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馬頭観音

 妖怪博士は先日依頼で行った一軒家に出る風邪という妖怪について、いつもの担当編集者に話したところ、一軒家に一番近いお隣さんの寺に興味を持ったようだ。
 一軒家の怪は風の音のようなもの。それよりも、地所持ちの荒れ寺に妖怪変化がウジャウジャ棲み着いているのではないかと思ったようだ。これはただの思い付きだろう。
「もう一度行ってみませんか」
「それは解決したが」
「一軒家は貸家でしょ。そのオーナーがお寺。しかも荒れ寺。一軒家の周辺も寺の地所でしょ。かなり広い野っ原のようなところにポツンとある寺。これは怪しいですよ。まるで隠れ寺。いや、隠し寺」
「私も最初は寺が怪しいと思っていたがな。これだけの土地を持ちながら寺は荒れているらしい。宅地としては町から遠いが、その気になればマンションでも建てられる。金持ちのはず。だから寺も小綺麗なはず」
「どんな寺なのですか」
「一軒家の隠居から聞いただけじゃが、寺というより民家に近いらしい。だから、そこに寺があるとは気付かなかったりしそうじゃ」
「行きましょう」
「いや、もう解決したので、二度の依頼はないじゃろ」
「うちが依頼します。仕事です」
「出版不況なのに経費は出るのか」
「交通費と宿泊代程度は」
「じゃ、私の実入りは」
「ですから、それを書いていただければ、原稿料を払います」
「まあ、それが普通じゃろ」
「しかし、その荒れ寺に妖怪がウジャウジャおるとは思えんがな」
「餓鬼って、ご存じですね」
「腹が出た虫のような奴じゃろ。コオロギに似ておる」
「餓鬼草紙に出て来るような餓鬼がウジャウジャ巣くっていそうです」
「勝手なイメージを」
「まずはイメージ作りです。いなければいないでいいのです」
「おれば大変じゃ」
「そうです。だから安心して言えるのです」
「しかし、読者をがっかりさせる」
「慣れているはずです」
「慣れとは恐ろしい」
「じゃ、決まりですね」
 妖怪博士は今度は編集者を連れて一軒家へ行った。
「おや、妖怪風邪はその後鎮まりましたよ。気にしなければ聞こえてこなくなりました。妖怪の仕業だと思い、安心したのでしょうねえ」
「それよりもお寺なんですが」
「はいはい」
「この近くでしょ」
「そうです」
「行ってみたいのですが」
「おや、今度は寺から依頼があったのですか」
「まあ、そんな感じです」
「北へ続く小径があります。一本道ですので、すぐに分かりますよ」
「家賃はどうしておられるのですかな」
「ああ、銀行落としですよ」
「じゃ、寺へ行く用事は滅多にないと」
「いや、散歩中寄ることがありますよ」
「寺に入ったことは」
「はい、何度か見せてもらいましたよ。まあ、うちとは宗派が違うので、軽くお参りするだけですが」
「荒れていると」
「そうですなあ。畳から藁が出ているような」
「現役のお寺ですかな」
「さあ、もう自宅化した喫茶店のようなものですよ」
「そこで、何か見ましたか」
「御本尊は馬頭観音さんらしいのですが、これが怖い。お顔も怖いが崩れているからさらに」
「住職は」
「いつもは野良仕事をしています。家族もいますよ」
「じゃ、営業していない寺ということですか」
「さあ、私寺じゃないですかね」
「どの宗派にも属していない寺などありませんから、勝手に作った寺風の住居ということですか」
「さあ、そこまでは分かりません。しかし、ひなびた感じでいいところですよ」
 担当編集者は横で黙って聞いているだけだが、餓鬼草紙の絵は無理だと諦めたようだ。しかし、寺には興味が湧いた。だが妖怪を出さないといけない。そのための機械が妖怪博士なので、仕事をしてもらう。
 教えられた果樹園とも畑とも原っぱとも分からないような小径を抜け、背の低い樹木、これは勝手に生えてきたのだろう。それらがジャングルのように茂っているとこを通り抜けると、大きな農家のようなものが見えるが土塀だけがやけに長い。ここもまた一軒家で、この野っ原の一番中央部にある。その背は山が張り出している。
 土塀に膨らみがあり、それが門だろう。その手前は畑らしく、背の曲がった老人が鍬で耕している。おそらくこの人が寺の主、住職だろう。剃髪だがもう禿げてスキンヘッドにしているだけかもしれないが、後頭部に長い目の毛が集まっている。ここだけは密林だ。ここだけ毛生え薬が効いたわけではないだろう。
 寺の近くに、古そうな家がポツンポツンとある。いずれも借家。
 編集者が野良仕事中の住職に声を掛け、案内を請う。住職は鍬を寝かせ、門へと誘う。
「馬頭観音さんを見に来ましたか」
 そう勘違いされたのだが、そういう訪問者がいるのだろう。頭が馬の観音さんもあるようだが、馬ズラの観音さんかもしれない。呼び名が変わっているので、どんな仏像なのかを見る人もいるはず。
 実際には頭だけが馬の人間で、これを人間と言えるのかどうかは分からないが、羅刹だろう。つまり鬼。地獄にいるとされている。
