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自虐で笑うことについて

 矢御あやせさんが、自虐について書いていたことがあった。新年明けて早々、なかなか力強い内容です。

 これを読んでから、しばしば自虐について考えていた。自虐は良くないことなのか? 少なくとも、矢御あやせさんにとっては「もう減らしたいもの」であり、人それぞれだからやめなくて良い人もいるだろう、ということもご自身で書いている。では書いている側だけの問題ではなく、読んでいる側としても面白くて笑える時とそうでない時の差は何なのか。何故、彼女はここまで傷つかなくてはいけなかったのか。彼女の問題は彼女のものとして、自虐で自分を傷つけることと笑えることの違い、そして周りの反応について考えてみた。
 いくつかの映画を紹介しながら書いていきたい。

 まず「ガーディアンズオブギャラクシー」という映画から。ここに出てくるアライグマのロケットは、自分の意志と関係なく遺伝子操作の挙句に出来上がった姿である。こんな姿になっていることは腹立たしいと本気で思っている。だから周りの人がハムスターだのげっ歯類だの言うと、猛然と怒り出す。
 彼は機械にとても敏くて、頭の回転が早く、勇敢であるしそれに対しては自信を持っているが、受け入れきっていない自分の‘アライグマ’な部分を笑い飛ばすことができない。そこは彼の痛々しく辛い部分である。
 だけど、見てほしい。彼の姿はとても愛らしい。劇中ではバカにしている人たちもいるようだけど、明らかに可愛いではないか。1では仲間を思って泣き、植木鉢を抱える姿は何とも愛おしい。2でも仲間のために活躍する。仲間たちが彼を認め、彼が仲間を認めることで自分を受け入れるようになるのだ。時にはアライグマ、時には人間のように動く彼はしなやかでとても魅力的だ。

 次に「カラーパープル」。主人公のセリーが黒人であり女性であることで、差別、ひどい虐待を受け、辛い人生を送っている。でもシャグという女性に出会い、変化していく。強くなるだけではない。シャグという美しい女性が、セリーの魅力に気づいてと鏡に向かわせるシーンが大好きだ。「オマエなんか」とずっと言われ続けていたセリーが、シャグによって自分の卑屈さから脱し始める瞬間は、胸が熱くなる。人は人に、どのように言われ続け、どのように扱われる続けるかで、自分の価値を決めるようになってしまう、ということがあるのだ。彼女の魅力は内側にあるが、元々あったものを気づかせてくれるのはシャグだ。シャグは外側の魅力にさえ自信をつけさせてくれる。人として価値があるのだと教えてくれる。

 そして「マイガール」。少女が少しずつ成長していく映画なのだけど、一番好きなのは、主人公ベーダが、父親の恋人シェリーに、私の顔ってどうなの? というようなことを聞くところだ。その時のシェリーの褒め方がとても良い。「キラキラした目」「びっくりするような素晴らしい口」など具体的で主観的な言い方である。シェリーがベーダをどう思っているかということだ。なんて素敵な表現の仕方だろう。「良い」とか「キレイ」とかいった無難な褒め方じゃない。ベーダは美女という設定ではないわけだが、ここはとても心温まり、説得力があった。自分に娘がいたら、こういう風に言えたら良いなと思ったものだった。

 自分の魅力って、案外周りから教えられるものなのかもしれない。そして気づき、自分をまるごと受け入れていけたら強くなれそうな気がする。
 だとしたら、人からも愛される面であり自分も受け入れている面、つまり愛情を感じている部分なら自虐にしても笑うことができるのではと思う。自分も受け入れているということは、少々のことではそのことで傷つかないということ。

 自虐ネタは本来、愛情あって成り立つものだと思う。まず自分に。自分を愛おしく思っている部分に関することじゃないと、自分で自分を傷つけてしまう。それから、周りもそういう当人を受け入れたいという気持ちがあって笑うものではないだろうか。当人に便乗して、いじるために自虐ネタがあるのではない。
 その人の魅力の一つとして当人が笑ってくれと言い、その人を愛する一つの手段としてそこを笑うことがアリなのだ。周りがその人のことを言ってその人が笑われるのは違う。それは人と接する時の最低限の礼儀である。相手を笑いものにしているのではない。相手の言葉の使い方、技術によって笑わせられているこちら側がいることで、笑いが成り立っているのだ。

 どうか、自分を傷つけてしまう人たちは、ベーダのように自分を知り、ロケットのように自分を受け入れ、セリーのように立ち上がって強い心で自分を大事にしてほしい。そして本当に自分が心から笑えるようなことを、愛情ある人たちと一緒に笑えたら良いなと願う。

 私は矢御あやせさんという方に会ったこともないし、会ってどんな印象を持つかなんてこともわからない。だけど、自分を傷つけていることに気づき、そんなことはやめると決意した彼女の文章を読んでいると、再生する力を感じて、こちら側が勇気づけられるような気すらして嬉しくなる。きっと彼女は、魅力的な人なのだろうと想像している。


#エッセイ #自虐  

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