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岡田彰布/悪漢の内角打ち/ガリクソンも打ってもた

監督として優勝しその評価がドンデン返しを喰らっている岡田彰布監督(神)だが、現役時代の勇姿はあまり知られていない。
勇姿と書いたが勇姿というには泥臭く、かといって燻し銀というには卓抜した目立ちたがり屋でありここは「どんでん」というのが尤も相応しいだろう。

「どんでん」とは何か?
説明しよう。

一目瞭然見ての通りである。
坂田利夫師匠との共演で「ドンデンでんねん」と名乗ってもた以上はドンデンでんねん。
今日はそんな「どんでん監督」の現役時代について語ってもた。


どんでん、ニ大自慢

三成に過ぎたるものが二つあり「島の左近」と「佐和山の城」といったもので、あの石田三成には二つの持ちネタ自慢がある。
何度も何度も聞かされた盟友・大谷吉継は重い病気になってもた。
同じように岡田彰布監督にも二つの自慢話しがある。

一つ目はあまりに有名なので駆け足で済ませよう。
1985年の4月8日くらいの巨人ー阪神戦(甲子園)でバース、掛布、岡田がバックスクリーンに三者連続ホームランを叩き込む。
その時この「祭り」の掉尾を飾った岡田彰布の打球が最も飛距離があり、なおかつ電光掲示板に眩く光る真弓の「弓」の字を射るいうピンポイントアートを放ったのだ。
このピンポイントアートを岡田彰布はことあるごとに自慢しており、三成にとっての島の左近だといえよう。
さて二つ目のドンデン自慢話しが今日のテーマだ。
二つ目の自慢話は「ガリクソンから放った逆転満塁ホームラン」である。



どんでん、15打数14ホームラン

いきなり「ガリクソン」とか昭和からストレートを投げつけられても令和のプロ野球ファンには何いってるのかわからないはずだ。
そこでここは外堀から埋めていこう。
岡田彰布は典型的な内角鬼強型の打者だった。
早稲田大学野球部のセレクションを15打数14安打14本塁打(諸説あり)という破天荒な打棒でクリアーした岡田彰布の持ち味は、内角でアレばどこでアレもっていってしまう打撃のセンスだった。
しかも内角高めのクソボールさえもフェンスをアレしてしまう卓抜なセンスだ。
どれくらい凄かったかといえば2005年のあの今岡誠レベルを長年に渡り維持したほどでって・・・余計ややこしくなってもた。
プロ入りしてからも内角を捌く技術はピカイチであり、瞬く間に阪神の主軸に名を連ねることとなった。
内角鬼強な岡田彰布にたいし外角へわずかに逃げ損なったピッチャーが次々と餌食となっていく。
この文脈の中で巨人の槙原寛己が甲子園3連発の藻屑と化した。



どんでん、一人

順風満帆に見えたどんでんキャリアだったが、1987年を契機に潮目が変わった。
青天の霹靂でバースと掛布が退団し、いきなりドンデンが4番を託されることとなったのだ。
これは関羽、張飛、趙雲、黄忠とあと誰だっけが死んでもたで、姜維一人で国を支えることになった三国鼎立時代の蜀末期を彷彿させる。
つまりは無理ゲーである。
バースの再来と期待された「ゼロゼロ怪人」こと「ルパート・ジョーンズ」が外国人助っ人なのに助っ人外れで、ここに至りドンデン一人にマークは集中した。

内角高めにスーパーストロングポイントのあるドンデンには対偶たる外角低めを丁寧かつ大胆に貫けば攻略できる。
容赦のない外角低め責めが開始され、斎藤雅樹とか斎藤雅とか斎藤雅樹とか斎藤雅とか精緻なコントロールを持つ一線級ピッチャーの大同団結によりドンデンは潰されてしまった。


斎藤雅樹とか斎藤雅とか斎藤雅樹とかって誰????
説明しよう。


あんな天然スライダー略して天スラ、打てるかっっっ。
そんな感じ。


閑話休題。
一線級のピッチャーのなりふりかまわぬ大道団結によりドンデンは潰されてしまった。
トーマス・オマリーのように苦手ピッチャーの時は「仮病」を用いて逃げるという「インテリジェンス」が欲しかったところだが、岡田彰布はなまじ凄まじい責任感の持ち主だったためそのバットは空を切り続けたのだ。



