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時々感じる日常の不安

この先自分はどんな人生を歩んでいってどういう人になるんだろう

私はよくこの疑問をいだきます。みなさんはどうですか。

最終的には正しい答えなんか出てくるはずはありませんが私は無意味にこのことを考えてしまいます。こういう不安のようなものはふとした瞬間に現れてきて絶望することが多いですが、時には少し期待とかワクワクに変わることもあります、、、

私はそんなに長い間生きているわけではありませんが、日常でよく考えていたこの不安が少しの期待に変わった。そんなエピソードをお話しします。




この話を始める前に、同じ不安を抱えている人が私と同じように少しの期待に変化する手助けができたらとてもうれしく思います。
こういう投稿は、時にはあなたの心を害してしまうこともあるかもしれません。その場合は申し訳ありません。「なんかこんなこと言っている人がいるな~」ぐらいで受け流してください。。。


成長していく過程で漠然とですが素敵な大人になりたい。女性であれば魅力的な女性になりたいと感じるのが多くの人が考えることなのかなと感じます。私も同じように感じています。

でも、「どんな人になるんだろう」と考えたとき自分が自分のことをよく知っていますから、一つも素敵な女性になる自分像を想像できません。

こういう時、私は「まずは大人にならなきゃ。」と大人というものがどういうものなのかしっかりとわかっていないのに考えて焦ります。

「大人にならなきゃ」と考えて焦りますが、本を読んでも一向に自分の内面が大人になっているように感じません。
楽しいときは小さいころから変わらないようにふざけてとにかく大笑いしてまるで自分が小さい頃に戻ったように自分の心と身体すべてで楽しみます。

こう感じ体験し考えを巡らせていく中で、私は「大人はいないんだ」ということに気が付きました。

確かに、知識も増えて考えることの内容が変わってきたりしますが、それは知っていることが増えただけで根本的な性格や自分は変わっていないのではないでしょうか。積み木を組み立てるみたいにもともとあったものの上に新しいものをのっけたようなものではありませんか。

新たな知識が加わることが悪いというわけではなくて、根本的な土台の部分大げさに言えば自我に芽生えた小さいころからの部分は変わらないということです。

体力的な面で小さいころと同じようにパワフルにはしゃぎまわることはできませんが、体の内側は小さいころと同じように元気いっぱいにはしゃいでいます。

そうです。どんなに偉い人でも外見が全く違う人同士でも性格の根本的な部分は小さいころと変わらない部分が多いんじゃないかと思います。
だから、大人だからといってはしゃぐことを止める必要はないんだと思います。自分なりのはしゃぎ方をして心の底から思いっきり楽しめばいいんだと思います。
大人になれていないと焦るかもしれませんが100年以上生きた人だって心の根本的な部分には無邪気な部分があるのではないでしょうか。

だから、これからどうなるんだろうって考えたとき、新しい自分になると考えるのではなく、もともとの自分に沢山の知識がついて、ゲームでいえば、新しいアイテムを獲得した自分を想像すればいいんじゃないでしょうか。

もちろん。それは自分だけではなく周りの人も同じです。



ここまで読んでくれてありがとうございました。
はじめての投稿で、読みにくい部分などあると思いますが、
これを読んでくれた人が「こんな考えの人もいるんだ」と思ってもらえれば嬉しいです。


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