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父親にとって、娘を持つ醍醐味

 先日、フォローしてる三木智有さんが、娘さんとの会話やその時の気持ちを書かれているのを読んで、ほのぼのした。

 カレーパンを買う際のやり取り、娘さんの「辛くなかったらどうする?」には、大人側はぐうの音も出ない。その後、カレーパンが大きすぎていらないから、うどんを食べさせろと言い、そのうどんには卵や海苔も入れろと指示を出す。

 いやあ、これが大人なら、三木さんも書いているように「社長か!」ずいぶんエラそうだ、と思うのに、子供だし、ましてや我が子だし、親は普段接していて加減を知っているから「ハイハイ」と聞く。そして寝ぼけ半分で「大好き」なんて言われちゃったら、そりゃあもうメロメロだろう。

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 娘がいない我が家だから、私の場合は父のことを思い出した。

 幼少期、それはそれは父に可愛がられていた。別に何でもかんでも甘やかされていたわけでもなく、「パパみたいな人と結婚する!」とか思っていたわけでもない。ただ父に対して、「私のあらゆる言動を受け入れてくれている」自信があった。だから何を言っても許されるし、でも父を傷つけるような言葉はできるだけ口にしたくなかった。父には何を言っても許してくれるからこそ、私も優しくしたいと思っていたのだ。

 とは言っても、なかなかのわがまま放題。例えば抱っこして写真に写る時。だいぶ大きくなってきて、父の肩越しに顔を出して抱っこされるくらいの年頃ですね。父が写真に写ろうとすると「ええ~それじゃあ私が写らない! 私が写りたい!」と主張。いったん父がカメラに背を向け、私をカメラに向かせます。すると「そしたら、お父さんが写らないじゃない」と父が笑い、また父がカメラの方に向く。「そうしたら、私が写らないじゃない!」と言うと、父が笑いながらしょうがないなあとカメラに背を向け、私が写った写真があります。今も残っています。この可愛らしい40年以上前の写真、今の私と全然似ておらず、さして面影もなく、別人のようなので、載せますね。

 どうですか。この「してやったり」の表情。悪い顔ですね~。してやったり。って思ってたんですこの時。確信犯です。
 
父の背中が何かを訴えかけてきています。「父さんも写りたかったよ~」とか。娘に参ってあげたちょっと哀愁漂う背中ですね。
 当時は、一枚一枚の写真が、フィルム現像しなくちゃ見れなかったですし、写真に撮る、写る、ことが今よりも貴重だったのです。

 今もこの写真を見ると、当時のやり取りを思い出して笑ってしまう。決して私は体をひねって一緒にカメラの方を向かなかった。もちろんそれは、父とのやり取りを楽しんでいたからだ。
 
 父の「娘が可愛い」と思う気持ちは常に伝わっていて、おかげで思春期の頃も、苛立つと父に平気でイヤな顔を向け、それでも父は嫌いにならないでいてくれると自信があった。頭をちょっと触っただけで、その手を「うっとうしい」と振り払い、苦笑いされた。そして、お父さんのことなんか大嫌いと思ったことは一度もない。本人に対してはイヤな態度をしても「お父さん? 好きだよ」と周りに言っていた。

 時は経ち、私たち夫婦に息子が生まれた。ほぼ同時期に、兄夫婦に娘が生まれた。
 父は、そのとぼけた態度で、孫たちを大喜びさせていた。喜怒哀楽激しい息子に対しても、面白くて仕方ないらしく、「可愛いねえ」「面白いねえ」としみじみしながら、息子を楽しませてくれた。
 でもある時、私は聞いてしまったのだ。

 父が兄に「女の子、すごく可愛いでしょ? 父親にとってはどうしてもね。ふふふ」と言っているのを!

 私の息子に対しても可愛くて仕方ない気持ちは伝わっていたけれど、どうやら女の子は、父親にとってそれ以上に可愛いらしい。

 大人になってから、照れ屋の父のそんな言葉を聞いて、私は本当に可愛がられていたんだと実感した。15年程前に聞いたその言葉を、今も覚えている。

 
 そんな父の言葉を思い出した三木さんと娘さんとのやり取り。きっと娘さんは、お父さんが自分にメロメロだと知っている。そしてそんな父親に甘える。でも、それは子供にとって、「愛情」そのものに対する自信となるだろう。
 母と娘、母と息子、父と息子、それぞれの関係に特徴があるように、父と娘もやはり特別な関係。今、お子さんがいる方は、その楽しい部分を存分に味わえると良いなあと思うのです。

#エッセイ #思い出 #父と娘

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。