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感動する

「昔ほどの感動ですか」
「ありますか」
「感動ねえ」
「昔に比べ、感動するものが減ったのではありませんか」
「ああ、そりゃ若い頃は感受性も高かったので、感動というより驚いたり、新鮮だったりで、でもそれは感動とは少し違うかもしれませんよ」
「最近感動することはありますか」
「私が思っている通りに進むドラマを見たときなど盛り上がりますなあ」
「体験ではなく」
「はい。こうなって欲しいというような展開になり、思っていたような結末へ向かったときなど、カタルシスを覚えます。スカッとします。まあそれまでは我慢を溜め込まないといけませんが、そのときは見ていても辛い。しかし、主人公なのだから、惨めなまま終わるわけがない。また普通の娯楽作品ですからね、下手にひねったり、不条理なことになったり、哀れな結末で、余韻を残して何かを訴えるとかの臭い手を使わない作品しか見ないようにしています」
「鑑賞方法ですね」
「感動というのは意外性ではなく、上手く行くことですよ」
「そういう作品の話ではなく、あなた自身が感動することで、何かありませんか」
「同じです。先ほど言ったのと。そのパターンに填まったとき、上手くいったぞ、と思う程度で、それが感動なのかどうかは分かりません」
「しかし、若い頃に比べ、そういった感動が減っているのではありませんか」
「だから、それは先ほど言いましたように、単に驚いたり、凄いと感じただけで、感動とはまた違うのです」
「じゃ、感動とは何ですか」
「気持ちが動くことですよ」
「そのままですねえ」
「だから、それを言い出すと、全てが感動になります。その中でも特に動いた場合が、感動でしょう」
「はあ」
「しかし、気持ちは動かない方がよかったりしますよ。しかし、若い頃はよく動く、免疫がないからでしょ。それを感動と勘違いしてはいけない」
「では本当の感動とは」
「私の体験から言いますと、期待していなかったが、もしそうならいいだろうなあ、とは心で思っていることが、実際に起こったときです。これは意外性ではありません。そんなことは起こらないだろうとは思いながらも、あって欲しいような気持ちが何処かにある。だから心の中では浮かんでいるので、これは意外なことではない。だが、現実にはあり得ないだろうということですね。こういう条件を満たすようなことは一生のうちで一度か二度、あるかないかでしょ」
「お話しが難しいのですが」
「感動は貰うものや受けるものではなく、もっと能動性があるものです。受けるだけじゃ、それで終わるでしょ。心が動いただけ。しかし、その後、その動きが続くかどうかでしょう」
「いやいや、そういう話ではなく、最近何か感動したことはありませんか、と聞いているだけなのですが」
「そのタイプの感動ではつまらんでしょ」
「はあ」
「心が動き、体が動き、その後の生き方さえ変えるほどのことでないとね」
「そういう大層な話ではなく、昔は色々感動していたのに、年々感動することが減ったとかの話なのですがね」
「そうなのですか」
「それで、最近感動したことは」
「ありません」
「ないと」
「あったとしても、それは語らないでしょうねえ」
「はあ」
 
   了

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