 馬頭観音はそこまで露骨ではなく、頭の上に馬の頭を付けていたり、かぶり物程度だろう。観音だが明王でもある。顔が怒っている。これは馬の守り神。
 住職はその説明を楽しそうに語り。住職の家系はこの土地の人々で馬の産地だったようだ。つまり牧場なのだ。だから田畑ではなく、野っ原の面影が残っているのだろう。
 要するに馬の守り神として馬頭さんを置いた。それだけのことで、寺ではなかったのだが、宗派に属する寺にもなったことがあるらしい。
 今は私寺であり、この住職風の年寄りは私僧ということになる。これはこの家では代々受け継がれているようだ。
 馬頭観音があるので、それを拝む人、という程度だが。もう馬はいないので、役目を果たしたので、放置だろうか。
 編集者はここまで聞いていて、餓鬼とくっつけようとするが、間を繋ぐものがない。引っかかりが何もない。当然だろう。編集者の勝手なイメージなので。
 寺は確かに荒れていて、手入れなどしていない。結構大きいのだが、土塀の一部が倉になっており、その倉の方が高い。これでは外から見ても寺とは思えないだろう。
 しかし一軒家の隠居も、ここを寺だと言っているし、周辺の人々も寺だと思っている。これは僧侶の服装をして、ウロウロしているためだろう。寺なら寺名がある。しかし、ここには名前はない。敢えて言えば馬頭さん。これは愛染明王を祭ったお寺を愛染さんというのに近い。
 妖怪博士も、流石にこれは手強いらしく、餓鬼と結びつける努力はしているが、どうも無理っぽい。こういう場所なら馬の妖怪でも出したた方が似合う。
 しかし、この馬頭観音か馬頭明王か、どちらが正式名かは分からないが、顔は仁王さん。これが観音さんなら、もの凄く怖い。観音さんは菩薩。菩薩がこんな形相に化けたのだろうか。だから、餓鬼など探さなくても、妖怪は目の前にいるのだ。
 顔の怖さが増しているのは木彫が崩れかけ、右目に填め込んである目玉がズレているし、額の一部が剥がれている。填め込み式のためだろう。これは腹が出た餓鬼よりも怖い。
 住職は生まれたときから見慣れているためか、そんなものだと思っているようだ。
「何故、放置したまま、朽ちるに任せておられるのですかな」と、やっと妖怪博士が口を開いた。一番疑問に思うことだったのだろう。
「ああ、これは怖い仏さんでしてな。下手に弄ると悪いことが起こるのですよ」
「触らぬ神に祟りなしですか」
「まあ、そういうことです。こういうのも作り物なので、いつかは朽ちるでしょ。まあ、屋根があるだけまし」
「弄ると災いが?」
「言い伝えですよ。いっそのこと包帯を巻いて木乃伊のようにして、秘仏にしたいところですがな」
「これは誰が彫ったものですかな」
「さあ、江戸の中頃、誰かが寄進したと聞いております。まあ、捨てに来たのでしょ。気味が悪いので」
「そのときに、その入れ物としてお堂を建てたのですかな」
「そうです。最初は納屋のようなものだったとか」
「ああ、分かります馬頭さんだけに馬小屋が似合うと」
「まあ、馬の守り神ですからな」
「はい」
 編集者は当てが外れたのか、早々に暇乞いした。
 住職は門の外まで見送りに出た。そして去って行く二人を確認した後、野良の続きに戻った。
「困りましたねえ先生」
「じゃ馬頭妖怪でいきますか」
「はい、お任せします」
 戻り道、あの一軒家に二人は立ち寄る。
「見ましたか、お寺」
「馬頭さんも見ましたぞ」
「あれは怖いから、私はもう見たくないよ。それより、これから帰るところですか」
「そうです」
「夕方の最終バスはもう行ったので、どうします」
 結局、この一軒家で泊まることにした。
 そして、夜中、妙な音が聞こえてきた。風の音だろう。
 一軒家の隠居はぐっすりと眠っている。
「先生、あの妖怪風邪じゃないですか。まだ収まっていなかったのでは」
 妖怪博士は、奥で寝ている隠居を起こす。
「何も聞こえんですよ。風邪妖怪はもう聞こえんようになりましたから」
「しかし、さっきから気味の悪い風音が」
「気のせいでしょ」
 隠居は眠いのか、そのまま起きてこなかった。
「先生、ここはやはり怪しい土地ですよ」
「そんなことを夜中に言うでない」
「寺の方から聞こえてくるような気がしますが」
 パカパカと馬の蹄の音が混ざっている。
「博士、これは本物です」
「そう言うこともあるだろう。なければ怪異など最初から存在しない作り話。そういうことがたまにあるから、怪異も生きる」
「呑気なことを。解説している場合ですか。外に馬が来てますよ。一頭じゃなく、もの凄い数だったりして」
「大丈夫じゃ。この一帯は馬頭さんが守っているはずなのでな」
 妖怪博士はそのまま寝てしまったが、編集社は明け方、音がやんでからやっと寝付いたようだ。
 そして、一軒家を昼近くに立ったのだが、よく晴れた日で、陽射しが明るい。
「博士、昨夜のことの解説を」
「ああ、少しファンタジーが入り込んでしまっただけじゃ」
「それだけですか」
「隠居も言っておった」
「何と」
「気のせいじゃと」
 
   了

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