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やらない理由を探さない

何かを始めようかな、と思った時。
例えばじゃあジムに行こうかな、と思った時。

「でもな、お金かかるしな。」
「結局行かなくなるかもな。」
「歩くだけならタダやし、ダンベルなら家でも持ち上げられるか。」
「もっと優先せなあかんことあるよね、いまはそれをやってる場合じゃないね。」

とかね。
"やらない""できない"には、理由はいくらでも出てきます。

「傷つけたくないからせっかく買ったけど車乗るのやめよう。」
「昼ごはん食べても、どうせまた夜には腹減るしな。」
「どっちみち寝てる間に汗かくし、風呂はわめよう。」



なぁんてことにも、理由はつけられる。
 
でもね、それを繰り返すと、
「生きてても、しゃあないよな。」
「生まれてきても、どうせ最後は死ぬもんな。」
と、最終的にはそうなっちゃうから。
 

やらないことに、理由はいくらでもあるんです。
やらない理由なんて、心配せんでも、どんなことにだっていくらでもあります。

で、その中で、やらない理由に従わないと取り返しつかなくなるのは、せいぜい、「法に触れるから」「死ぬから」「誰かを傷つけるから」くらい。

だからね、やる理由を探す方が建設的だと思います。

やる理由を探しても、どないしても見つからんもんはやらんかったらいいだけで、
やる理由、やりたい理由、理由以前の衝動とか勢いとか、そういうもんが大事なんだと思います。

衝動的なことって、今は何か悪いこと、抑えなあかんこと、と、とらわれがちだけどね、
ほんまかな、と。
例えばね、「衝動買い」だって、「アホな買い物した、次からやめよう。」と1回で思える人もいれば、5回10回100回、はては一生続ける人もいてて、
1回で辞められるのは立派で、一方で、100回、1000回、あるいは一生続けたんなら、それはそれで人生としては豊かなんじゃないか、と。
しかも、衝動買いを100回したら1回くらいはええ買い物があるやろうし。

年齢とともに、衝動に突き動かされることってのはどうしても減っていきます。「アホなことした、次からやめとこう」の、経験値が増えるから。

だからこそ、その時々で、「これやりたい!」「これやろう!」と、思ったら、やらない理由を探すんじゃなくて、やる理由を探した方がええんちゃうか、と。

「やらんかったらよかった」
よりも、
「やっときゃよかった」
の方が重たくてタチ悪いのは、経験則としてみんな知ってるのにね。
新庄監督も言うてました。
「これやったら怒られるだろうな、ってことは、怒られたら済むことだから。」
と。
 

大体のことは、失敗して、損して、ようやくはじめて身につくんだから。
大体のことは、無理くりでも、やらない理由が勝つんだから。

「やらない理由」の中で、いっちばんアホでポンコツやな、と、個人的に思うのは、
「前例がないから」と、いうやつ。

ほな、「あんたという人間が2024年まで生きてきた前例は他にあるんか?」と。

誰もやってへんのに、なんでそれがあかんと分かるねん、と。
正直に「前例がないから1からするのはめんどくさいのでやりたくないです。」「前例がないから失敗したら自分の責任になるのでやりたくないです。」の方が、よっぽど納得できる。

どんなことにもやらない理由はちゃんとあります。わざわざ探さなくていい。
 
やりたい理由、やる理由を探しましょう。
そっちが勝つことは、やったらええんです。
理由なくてもやりたいことは、人の道さえ外さんかったら、やったらええんです。

若いうちの失敗は成功の序章。失敗やら損した責任を取ってくうちに、その人自身が豊かになっていくの。
 

そして、残りの人生で一番若い日が今日。

90才になったら、70代の失敗さえ若気の至りになる。

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