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案外、人見知りじゃないのかも~HSPの特性を考察しながら~

 47歳になった今ごろになって気づいた。

 「あれ? 私、人見知りじゃないのかも」

 いつから私は自分を人見知りだと思い込んでいたのだろう。

 幼少期、私は人なつこいと周りに言われていた。

 対人関係については、HSP(Highly Sensitive Person)の成分が強く出る部分があるので、少し特性についても書いておかなければならない。

 特性の中の幾つかは克服している。「克服」より「経験による慣れ」だと思うけれど。本質的なものは、努力したってそんな簡単に克服できるものではない。
 例えば花火や雷を極端に苦手としていた私は、光ってから大きな音が鳴るまでのドキドキに耐えられなかった。ドン! が怖くてよく母の太ももにしがみついて、その音に対する自分の無力を本気で感じていた。幼いから「無力」なんてわからないけれど、どうしようもないその「間」と音の大きさに恐れおののく。そういった音の怖さに対しては、少しずつ慣れて克服できていった。今もほんの少し怖いけれど、打ち上げ花火を近くでも楽しめるようにはなっている。
 ちなみに最近では、セルフレジの中で「お釣りとレシートをお取りください」の声の、大きいヴァージョンがあって、それが怖くてドキドキするので、めちゃくちゃ慌ててお釣りとレシートを取っている。

 そんなHSPの特性がある私だけど、ニュージャージーに住んでいた頃の経験から、NOが言える。言わないと、暮らしていけないレベルだったので、生きていくためにハッキリ言わなければならない。だから今でも「NO」を言える。ごまかしごまかしの時もあるし、きっぱりはっきり物おじせず、なんてわけにもいかない場合も多いし、総じて決してうまくはない。でもHSPなのに、一応断れるところは、そうしなければ生きていけなかったからだ。びくびくしながらでもNOを伝えられるし、逃げることだってできる。これは良かったと心から思っている。

 そしてHSPだけど、少なくとも幼少期は人なつこかった。遠慮だとか人の気持ちを考え過ぎて行動できないとかは本当だ。でもまずは「アナタに敵意はありません」を全面的に出して、好奇心もあって人に近づく。たいていは壁を感じるので、すぐに「あっごめんなさい」と引く。だけどこれは同性に限った話だ。異性に関しては、私は好奇心だけで近づけない。というか、あまり異性に好奇心がわかない。キュンとしたり恋愛対象だったりは異性なのだが、好奇心が湧いてすぐに近づきたくなるのは同性。でもグループとか何人かで集まるのは女性だと極端に苦手。なのに近づきたい。そんなだからよく占いで「人に騙されやすい」なんて書かれる。そして私の場合、たいてい女性にそれが当てはまってしまう。気を付けなければと思う。自分に対しても、そして相手への失礼にならないためにも。

 幼少期、ニュージャージーから帰国して、同調圧力がとても強いと気付いて怖いと思い始めた。それでも先生のおかげで何とか楽しく生活していたのに、そこから転校してイジメられた。あの頃からだろうか。私はイジメ合うのだったら一人きりでも良いと思い始め、友人も作らなくて良いと思い始めた。
 その後、友人ができて、中学から入った女子校では人なつこさがまた全開になったのに、女子校のぬるま湯につかりきった私は、大学生で男子と接する機会が増えた時、壁を作るようになった。心を許して接した人にふられちゃったりしたからかなあ。
 いつの間にか私は自分で「人見知り」と言うようになっていた。
 それを最近まで信じていた。
 でも両方の面が自分にはあるんだと気が付いた。
 特に、経験によるものも大きいのではと気づき始めている。
 意外と「人見知り」「人なつこい」、どちらかだけでないのかもしれない。

 相手にもよるし、場面や状況にもよる。慣れていけば、「私ってこんなもの」と、諦めがつくかもしれないし、それでも自分がイヤだと思っていたたまれない時もある。特にここnoteで皆さんと知り合ってから、自分の人なつこさに少し驚いている。グイグイ行ってしまうので、途中で「一方的に押しちゃってごめんなさい」と急に引いたりおとなしくなったりしてみている。
 
 人なんて色々な面があって当たり前だ。それを決めつけてしまわないで、自然の流れに身を任せてみるのも良いと思うようになっている。


#エッセイ #人見知り #人なつこい #HSP

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。