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あなたの身近な街は、何かで一位になったことがありますか

 先日知った。
 1996年の全米一危険な街。それは私が住んでいたニュージャージー州の中にある隣町ニューアーク。

 私たち夫婦が付き合い(1996年)、結婚した頃(1997年)に住んでいたニュージャージー。その中のニューアークは、当時住んでいた地区のすぐそば。私たちが住んでいたのは、カーニーという場所。よほど興味のある方は、どうぞ地図を見て下さい。ニューアークへは、日常的に行き来していた。

 例えばニューアークには空港があり、そこを利用して日本と往復していた。
 駅もあり、そこを利用してニューヨークと往復していた。
 夫の職場があり、車で約15~20分。やはり毎日のように往復。夜は仕事が終わる10時半頃に迎えに行っていた。

 あの街が……!!

 いや。ちゃんと本音を言おう。

 やっぱりね……!!

 
 だって迎えに行く時いつも怖かったもの。夫が職場の建物から出てきて、車に乗り込むまでも、夫の姿を確認しながらドキドキしていた。ドキドキは新婚のトキメキではない。※ホールドアップ に遭わないかドキドキ怖かったのだ。(※1 手向かいしない意志を示すために両手をあげること。また、それを命じる語。手をあげろ。2 強奪。強盗。goo辞書 より)
 夫の職場は広いので、目の当たりにしたことはないそうだけど、職場内でホールドアップがあったと言う。アメリカのどこまで常識的になされているのかわからないけど、ポケットにはいつでも出せるように20ドル紙幣を入れていた。ホールドアップに遭った時、サッと20ドルを出せるようにだ。命と比べたら20ドルなんて安いものだ。激安だ。

 その辺りのアパートの窓にはことごとく鉄格子がしてあった。外からの侵入を防ぐためである。

 そんなニューアークで、私は「小銭を下さい」とバスの中だったにしろ、言って回った体験を、以前に書いた。

 そう言えば、ニューアークの駅でスーツケースをひったくるように取り上げられ、「運んでやったからチップくれ」と言われたこともあった。恐ろしくて渡したら「これっぽっちか? あんだけの距離(大した距離ではない)、こんな重い荷物を(いやいや自分で運んでいましたが)運んでやったんだ!」と騒がれたことがあり、もう少しはずんだ。荷物を持って行かれるくらいなら、チップの少しくらい何だっていうのだ。

 そんな所で私たちは暮らしていた。
 いや厳密に言えば、暮らしていた地域カーニーはもう少し安全な住宅街。
 一番上の写真は、当時住んでいたアパートの回り。散歩だってできたし、窓に鉄格子も必要なかった。
 
 でもニューアーク行く時、いつも怖かったなあ。
 どうりで怖かったはずだ。いやあ1996年、全米一、危険な街だとは。

 あっ。この場合の危険の定義は「レイプと車の盗難が多い」らしいです。 

 私たちは1998年に札幌に行ったけれど、その後、2005年にはなんと! 

 危険度は、全米の中で23位になったらしい。

 そして2010年代には何と。

 「全米で最も友好的ではない街」になったそうだ。

 「最も友好的ではない」
 それは「危険な街、第一位ではない」ということだ!!

 「危険な街一位から、友好的でない街一位へ」

 全然ありがたくない称号なのに、もうすごい進歩に思える。

#エッセイ #ニュージャージー #ニューアーク #危険 #友好的ではない  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。