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私は内向的になりたい

私は「内向的」になりたい、外交性が高い人間だ。

以前著名な心理学者の講演を聴く機会があった。
1時間半の軽快なトークにまんまと彼女のファンになったわけだが、中でも印象的だったのは「内向性/外交性」の話だ。

一般的に「内向的な」人とは、内気で自分の感情や意見をなかなか外に出さないイメージがあり、対して「外交的な」人には、溌剌として誰に対しても臆さず自己開示するイメージがある。
しかしながら心理学的には全く逆らしい。

「内向性」とは自分の内部に「軸」や「答え」を持つ傾向のことであり、
例えば友人の冴えない表情が気になりいの一番に「何があったの?」と聞いてのけることができたり、お隣さんに余った煮物を「余ったからどうぞー」と持っていくことができたりする。「自分が気になるから」今尋ねるし、「自分が持っていきたいから」持っていく、という人だ。

一方で「外交性」とはその逆で、他者や世間に「答え」を求める。人の目を大いに気にしたり人の意見に従う傾向が強い。
友人が冴えない表情をしていても「今話したくないかも」「無理に聞くと嫌がられるかも」と、相手の気持ちを慮り相手にタイミングを委ねるのだ。

この話をされた時、会場にいる参加者たちに「あなたはどっちに当てはまりますかー?」とアンケートがとられたのだが、

私は何となく、
「自分は内向性が高いな」と判断してそちらに手を挙げた。

だって、気になったことがあればすぐ尋ねる「ようにしている」し、
相手が好むと好まざるとに関わらず、お土産やプレゼントを細やかにあげる「ようにしている」。
人の目を気にせずにやりたいことをやる「ようにしている」し、
人の意見に左右「されないようにしている」。

推して知るべし、
私は恐ろしく「外交的」な人間なのだ。

幼い頃から親や教師の目を気にして「優等生然」と育ったし、親戚の前では「子供らしく」朗らかに振舞ってきた。
友人たちとの会話も気になる異性とのやりとりも、どう見られるかを常に気にしながら行なってきた。

それが大人になるにつれて、
「人の目を気にしすぎる」ことが何だか格好悪いことのような、
「人の意見を重視する」ことが、さも「主体性に欠ける」ことのような、
そんな気がしてきて、「人を意識しない」自分も持ちたくなった。

だから、前にあげたような「内向的な」振る舞いを後天的に身に付けたのだった。

だけどどうだろう。

内向的な振る舞いが功を奏し(?)、「あなたって人の目を気にしない人ね」と言われると、どうにも居心地が悪い。
そりゃそうだ、その人は褒めてるわけじゃないのだもの。
そして私の(本質的な)外交性を知らずに、表面的に判断しているのだもの。
(そう判断させてるのは私なんだけどね)

その講演で心理学者が仰るには、
内向性/外交性は生まれながらに備わっていて、かつ死ぬまで変えられないのだと。

と言うことはどうあがいても、
どう取り繕っても、
私はこの命が尽きるまで、
とてつもなく人の目が気になり、散々に人の意見に影響されるのだ。

だけどまぁ、悪いことばかりではない。
人の目が気になるのなら、
人の意見に影響されるのなら、
とことんに他者を意識してインプットさせてもらおう。
状況に応じて、どの程度の比重で判断基準にするのかを変えられるようになろう。

仕事をするときは「あの先輩ならなんて言うかな」、
子育て中は「母ならどうするかな」、
友だちの相談に乗るときは「あの子ならこう言うな」。
沢山の目線を使いこなせたら、最高じゃないか。

そしてどんな選択をしても、自分で責任を持つのだと決めていれば、それは真っ当な「主体的」な決断だ。
そうだそうだ、それでいいのだ。いいのだよ。

…と、自己フォローをするあたり、
やっぱり内向的な人への憧れは捨てきれていない模様。

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