私見・「現代版・姥捨て山考」

 現在75歳のわたくしにとって、これから25年も生きて幸せかどうか。この点をいろいろな分野から推測しますと、ど~もそうなるようには思えないんです。だって今でも足腰痛いですし、目も歯も耳もみ~んな弱ってること判りますから。
 この状態は若い頃と違いまして、全て回復してシャキッとなることなんかあり得ない。寂しいですけどだんだん衰え進みまして、最後は歩けなくなることしか予想できません。ですからその25年とは、必ずしも楽しいものではないと思えるんです。

 そう想像しますと、これからさきには介護施設のお世話になるしか考えられません。しかし現在でも介護士の数が足りない上に、重労働の割に収入低いことを理由としてなり手がいない。いたとしても、すぐに辞めてしまう業種なのだと聞いています。

老 人が増えるばかりのわが国で、介護士がいない社会ってどうなるんでしょうか。それは多くの場合、家族で介護しなくてはならなくなるとしか思えません。
 我が家の場合で考えてみますと、娘は九州・息子は東京で働いておりますから、介護を理由に仕事放り投げて我が家に戻ることは考えられません。ですから老夫婦のどちらかに介護が必要になったら、当然老老介護になるしかないんです。

 まあどこの親御さんも、子供に迷惑をかけたくないと思っているでしょうから、その時は連れ合いに面倒かけるが自然。でも夫婦で面倒看あえる間はよろしいとしても、その後どちらかが欠けて独りになったら ・ ・ ・

 この辺りまで思いが進みますと、100歳までなんか生きること考えない方が良いように思うんです。そこで本ブログではわたくしの独断と偏見を込めまして「現代版・姥捨て山考」と題して綴っています。
 独断と偏見を込めたわたくしの私見ですから、他人様にお奨めするものでも同意を求めるものでもなく、ただわたくしの心に浮かぶままを ・ ・ ・なのでその点をご理解下さい。

 こんな理由から、国の人生100年時代なんて言葉を鵜呑みにしない方がよろしいのではないかとの思うんです。そんな言葉に左右されることなく、自分の死に方しっかり考えた上で、これからを生きた方がよろしいとも。

 わたくしの場合今借りている農地でいろいろ野菜作りをしておりますことから、スキ・クワ使って土起こし。さらに一輪車で土運びや肥料運びなど、結構重労働やってます。
 今の健康度観察から推測してあと?年は動けそう、なんて想像しながらの毎日。しかし動けなくなる日はいつやってくるか判りませんから、その時のための準備もおさおさ怠りなく日々を送っております。
 そんな後期高齢者わたくしが、より良い老後をどうしたら送れるかを、これからも綴ってまいりたいと思っております。

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