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死ぬってなに?

*8/25

小学生の頃、ふと疑問になる時が数回あった。

「死んだらどおなるの?」

じごくのそうべいという絵本を小一の時に、母に読み聞かせてもらったのを鮮明に覚えている。
内容は、主人公が電線を渡っていると落っこち、三途の川を渡り、地獄行きを閻魔大王に告げられ、仲間と一緒に助け合いながら数々の地獄を乗り越え、生き返るという話である。

その時、小一の僕は、死ぬってなんだ?と猛烈に怖くなった。
死んだら、意識がなくなるんよな?考えられもしないんよな?感覚もなくて、何も見えない暗闇で..ずっと寝たまま。。サッカーもできひんくなるんよな?


世界が見えなくなる。"自分"という存在がなくなる。わけわからん。どおなんの?そうべいみたいに生き返れるかなぁ、そもそもあんな世界あんの?笑

てかそもそも、なんでおれ生きれてんの笑
生きるって当たり前のことちゃうんや。まあまあ奇跡なんかな。
いつ死ぬかも、わからへんのか..
殺人犯こわ!あったら今にでも死ぬやん。
じゃあ、今のうちに楽しいことしてないと!幸せに!サッカー選手なりテェ。。
これから起こること、僕に関わること全ては、いったいなんなんだ?

俺が死んだらお母さんお父さん悲しむやろな。死なないように気をつけて生きないと!
同時に、ものすごく、家族が死ぬことだってあることを考えると、猛烈な恐怖心、かなしみを想像した。

こんなことをハッと考え込むことがあった。


3分後には忘れていたけど。笑


でも、それでよかった。


そんな自分は、高学年、中学生のときくらいから、死ぬことを怯えもせず、想像することがなくなった。
その頃から、自分という認識が芽生え、意識的に生きるのが当たり前になってた。


周りの目や他人の口で生きるようになっていた。

マシにはなったが、それは今でも抜けない。


今は意識的に、こう思おうとしている。
自分なんてないようなもんやで。ってこと。

自分のレンズからみたら、世界は小さく、自分が大きく見えるけど、地球からみたら米粒くらいの君は誰?


なんだっていいよなー。価値や責任なんて所詮他の人から作られてるだけ?
自己として生きているというのが、そもそも勘違い?人は意識的な編み物?でも生まれる前は感覚も、意識も、なかったはずよなー。自然じゃないんかなー。
今だって、半分は無意識に生きている気がする。
それこそ、小学生の頃なんてほとんど無意識で動いていたし、その分、"楽"だった。鬼楽しかった。
だから生きてる意味なんて頭で考えってわかるわけない。
色んな繋がりの中で、今自分の生きるがある。それこそが証。



他人のために感情を使いすぎて生きなくてもいいし、自分の感情をまず大切にして決めればいい。
同時に、自分一人で生きてない。烏滸がましい話だ。他者の気持ちも大切に生きる必要がある。



自分を解ったつもりで生きるのでなく、もっと感覚に従って生きたい。
頭で考えてばっかだ。未来のなにかに怯えてばかり。可能性は思っている以上にたくさんあるんやろう。

言い方変えると、もっとゆるく、テキトーに、熱く生きようぜ笑 僕の子ども時代が囁く。
何に縛られてんの?
自分をいじめるのは命に失礼と思いたい。
自分が思っているより、この世界は自由なのかもしれない。
海外が好きな理由はそこかもしれない。


小学生の自分みたく、死はいつかくると思って、今この一瞬を楽しみにいかないと!好きなことしよ!ワクワクに向かって頑張ろう!と思いたいな。


死ぬことを認識せず生きるが当たり前になって、自分を苦しめないこと。
同時に、死んだ後のことや、死ぬことを恐れていても、もったいない。何も起こらないから。命を燃やして全うしたいな。
また同時に、1人で生きてないから、ちゃんと命を大切に扱いたいし、健康的に元気に長生きしたい。
そもそも生きてないと、やりたいことも、仕事もする権利がない。

周りから決められたような、大それた勝手に思い込んだ自分を演じるのではなく、自分の中で主役を演じてればいいのに。
その主役はどんなんでもいいはず。
ステータスに縛られたくない。
誰かが勝手に決めた者にならなくても、自分を生きればいいはず。
自然に自分の想ったようにやりたいように生きればいいはずなんや。確かなことなんてない。
なぜこれを忘れる。腹から思えないんやろう。


無意識直感に従い、素直に選択し、様々な道を生きていく。
それで誰かの役に立てるように必死になれる自分でありたい。


地位や名声、市場価値とか財産みたく目に見える価値は不必要ではなく、心地よく生きるために必要な要素の一つ。けどそれよりも、
天国に持っていけるかもしれないような、この一瞬から味わえるいろんな感情をまずは大切にしたい。
生きてりゃ辛いことや苦しいこと、悲しいこともあるけど、
生きることはシンプルワクワクすること、楽しむにはどおしたらいい?
心が躍ることはなんだろう。心が安らぐところはどこだろう。
楽しく、喜びや幸せ誰かと分かち合うこと。
楽しめないと頑張れない。

存在してるだけでも価値あることを知って、ただ生きたいように精一杯生きればいいだけなのに。
生きてるとどーしても日常が当たり前になるし、幸せを見失ったり、忘れる。
小学生の僕が思ってたように、
いつ死ぬかもわからない。
その時々の感情を大切にして、
やりたいことして、目標持って頑張って、バランスよく怠って。
身近な、一緒にいる人を大切に、楽しむこと、
自分が生きてることも、この世界が成り立ってることもぜんぶ、奇跡かもしれないから、目の前に起こる事柄を大切に受け取っていく。



もしかしたら、来世もあるかもね!
もしかしたら、前世もあったかもしれない!
もしかしたら、前世はゴキブリで、来世はキツネかもしれない。


来世の誰かのためにも、今ある周りのためにも、しっかり命を全うしたい。



と今は哲学した。日々夢と現実を行き来する。


もしかしたらオトナになると、
死の淵に行くような経験をすると、
また変わるんかもしれん。


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