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現代の電車内の風景と、阪急電車の思い出

 小学校一年生で帰国した時、学校の宿題だった絵日記に、「はんきゅうでんしゃにのりました」と書いたのを覚えている。
 何度も、母に「なんていう電車だった?」と確認しながら。
 当時の私は電車が珍しくて、ただの移動手段だった「阪急電車」をとても気に入りました。

 それからも随分とお世話になります。小学生の間は塾へ行く時。中学生以降は学校通う時。バイトや仕事に行く時。友達と。バッタリ会った父や兄と。買い物で梅田や三宮へ母と。甲子園球場へ行くのに阪神電車に乗り換えるまでの間。そして主に一人で。
 中学生以降は、よく本を読んでいたし、ウォークマンに好きな曲を集めたテープを聴くことも多かった。
 眠ってしまい、最寄りの駅で飛び起きて、慌てて下りたことも時々あったなあ。
 だけど、景色を眺めてボーッとしていることも割と多かった。立ったまま考え事。座ったまま考え事。

 この前、久し振りに電車乗りまして。
 滅多に行かないのだけど、都心に用事あって電車を利用しました

 夫の親兄弟がいる札幌。私の親がいる宝塚。訪れると電車や地下鉄に乗る。札幌も大きな都市だけれど、いつでもギッシリ混んでいるわけではない。宝塚で乗る阪急電車ものんびりした時間帯がある。朝や夕方以降の混んでいる時間帯でもなければ、座れることが多い。ざわざわとお喋りしている人が多いのは、関西ならではの特徴なのだろうか。又、そんなに分刻みに来るほど電車の本数が多いわけじゃなく、人が多くない空いている時間があるため、最近になっても、それほど周りが何をしているか気にしたことがなかった。

 今回、スマホ画面に気分が悪くなって酔いそうだったので、スマホするのを止め、ぼんやり顔を上げた時に気づいた。

 学生時代、見なかった光景がそこにあった。

 人がギッシリたくさんいながら、スマホをしている人が多い!
 私を含めてですが。
 スマホじゃなければタブレットを見ていたり、ゲーム機を持ってカチャカチャしたりしている人もいる。そうでない人たちは、本や雑誌を読むか。寝ているか。

 ボーッとしている人がほとんどいない。
 
 それは良いとか悪いとかじゃなく。
 ただちょっとビックリしたんです。みんながそれぞれ自分の持っている何かを見ている、という状況が。

 確かに昔も、新聞を読んでいる人たちがいた。父も、周りの人の迷惑にならないよう縦に折って読んでいたそうだ。今は新聞もデジタルで読めますね。でもその昔、新聞や本、雑誌や漫画を読む人以外は、顔を上げて景色を眺めながらぼんやりしていた。そんなに少なくはなかったはず。

 今は暇さえあれば、手元を見ている私たち。

 時代の流れとは言え、ぼんやりする時間、みんなにはあるのかな。私は目が疲れるから見続けていられないだけではあるけれど。

 そして常に何か情報を目にしていなければならないのではなく、ぼんやりしているのは、決して無駄な時間ではないはずなのだけど。

 宝塚で乗る阪急電車の、のんびりさを思い出し、いやあれは20年以上も前の光景だったのだろうかと、少々ノスタルジックに浸ってしまった。

#エッセイ #阪急電車 #スマホ #手元 #ぼんやり #ノスタルジー


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。