想像と実際

 想像すれば分かることはそれほど興味はない。分かるまでは興味深い。これは興味の時間が長いためだろう。何年も持つものもある。そして、永久に分からないものも。しかし、まったく分からないことが分かっていると、それもまた対象外になってしまう。分かる楽しみがないためだ。
 そして、想像で分かってしまうことは、もう想像だけで十分で、やる必要がないこともある。これは結末が分かってしまい、そのあとのことも見えてしまうと、これはしなくてもいいことではないかと先読みするからだ。これもただの想像にしか過ぎないのは、実際にやってみると、想像とは違っていることが多いためだろう。
 想像通りになるものと、想像とは違うことになるものがあるとすれば、それも想像しているのだが、違ったものになる方が興味深い。全てのお話しが決まっていないためだ。それは細部程度の違いで、本筋はそのままよりも、本筋そのものが違っている方がやってみる気になる。しないと分からないからだ。
 実行していくうちに分かってくることの方が楽しいかもしれないが、その逆もある。こんなにえらいものだったのかや、苦しいものだったのかと、やってみて初めて分かることもある。
 逆に想像していたより、やってみると、非常にいい場合もある。それがなぜ想像できなかったのかと思うほど。しかし想像内では計り知れない事柄もあるので、これは想像できない。
 つまり興味深いのはやっていくうちに認識が変わることだろう。そのものが変わるのではなく、それに触れた人が。これも想像内かもしれないが、どちらかといえば期待感だろう。凄い世界が待っているのではないかと。
 やっても結果は見えていることでも、その端っこまで行くと、最初に想像で結果を見ていた目と、その果てで見た目とが違っていたりする。これは過程をつぶさに体験したため、見え方が違い、対象は同じでも、捉え方が変わるのだろう。だから、結果は分かっていても、そういった見る側の変化がある。対象ではなく、見る側が変わる。
 想像だけでは事実関係の実態が体に食い込んでこない。ただ、それらは悪い傷を残すこともあり、体験すればいいという話ではなくなる。
 一度ひどい目に遭うと、嫌悪感を覚え、嫌な意識を植え付けてしまうこともある。
 想像でものを言うというのは意外と当たっているのは、体験による色眼鏡がないためだろう。第三者の目に近い。
 しかし当事者にしか分からないとか、体験もないのに語るな、などというのが出てくるが。
 想像でものを言う。これはどこまでいっても想像で、事実を言っているわけではない。
 興味深いのは、ある程度想像していて、その想像とどう食い違うのかを見ることだ。その通りかどうかを見に行くようなもの。
 そして想像とは違っていた場合、そこが最も興味深い箇所となる。
 
   了

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川崎ゆきお

川崎ゆきお超短編小説 コレクション 5

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