わたしは「ミュージシャン」として、反差別・反ファシズムを表明します。

かわにしようじです。名古屋で音楽活動をしています。

と、胸張って言えるほどライブできておらず、音源も2011年に1タイトル作ったきり。ですが、人前で音楽を演奏している以上、自分は「ミュージシャン」だと自負しています。本気でやってます。

そんなわたしですが、2019年の今、ミュージシャンという立場として、改めて反差別、反ファシズムを表明します。
時に強い言葉を使って、差別やファシズムに抵抗します。

音楽に政治を持ち込むな
そんなことは当たり前で、わざわざ言うことじゃない
ミュージシャンなら言葉ではなく音楽で表現すべき
音楽は思想を超えるものだ
強い言葉は使いたくない
どっちもどっち

もしかしたらこんな反論が聞こえてくるかもしれない。でもわたしは、反差別・反ファシズムを大きな声で言わなければいられない。


色々な理由があります。
ですが一番の理由は、これを言わないと自分の音楽が嘘になるから、です。

わたしがずっと追求してきた音楽は、ポップスです。

誰かに恋したり愛し合ったりするときめきや喜びや悲しみ、
ふとした瞬間に湧き起きる郷愁、
あやふやで曖昧な心象風景

そんな、とりとめのないものです。
とりとめのないものを形にするには、音楽はちょうどいい。
そして音楽とは、演奏者と聴衆がイメージを共有する時間だと思っています。

今世の中で目の当たりにすることは、こういうわたしの好きなポップスとは対極にあるものです。

本当に許しがたい差別、不公正。
権力者のあり得ない不正や人権軽視。
もう事実として、そこにある。
みな知ってるでしょ?

なのに、無関係のふりをしたり、距離を置いたりしたまま、とりとめのない美しさを歌う気にはもうなれません。
わたしの暮らす街、暮らす国の話です。無関係でいられるはずがない。

だから、
自分の音楽を守るために、
胸をはってとりとめのない世界を表現するために、
とりとめのないものを誰もが安心して共有できる場を守るために、
言葉や行動で意思を表明しています。

それはある意味、「音楽に政治を持ち込まない」ために声をあげているともいえるし、また、声をあげること自体が、音楽活動そのものであるともいえます。

※念のため、「音楽に政治を持ち込むな」という意見に対しては、バカ言ってんじゃないよ、がわたしの答えです。ロックから何受け取ってきたんだ。


先ほど、表明する理由は色々あると書きましたが、あと一つ。

いわゆるポップカルチャーに身を置く人(演者、聴衆、評者)が、言葉は悪くなるが、なんだかぼんやりしすぎている人多い気がして。

元号が変わったタイミングで、「自民党2019」なんてものが現れました。
刀を持った侍を描いたキャラクターデザイナー、安倍晋三を囲む「アーチスト」 の若者、洗練された映像とBGM。
全部、ポップカルチャーを利用した、プロパガンダでしょう。

クリエイター、アーチスト、こんな簡単に極右為政者の意に沿っていていいんですか。
70数年前に、あんな愚かな戦争のための国威発揚にさんざん利用されたことを、わたしたちは既に知っているはず。

安倍晋三なんて、嘘ばかりつく卑怯者ですよ。

また、アヒトイナザワを取り巻く状況。
「特A」なんて言い方をする連中が使う「不逞」という言葉の後に何が続くか。それを「japanese sword」で「討つ」。
レイシズムそのもの。

そんな歌詞が今でも検索すれば誰でも参照できる状態で、関係者にしか謝っていない「謝罪文」でなんとなくうやむやにして、あろうことか雑誌のインタビュアーまでうやむやをサポートして。
この状態で彼がメンバーのバンドがぬるっと再結成ツアーに出て、それが歓迎されてしまう。

わたしは、今のままでは受け入れることができない。
「自民党2019」はその表現に対して批判をします。しかしアヒトイナザワの件はそもそも表現として容認できません。あんな歌詞を書く人間がいるバンドのライブには、安心して足を運べない人が多くいるでしょう。

音楽と思想は別物?

いや、彼は自身のレイシズムを歌詞、音楽として世に出した。

表現の自由?
音楽は全ての思想を超えるものだから、排除してはいけない?

いや、その意見には、前提がある。
誰かの人権を踏みにじる言動を、表現と認めてはいけないし、思想ではない。表現や思想と認めさせることで、ヘイトスピーチを堂々と語ることこそ差別者のやり口なのだから。
「差別をしない、許さない」という前提を踏まえてこそ、音楽は個々の思想を超えて、イメージを共有することができるのだと考えます。


わたしはわたしが愛する音楽の場を、ファシズムや差別から守りたい。
誰もが安心して集い、そして独りになれる場所を守りたい。
だからそれを壊すものには、怒り、徹底的に抗います。

公文書を改ざんしても辞めない政権。
「戦争しないと~」とわめく国会議員。
人を「生産性」で図ろうとする国会議員。
何度民意を示しても埋め立てられる海。
〇〇人はでていけなどと街やネットで叫ぶ連中。
試験でさえ性別で差がつけられる構造。
etc……。

繰り返します。全部、わたしの暮らす街、暮らす国の話です。
だからこそ今、改めてこの表明をしました。
わたしは表現者のはしくれでいたいし、50半ばの大人が言わなくてどうする。
今日は誕生日でもあるしね。55歳になりました。

2019.05.15

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2019.11.21 追記
みなさん、この note を読んでくださってありがとうございます。
とても多く拡散いただいたので追記します。ここに書いた考えは、わたし一人でたどり着いたものではなく、311以降路上でネットで闘ってきた方々の言葉や行動から導かれたものです。
今日観た映画「STANDARD」でそれを再確認しました。
※2019/05/18に Twitter に投稿した内容(https://twitter.com/miz10010/status/1129735014638379008?s=20)です。

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2020.05.15 追記
文中に、過去に制作した音源のリンクを追加しました。
「ミュージシャン」と書いてあっても、わたしが何者なのか読んでくださった人はわからないよなと、ずっと思っていました。公開から1年、よい機会かなと思いましたので。