘さんと思しき人が同居されている)

それから数ヶ月経つが、毎日の叫び声は変わらない。
正直に言うと、こちらが精神的に下降気味の時は、やめてくれ、いい加減にしてくれ、喚きたいのはこっちだと、叫び返したくなる時もある。
ご家族も近所迷惑とさぞ肝を冷やされるのだろう、肩身狭そうに暮らす様子が何とはなしに伝わってくる。
けれど、ただそれだけじゃ、あまりにさみしい世の中だ。
叫び声と同じくらい、笑い声が聞こえてきてもいい。
だからせめて、叫び声が聞こえて来た時は、「ああ今日も叫んで元気。生きてる生きてる。」と思うことにした。すると不思議なもので叫び声に反応する自分の感度が低下したような気がする。
そして毎日、お婆さんは大体同じ時間帯に叫ぶ。
朝のお出かけ前。「痛いよー!ひどいよーーー!!」ひとしきり叫ぶとそういう仕組みのようにガチャっと玄関扉が開きサービスへ出陣となる。
夜のオムツの替え時。「痛いよー!ひどいよーーー!!!」叫び声の中、ガチャっと勝手口の扉が開いて外の専用ゴミ箱へオムツが放り込まれる音がする。おばあさんにだって、恥じらいというものがあるのだなと思う。

そんな訳で、珍しく即買いした。
読んでみて、良ければ、何か温かいメッセージでも添えて、この本をそっと隣の郵便受けに差し込もうとも密かに思っていた。
大丈夫ですよ、応援している近所の者だっているんです、と伝えようかと。
(読み終えて、差し出がましい気がして、そして自分もこの本を持っておきたい気がして、まだ決行できていない。。)

隣家を思うと同時に、自分の身の上も思った。
私が今、愛する人は、年齢だけ見れば後期高齢者なのだ。
あと何年、健康で、一緒に笑って過ごせるのだろう?
彼はかなり肉体に無理がなく美しいし、おそらくボケないだろうという根拠のない確信がある。けど、確約なんてどこにもない。疑い出したら、キリがない。
あと何年、一緒に無邪気に戯れあえるのだろう?
一般的な恋愛・夫婦生活と比べて、その歴史が短命に終わるのは自然の理だ。なぜ私は、わざわざ、それを選ぼうとしているのだろう?
そう思うと涙が溢れてくる。
けれど同時に、強く、強く、胸に声がこだまする。
「一刻も早く、一緒にいましょうよ」と。
あぁ、時間が勿体無い。一緒にいない一分一秒が、今の私にはあまりに勿体無い。
やっと、やっと、一緒になれたとしても、一緒に老いてあげられない。
きっとわかってあげられないことも沢山あるだろう。
私が老いる頃、彼はもう私の隣にはいない。
そんな短い先を覚悟できるだろうか?
覚悟できているの?覚悟しているの?と問われても、私には答えようがない。そんなこと、覚悟がいるの?と思ってしまうのだ。
一緒にいたいからいる。
するとこう言ういう人もいるかもしれない。
一緒にいたいじゃすまない時が来たらどうするの、と。
さぁどうするのでしょうね。そんなこと、何歳だろうと誰であろうと来る時は来るじゃないか。そんな先の不明な(先なんていつだって不明だ)不安のために、育んできた「一緒にいたい」を無碍にすることの方が、私にはよほど覚悟がいる。でも覚悟する意義が見当たらない。
一緒にいたいから、いる。いたいからいる。いたいからいたいからいたいから…が続いて、いつかどこかの時点で空に還っていく。それだけのことじゃないだろうか。
そして、それが一番幸せだなと思うのだ。条件付けて一緒にいるわけじゃない。好きだから、一緒にいるのだ。それだけだ。

私が彼と同じ年頃だったら?あと10歳年取ってたら?20歳上だったら…?
結局、同じことを私は言うだろう。「早よせぇや」と。
じゃあ、彼がもっと若かったら…?
もしかすると、ここまでシンプルになれなかったかもしれない。

先が短いなら、なおのこと早く一緒になりたい。
一緒に老いてはあげられないけれど、彼の気を世にも妙なほど若く保つ薬にはなってあげられるかもしれない。
わかってあげられないことも沢山あるだろうけれど、自分が老いた時、あぁこういう気持ちだったのねと分かってあげられるだろう。
老いる私の隣にはいてくれないけれど、追いつく発見のたびにきっと彼に語りかけるだろう。
たくさんたくさん、いっぱいの思い出を作りたい。特別なことじゃなくていい。むしろささやかな日常のあらゆる物事にこそ愛しい思い出を宿したい。小学生の頃、好きな人の名前を書いて消した消しゴムのカスを捨てられず大事に取っていたように。
全てが、去った後もプレゼントになるだろう。
いちいち、大量の涙を流すかもしれない。きっとそうだと思う。それでもいい。それでいい。
(元気にさっさと他の人を愛していることだってあるかもしれない。)

こんなことを私が願っているなんて、きっと彼は思いも寄らないのだろう。
疎ましく思うか、驚くか、申し訳なく思うか、喜んでくれるのか、私には、わからない。
でも、もう、それを気にすることすら、時間がもったいなくなってしまったのだよワトソン君。
あぁ早く、一緒に暮らしたいなぁ。
なんて、彼から断られたら、なーーーんだなんですけど、ね…。

そんなことを思わせてくれた「ぼけ日和」。
ボケてからに限らず、人生どの瞬間をもできる限りイキイキ過ごすことが、一人ひとりの人生にとって何より大事。
そしてふと思う。
だ…大丈夫か、わ…わたし…(- -;)
かなり根暗に孤独に不活発に過ごしてきた私。花粉症みたくボケ粉みたいなのが体内に蓄積していくものなら、かなりグレードきてるよなと焦ります。
焦ったところで仕方ないのだけど。
こ…これからよこれから。今よ、今、と自分を宥めつつ、印象的だった「時間」と「空間(場)」の概念の消失を思い出す。

ボケるとはある意味、究極的に「今を生きる人」になっていくとも言える。
時間や場や存在の情報を伝えることで安心するのは、人間として慣れ親しんだ感覚に近付き戻るからであって、実のところボケてる方がもしかしたら本来的な在り方に近づいているのかもしれない。
それまでの人生にどれほど自分が満足し、どれほど葛藤を抱えていないか、その度合いが情緒の揺らぎになってあるいは現れたりするのだろうか、と。
そんなことを勝手に思うにつけ、やはり特別な何かじゃなく、日常の手元の瞬間を愛する人でありたいと思った。

そんな、本でした。
ありがとう。

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