円高で赤鬼と白鬼がやって来た

1985年のプラザ合意以後、全世界から為替介入でフルボッコにされた日本は極度の円高となり破滅へのロンドが奏でられ始めた。

だが円高で唯一よいことがあった。

それは大リーグから超のつく大物を安く購入できたことだ。
大物の中でも超大物が二人いた。
赤鬼・ホーナーと白鬼・ガリクソンだ。
令和くんにもわかるように噛み砕けば、コンビ大谷翔平の打を担当するのがホーナーであり、コンビ大谷翔平の投を担当するのがガリクソンだった。
それほどまでの超大物が日本にやって来たのだ。

この超絶コンビのうち、
投担当のガリクソンが死に体となっていた岡田彰布を再び輝かせることになった。



1989年6月25日のドンデン返し

来日1年目、大物メジャーリーガーの力をまざまざと見せつけたガリクソンは特に阪神戦において本領を発揮し、さしもの猛虎打線もまったく太刀打ちできないといった有様だった。
2年目になってもガリクソンの投球は冴えわたり、ここまで阪神ファンは忸怩たる思いで試合を見つめていた。

1989年6月25日の巨人ー阪神戦(甲子園)も7回裏までガリクソンが阪神打線に立ち塞がりスコアも1−4で阪神の敗色は濃厚かと思われた。

・・・八木・・・
・・・・・・金森・・・・・・
八木、金森、田尾、亀山?!!
和田の右打ちだよ!!!先回りしてこの試合の抑えは「住友」だよ!!!これ最後レフトにヤバいの打たれんだよ!!!
腕組みが似合う村山実監督だよ!
天覧試合の意趣返しだよ!!!
野球中継延長のため「日曜洋画劇場」は9時32分からお送りします、だよ!!!!

なんて感慨に耽っている間に、
3点差ビハインドの8回裏2アウト満塁で真打ち・岡田彰布の登場だ。

G 000 300 01  
T 100 000 0    

 どんでん、内角高めの魔術師

内角高めというのは凡百のバットマンには打てない。
目と鼻の先に向かってくるボールというのは恐怖をかきたて、恐怖は平常心を失わせ、平常心を失った人間は動作メカニズムに難をきたすからだ。
それにつけ150キロ近いストレートともなると、もはや手練の打者でもカスリもしない。
当ててしまうという恐怖がピッチャーにもつきまとうが、内角高めを狙い通りにえぐれば打たれることは、ない。
だから内角高めはピッチャーにとっての生命線なのだ。


 ガリクソン、驕る

だが岡田が内角高めを大好物にしていることはセ界に知れ渡っていた。
だから岡田とは内角を徹底してさけ、外角で勝負するというのが阪神に勝つためのコンセンサスだったのだ。
しかし日本野球をどこか舐めていた世界のガリクソンはその限りではなかった。

巨4ー1神
3点差の7回裏2アウト満塁。
カウントはノーストライクワンボール。

ワンボールからカウントを整えに行った内角高め154キロの豪速球。
打たれるはずのないピンポイントブラッシュボール。
岡田のバットが一閃。


 どんでん、打った瞬間阪神ファンのオッサン

ここで刮目しなければならない。
レフトスタンドに打球が吸い込まれるより早く、
打った瞬間に岡田彰布がバンザイしていることを。

巷間で言われる「どんでん、ただの阪神ファンのオッサン」現象の端緒がここにあるのだ。

G 000 300 01    
T 100 000 04    

岡田彰布の起死回生・逆転満塁ホームランで阪神が8回裏にまさかの大逆転。

ここに大勢は決した。


 どんでん、上機嫌で喋り倒す

2024年現在、
岡田彰布監督のインタビューはドンタビューとも云われ、主語・述語・目的語のうち85パーセントが欠落していることで人気を博している。
だが1989年の岡田彰布は一味違った。

逆転満塁ホームランでお立ち台に立ったドンデン選手のヒーローインタビューを耳コピで再現しながら、ここらで視聴者の皆様とはお別れしよう。


1989年6月25日 巨人-阪神戦(甲子園)
G 000 300 010 4  
T 100 000 04X 5  

どうもありがとうございます

丁度ツーアウト満塁で自分に回ってくるとは思っていたんですよ
だから満塁でまわってきたら3点差で同点ホームラン(が)欲しいところですからね
インコース真っ直ぐだけを狙っていました。

そう・・・
そうですね3点差ですからね。
自分一人で逆転できるのは(ホームランだけですから)、本当に狙った一発でした

風がレフトに吹いていたんで、
ファールになるんじゃないかと思ったんですが、ちょっと詰まったのがよかったです

そう、やっぱり負け続けていますからね
ここら辺で(連敗を)止めないと

そうですね満塁ホームラン初めてですし・・・・・・・


・・・


・・・・・・・




・・・・・・・・・・







普通に話せてもた。

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