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HSPに関すること

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言葉そのものだけじゃない、気持ちが伝わる時~うれしい言葉もイヤな言葉も~

 「気にしすぎ」とか「考えすぎ」とよく言われる。  よく言われてきた。  きっとこれからもよく言われる。  たぶんなんだけど、あれって「大丈夫よ!」の意味をこめているのよね。 と思いたい。  「前向きに励ましてもらえた」と受け取りにくいのは、きっとHSP(highly sensitive person)あるある。何度も言われてきた言葉だし、気になってしまうことや考えてしまうことを、いくら頭から振り払おうとしても貼り付いているからで。  貼り付いているものをはがそうとしても取

嫌われている気がするとか自分を好きになるとか

 どうしてこんなに僕は僕のことが好きなんだろう。  10代後半になっても息子は言っていた。夫も私も「良いじゃない」とうれしくなってしまう言葉で、私たちにとって大きなごほうび。  だって父さんも母さんもそんな風に思えるように接してきたはずで、努力してきた部分なんだもの。    子供と接してきて「こうするのが正しい!」とか「成功した」とか何年経っても自信は増さない。息子の今を見ていると問題ないはずなのに本当にこれで良いのかなと心配になってしまう。自分に対しても、ああ良くない接し

文も人との関係も、自分を何度も確認しながら少しずつ歩んでいる

 何度も「そういうものだ」と思うのに慣れない。  noteから、交流ある人がいなくなること。  フォローを外されるとか、うまくいかなくなってしまったとか、やっぱり合わないとか、そういうのは仕方ないとまだ思える。機会あれば、あるいはタイミング合えば、互いに近づけるかもしれないし。  アカウントごといなくなってしまうことが何ともつらい。何年経っても「そういうものだ」と、受け入れようと思っても慣れない。アカウントごと消すその人の気持ちを、知り得ないのについ想像してしまう。  来

思いを表現したいだけなのに

表現する行為は自分の解放のつもりで、気が付けばしんどいものになる時がある。 うまく伝えられない。 なんでこんな表現になっちゃったんだ。 エネルギッシュに書いてみても、思いをぽたぽた落とすように書いてみても、身をよじりたいほど自分がつたない。 言葉を尽くしているつもりが、こんなだと思いは伝わらないよ。 自分の書いたものをうんざりしながら眺める。 始まりはどんなきっかけであれ、淡々と続けているだけのはずなのに、心がいつの間にか身に覚えのない傷だらけ。 風にさらされて初めて痛

泣いたって良いのだよ

 よく笑う楽しい子でいたかったけど、どうしても泣き虫だった。  悲しいと泣く。さびしいと泣く。切ないと泣く。怖いと泣く。うれしいと泣く。感動すると泣く。腹が立つと泣く。悔しいと泣く。  特殊なところで言うと、風が怖くて泣くし、一過性の「不思議の国のアリス症候群」とやらで泣くし、ヴァイオリンの音色で泣いた。  でも親や兄に「泣くな」とも言われて育った。特に時代もあってそんなものかもしれない。親や兄の表情もよく見てしまうので、泣くのは我慢するようにした。幼少期から人前で泣かない

HSPかもしれない三つの特徴に改めて気づく

 メディアに取り上げられ、話題になったHSP(highly sensitive person)。  HSPの特徴は「DOES」と表記できる。  Dは、depthで、深く分析する能力。  Oはoverstimulationで、過剰な刺激により、周りにすぐ圧倒される。  Eはempathyで他者の気持ちを感じ取る。  Sはsubtletiesで、ささいなことへの気づき。  以前は、一つでも強く当てはまればHSPだと言われていたけど、今の定義は違う。  アップデートしましょ

私にとって特性(HSP)を名乗る意味~自分を大切にできてからの、その先に~

 生まれ持った特性、気質をカテゴライズする名称は、私が子供の頃は今ほど細かく分かれてはいなかった。  自分に、或いは自分の子供に名前の付く特性があるとわかったところで事実は変わらない。  名前があってもなくても個性なのだから意味はないと思う人もいるだろう。  そんな風に達観できていたら良いけれど、むしろ知ってショックを受けたり、名乗ると周りの目が変わってしまうから隠しておきたいと思ったりする人だっているだろう。  そしてホッとする人も。  ホッとするのは、他にもそういう特

