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息子が幼少期の頃、よく遊んだボードゲームの数々

 幼い息子とはよくモノポリーをした。
 これを始めると延々続いてしまい、二人して疲れ果てることが多かった。息子は今になって「手加減しないで早く済ませて良かったのに」と言う。だけど手加減なしだなんて……すぐ終わっちゃうじゃないか。ある程度続いた方がこちらも面白いし、息子が負けると手が付けられないほどグズるので、簡単に勝負がつくとそれはそれで大変だったのもある。それに息子はまだ幼すぎた。あまりに無策。だって始めた当初って、まだサイコロもサッと数えられなかった確か幼稚園生の年少さんの頃です。「何これやってみたい」って、持て余すような大きさの箱を抱えてこちらに向かってきた息子を歓迎したいではないか。当時の息子は、二つのサイコロを投げると、ヒシと覆いかぶさるようにサイコロにしがみつき、表に向いている点々を「1、2……」と数えていた。その姿は、身もだえしたいほど可愛い。

 息子とは人生ゲームでも散々遊んだ。これは運だけのゲームなので、手加減も何もできなかったが、これまた息子は大好きでして。「給料日」はお金がもらえて嬉しいし、当時の息子にとって「素敵な言葉の音の響き」になったようだ。自分で作り出したカードゲームでも、「キューリョービ」という言葉を使って遊んだ。確か、めくった数より次のカードが大きいのではと思ったら「キューリョービ」と言ってカードをめくるルール。しかしそのカードゲーム、「キューリョービ」に対応する言葉が「我慢」。「我慢」の時はめくらない。そしてそれを新幹線でやられて恥ずかしい思いをしたことは、あちこちで話し、周りの方々にも知られている。

 大きな声で「給料日!」「我慢!」「我慢!」「給料日!」と繰り返す息子を、止められなかった。下手に止めると、無邪気に大きな声で「どうして?いつもは遊んでくれるのに!」とか言いそうで、笑いをこらえながら小さな声で一緒に遊んでやるしかなかった。それでも時々「うふふん」と私の笑い声がもれてしまう。そして「どうして声が小さいの?」とか「何で笑ってるの?」とか聞かれちゃうのだ。本当に恥ずかしかった。我が家で、給料日だの給料日まで我慢よだの言ったことないんだけどなあ。ああ周りの人はなんと思っていたか。

 もちろんトランプもやった。ババ抜きは、私の父がやっていたように、カードをひいてもらう時に、一枚だけ上に出してみたり、息子が引っ張りかけたカードをわざとギュッと持って、引かせないようにして息子を喜ばせた。自分がそういうことをされて、キャッキャと笑って喜んでいたことを、自分の子供にやって喜ばれるのは至福のひとときだ。

 夫は将棋が好きなので将棋を教えたり、チェスを教えたりすると、息子も覚えた。でも息子はいつまで経ってもスキだらけで、同級生の、チェスや将棋の強い子に簡単に負ける。わざと変な駒の動かし方をしたり、相手の注意をそらしながら勝手に相手の駒を動かしたりして「もう!」とか叱られ、「うへへへへ!」と嬉しそうに笑っていた。藤井聡太が息子と同い年とか信じられないです。

 黒ひげ危機一髪やジェンガなどの単純なゲームでも遊んだが、コピットゲームやブロックスなどのボードゲームが好きだったようだ。特にバックギャモンは息子にとってかなりのお気に入りだったようだ。

 一時、ドミニオンというカードゲームにハマったこともあった。
 これは作戦も運も必要なのだが、何よりもルールが複雑。私はルールを説明されてもイマイチ良い使い方がわからないとか、その時わかってもすぐ忘れてしまう。そのため息子が一生懸命説明してくれて、毎回忘れる私は毎回新鮮な気持ちで臨むことができた。ちょっと夫も息子も呆れていたと思う。

 他には漫画『ちはやふる』のお陰で、三人して百人一首カルタにハマったことも一瞬あった。毎回少しずつ覚えて、札を増やしていったが、これはついつい夫も私も本気になり、息子を置いてけぼりにしてしまった。さすがにグズる年齢ではなかったが、三人して毎度熱くなり、グッタリするので、早々にブームは去っていった。漫画はまだ続いているようだけど。


 コンピューターゲームを買って遊んでいる時期でも、ボードゲームは息子が率先してよく遊ぶのに誘ってくるので、それにつきあったものだった。
 ゲームのことはまだまだ書きたいことがあるので、また時々書き加えていきます。


#エッセイ #ゲーム #ボードゲーム #子供 #モノポリー #人生ゲーム  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。