人生散歩論

 今日は雨。時田は散歩を日課にしている。日課が散歩のようなもの。ずっと散歩中かもしれない。しかし、雨の日は外に出にくい。そんなときでも出るには出る。日課のためだ。
 雨で散歩に水を差すのだが、傘を差せばそれなりに凌げる。だが、それでも濡れる。外に出ていないときならいくら降ってもかまわない。だが、出るときは降っていない方がいい。その確率が結構ある。一日中降っているわけではなく、雨も息をつく。俄雨ならすぐにやむので、これは分かりやすい。
 その日は降っているのだが、小雨。これは同じ雨でも助かる。それだけ濡れにくい。それで外に出る時間になったので、出てみる。部屋にいてもやることがない。ここは外に出る時間で、その順番を崩したくない。それに本来なら外にいる時間に部屋にいると落ち着かない。
 幸い雨は小雨で、やみ始めているようだ。自分が外に出ているときだけ雨は降っていない方がいい。これは偶然で決まるので、何ともならないが。
 散歩はいつもの道を歩き、店屋が並んでいる通りを流しながら、公園のあるところまで進み、そこから違う道で戻ってくる。最近はその途中にパン屋があり、そこで菓子パンを買うのが日課。手作りのパン屋で、昼をかなり回った時間帯なので、アンフライパンが切れている可能性もある。それがないときはふわふわのドーナツを買う。昔は硬い目のドーナツが好きだったのだが、今は柔らかい方がいい。パン屋のドーナツは柔らかい。そして砂糖が細かいタイプ。たまにきな粉パンを買う。時田はそれをおはぎパンと呼んでいる。当然、そんなことは口にしない。
 日課だが、同じように見ていても変化がある。アンフライパンが売り切れておれば、同じにならない。ただ、パン屋へ寄るのは同じ。その中での変化は当然ある。
 中年を少し越えた夫婦がやっており、この時間、レジを交代するのか、親父がいるときがある。奥さんとは違い人慣れして愛想がよくない。作るのが役目で売る役目ではないような顔付きで、無愛想。しかし実際はそれに徹しているのだろう。そちらの方が楽なためかもしれない。
 この店の名物は菓子パンではなく、食パン。何の変哲もない食パンだが、そういうパンほど違いが出る。そのまま囓っても美味しい。だから結構離れたところにある高そうな喫茶店が、それを使っているようだ。トーストではなく、サンドイッチで差が出るらしい。こういうのは客の会話から得た情報。
 時田の散歩とは頭の中の散歩。足だけの散歩ではなく、頭の中でも練り歩いている。ストーリーのある世界だ。それは歴史散歩などのような大層なものではなく、町内の話。だが、この近くに正体が分からない石を祭った祠がある。それが歴史上重大な話と関わるわけではないが、寺社にも歴史がある。しかし祠の中の石になると、話が細かくなる。ただの石だ。しかし、長細く三角に近い。置いたとき、しっかりと左右対称の三角になり、収まりがいい。
 これは昔、占い師が言い当てた石らしい。古墳の堀の底に三角様が沈んでおられると予言した。占い師が底に沈めたのだろう。仕込んだのだ。
 村人もそれは分かっているのだが、そういった縁起が欲しかった。その三角様は今も祠の中にある。村の神社までは遠い。だから、何か祠を置きたかったようだ。
 しかし、それは言い伝えで、その話そのものが嘘かもしれないが。
 時田の散歩は、そういった頭の中の散歩が含まれる。
 そして菓子パンを買い、戻るのだが、その部屋そのものも散歩の途中とも言える。
 今のところ偶然が続き、同じ部屋に戻って来るのだが、生まれたときから、そこにいるわけではない。偶然、今は、そこをねぐらにしているだけ。
 人生散歩論。これは時田が書きかけの原稿だ。論文だが余計な道草をするため、論は散漫で、とりとめない。きっちりとした論文より、軽い散文の方が本当は似合っているのだろう。
 寄り道、道草、余計なこと。等々が多すぎる。それらは個人的すぎ、時田だけが思っているような感覚が多すぎる。
 散策には目的がある。散歩にはそれがない。
 
   了

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川崎ゆきお

川崎ゆきお超短編小説 コレクション 5

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