「怖い」も大切な感情の一つ~言葉に出せるありがたさを知って~

 耳から受け取る情報量が多すぎるみたい。  何でもかんでも聞こえてしまって大変、てわけではない。絶対音感があるわけでも、優れた聞き分けができるわけでもない。  音で何かを表現された時に、どうやら一般的に何かを感じる分の何倍かを感じ取っているみたいだ。視覚的なものももちろんあって、多分耐えられるボーダーラインが低い。すぐに怖がってしまう。だけど音からもらう情報は、それ以上。  映画を観ていて気づいたのだ。  緊迫感や耐えられない恐怖心は、音から感じ取っているんだなと。  そ

案外、人見知りじゃないかもしれないよ~HSPであったとしても~

 厳密に「人見知り」って何だ?   30超えた頃、自分を「人見知り」って言うのが段々恥ずかしくなってきた。私の場合は、それを盾にしているみたいで。  妊娠して、親となるための区の教室に出た時、何人か友達ができて、互いに「私、人見知りで」と紹介し合った。  そして互いに「えええ。人見知りには見えないよ」と言い合った。  「私は本当に‘人見知り’なんだろうか?」「人見知りって何だろう?」「どうしてみんな人見知りって自称するんだろう」と疑う気持ちが芽生えた。  子供ができ

認知されてきた「HSP」は魅力でもある~メディアの取り上げられ方に少し心配も~

 最近、メディアでもHSP(highly sensitive person)が取り上げられる機会が増えてきた。  機会が増えると、タレントで名乗る人が出てくるし、タレントが名乗るとまた少しずつ話題に上ってくる。  この前は、朝の情報番組で取り上げられていて。でもメディアでの取り上げられ方は、すごく表面的で、不安を感じるHSP気質の人は少なくないはず。そりゃあ番組の一部だから、深く掘り下げられないのはわかるけど。  ※フォローしている、漫画家おがたちえさんが、顔出しナシで出演

図太くなろうと頑張らなくて良い~仲間の繊細さんたち(HSP)へ、そうでない人たちへも~

 「図太い」って、最近は誉め言葉で使う。「繊細」は対義語みたいに、少し否定的な意味が含まれる。だから「繊細じゃなくて図太い方が良い」といった風にその言葉を使う。私もそれが自分をラクにする方法で良いのだろうなあと思ってきていた。  自分を図太くて精神力が強いと思いたいから、そうでもないんじゃないかと気づいた瞬間があると、「そんなはずはない!」と抵抗したくなる。繊細な部分や揺れやすい部分があると知ってから、それもそれで良いと思えるまでずいぶん時間がかかった。  ここnoteには

HSPが大病院に行くと

 昨日、何の気なしに非公式コンテスト物について書いて載せたら、その後に、人と集まることを想像して勝手に疲れ、ああいうコンテスト物に参加した時の心境を思い出してまた疲れ、さらに皆の盛り上がりややり取りを見て疲れ。疲れすぎてげんなりしてしまった。みんな、そんな風に楽しくつながれて良いなあ。私も気楽な感じでそんな風にできたらなあ。でもしんどいからできない。チラッと見ただけなのに、今日もまだ精神的にヘトヘト。私の場合は、無理につながろうとしてはいけない。  ああ思い出し始めると自律

hspって脳の働き方に関係する

 カウンセリングや心理学について知ろうとしていると、脳の働きについて考えない人はいないはずだ。  親子関係や家族関係について本ばっかり読んで机上の空論をかざし、でも勉強し、脳についての本も読んできたはずだ。  何故。何故なのだ私。アホか私。    何でそこを深く考えなかった私! と言いたいのは、HSP(highly sensitive person)に関してだ。  「なんだよー。なんでだよー。」  先日、あるページを見ながら、何度も嘆き、うめかずにはいられなかった。  

「人を嫌うのが苦手」HSPひとコマあるある!#10

HSPに限らず人間関係の悩みはつきものですが、嫌なことをされてもHSPはどこかに相手に「期待」しているのだと思います。 「世の中に100%悪い人はいない」 「人に嫌われた自分に落ち度があったんだ…どこを直せば良いのだろう?」 「私が変われば、相手も自分のことをわかってくれて和解できるはず!」 「今度はこう言えば、相手もわかってくれるのでは!?」 そんなことをグルグルずーっと考えて、それこそ仕事も手につかないくらい考えすぎてしまいます(私の場合は…)。 我慢できなくなって、