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一つのことを変える

 日常の一つを変えれば他のこともどんどん変わっていくわけではないが、それなりに影響が出るかもしれない。因果関係が全くないわけではないのだが、それを因果という線かどうかは疑問。これは雰囲気的なものだろう。ある雰囲気、あるセンスでもいい。それが気に入ったものなら、その雰囲気に合わせるようなもの。
 これは様式や形式になるのだが、それに合わせようとする動きもある。
 別問題であっても統一感がある方がいいのだろう。何故いいのかは分かりにくい。その方がすっきりとするし、揃えた方が綺麗なためだろうか。そうなると、美学の問題になる。
 センスやポリシー、考え方や人柄は潜在的なもので、たまたま今あるようにある程度で、実は交換しても構わなかったりする。
 一つのことを変えると他のことが変わりだし、ついにはそれが全体を覆ったりしそうだが、それもまた何処かで別の一つのことから始まったもので、塗り替えられたりする。
 それは今が常に変化しているため、いつもの日常も、形だけになっていることがある。
 その一つのこと。些細なこともあれば、どうでもいいようなこと、また小さなことや趣味的なことでもいい。ただのちょっとした好み、そういったことから始まり、その勢力が拡大していく。ただ、ここでも力関係があり、それ以上いかないこともあるだろう。
 こういうのは気付かないうちにやっていたりする。脱皮のようなものであり、身構えを変えるようなもの。ただある一定の変え幅があり、変える方向性のようなものがある。自然と変わっていくものもあれば、変えないとまずいので、無理してでも変えることもあるだろう。
 これは自発的でもあれば、他からの影響で、そちらへ流れることもある。
 しかし、そんな大層な話ではなく、一つのことを変えると、それがきっかけになりやすい。あのときのあの一手がそうだったのかと後で思うようになる。
「今年は小さなことから変えようと思うんだ」
「もう年末だよ」
「いや、まだ今年中だ」
「そういうのは一年の計は元旦にありというように新年に決めることだよ。十二ヶ月分の余裕があるときにね。しかし、もう二週間ほどしか今年は残っていないじゃないか」
「だから、一年の計は大晦日までに立てるんだ。二週間も熟考できるじゃない。充分じゃないか」
「それで、何か決まったの」
「元旦に餅を食べないことにした」
「え」
「毎年、元旦には餅を食べる。正月休みは餅ばかり食べていた。それを辞める」
「それが何か」
「一つのことを変えると、次々に何かが変わり始める原理を発見したんだ」
「自分で発見したの」
「本に書いてあった」
「どうせ啓蒙書でしょ。書いた作者も実行していないような言い放しの」
「そうだけど、これはいけるよ」
「一つのことを変えるのはいいけど、餅を食べるのを辞めるというのはどうかなあ」
「如何なものか、かい?」
「餅の代わりに何を食べる」
「ご飯」
「それじゃいつもと同じだろ。餅を食べる日に食べないで、普段通りのものを食べるだけ。餅に代わる何か別のものを持ってこないと駄目でしょ」
「餅に代わるもの。パンかうどんか、そばか、ラーメン」
「いや、君が餅を食べるのは正月の行事のつもりだろ」
「そうだ」
「だから行事を辞めるというのはちょっと消極的」
「じゃ、何だったらいい」
「餅に代わるもの、雑煮とは異なる象徴性のあるものを食べないと。そういう食べ物、探さないと変えたことにならないよ」
「あん餅の焼いたものはどうかな」
「まだ、餅のままでしょ」
「考えても分からない。赤飯程度だ」
「無理して変えるだけの魅力があるものでないと、駄目だよ」
「ない」
「じゃ、変える必要はないんだ」
「あと二週間ある。別のもので考えるよ。餅ではなく、正月の行事で」
「初詣の場所を変えるとか」
「ああ、それがいい」
「それで決まりだね」
「毎年神社なので、今年はお寺にするかな」
「その象徴性は神から仏への乗り換えだ」
「そこまで考えていなかった」
「まあ、気が付かないうちに、何か変わるものだよ。意識的にならなくてもね」
「うん、そうだね」
 
   了

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