きれいな野花。
以前に書いた文章でテンションがあがってしまって、
文章が長くなりすぎたなって反省して、わけたやつ。
話の軸がブレるなと。
急に始めるよ。
目的が決まっててね、逆算したり、計算や打算をして始まる行動は、
その目的にしか繋がらないコトが多いと思うんだ。
はい。
自分の過去の経験上。
自分基準ですみません。
確かにね、脇目もふらず、目的に向かって、全力で走るからさ、到着こそ早いかもしれないし、そりゃ、目的への到着の可能性は高くなるだろう。
が、それ故に、その道中の道端に咲く、きれいな野花に気づけない。
その可能性はないかい?
僕は、目的に向かう際、わざと、脇道に逸れてでも、脇道に逸れなければ、出会うコトすらなかったかもしれない、そこにしか咲いていない、きれいな野花を見つけたい。
幼い頃、家まで帰る道のりをできるだけ知らない道を選び、帰ったのが近いかもしれない。
そして、何だったら、一旦、そこに行こうとした目的さえも忘れて、野花との出会いを堪能したい。
それこそが、自分すらも意図してない、次に繋がるサムシングになると思っているから。
この辺のコトは、大学受験に失敗して、結果、浪人していた一年間に、大学合格という目的とは別の意味、別の価値があったと大学時代に思ったのが始まりかもしれない。
ただただ、勉学に勤しんでいたら、得られなかったモノを得られたから。
そしてね、なんか、みんな、上ばっか見て、生きようとしてるけど、大事なコトは、意外と足元にあるコトが多い気がするんだな。
だからこそ、できるなら、目標に向かって、上だけ見て、全力で走って、その目標を達成したら、また、次の目標に向かって、上だけ見て、全力で走る。なんて、人生はごめんだ。
昔、思いっきりやっていたけど。
まぁ、やっていたからこそ、思うのかもしれないね。
今の僕は言うよ。
どうせ、歩くのなら、いろんなモノやいろんなヒトとの出会いや時間を楽しみながら、ゆっくり歩きたい。
どうせ、この時代を生きるのなら、同じ時代を生きる、モノやヒトと時間を共にしたい。
そして、急ぎ足では気づくコトすらない、美しい野花を見つけたい。
マンガでも、映画でも、そうだろ?
目的地への到着の過程での、いろんなヒトやコト、モノとの出会いが楽しいんじゃないか。
結果、それが、ストーリーになるんだよ。
ゆっくり行こうぜ。
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