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ノベルジャムデザイナー会議と日本独立せざるをえない作家同盟

1/12に、渋谷HDEオープンラウンジで開催された『ノベルジャムデザイナー会議』に参加しました。ノベルジャムの参加作品を題材に、デザイナーさん本人がそのデザインの意図を語ったり、改善点について意見を出し合ったりするイベント。とても面白かったです。

当日は、二次会含めて非常に熱いトークか展開されました。その中で特に気になっているポイントについて、僕の意見をまとめてみたいと思います。拡張するノベルジャムが提示する出版の再定義と、日本独立作家同盟についてです。

さて、まずは白熱したデザイナー会議。

拝聴していて興味深かった点は、もちろん一つは、デザインの細かい意図の話。

僕は、人が何を考えてそういう表現に至ってるのかという、頭の中で起きていることについてとても興味があるのです。今回も、そういうところが気になって申し込みました。その点は大満足です。デザイナーの人はこういうところに視点があるのだなと、とても勉強になりました。

そしてさらに興味深い展開だったのが、ここから先。話が進んで、デザイン周辺の話題になっていったのです。

普段は注文を受けてデザインの仕事をしているが、ノベルジャムでは、アートディレクションの域まで踏み込まなければいけないのではないか。ノベルジャムが、売り上げを含めたグランプリ方式になっていて、また原稿ができあがってからの注文仕事ではなく、企画と同時進行で進めないといけないことを考えると、要望に応えるだけではなくて、自ら作品の意図するところ、狙いどころまで掴んで、その後の宣伝戦略までカバーしていかなければならないのではないか、という話になりました。

僕はノベルジャムには参加できていないのですが、こういうところを興味深く見ています。

ノベルジャムは当初、作家と編集者のタッグでスタートし、デザイナーは別にチームを用意しました。それが二回目には、デザイナーもチームの一員に。ここで、本を作るにはこの最低三人という定義を立てたわけですが。

ところが実際には、執筆、編集、デザインの三つの領域の間や周辺に、やることがたくさんある。商業出版という大きなシステムの中にいる時には、そこは分業となっていて、自分は関わらなくても良かったところ。そういうところまで意識していかなければならない。

そしてそれは、出版自体の再定義となっていくのではないだろうか。

すでに、作家は商業出版であれ、セルパブであれ、自作の宣伝を意識しなければいけなくなっています。そういうことが、デザインの周辺にも広がっているのだ、ということを知ることができたのはとても興味深いポイントでした。

会議の終わりごろにマイクを振られて、そんな話をさせていただいたのですが。

その出版の再定義的な話は、二次会でもありました。とても盛り上がって楽しかったのですが、アルコールが入っていたので同じことをぐるぐると言っていたような気がします。せっかくの話題でしたので、整理しますと。

言いたかった要点は二つ。出版不況で環境が変わっていき、出版というものはどういうものか再定義されるということと、それに関連して、では日本独立作家同盟はどうあるべきというか、そこで僕はどうしたいのかということ。

まず、出版不況という言い方が定着していてわかりやすいので、僕もここで使っていますが、実際には、出版の環境が変わってきているのが明白です。

不況は好況とセットで波になっていて、揺り戻しがありますが、環境が変わったということなので、この場合はほっとくと帰ってこない。

その状況について、自分はどう対処すべきかずっと考えてきて、最近思っていることは。

作家はどっちにしろ大変なので、先のことだけに集中すればいいのではないか、ということです。

そもそも、そんなにたくさんの作家を、世間は必要としてません。需要があるのはピラミッドの上の方の、ほんの一握り。

昔ちょっと数字を調べて、それ以来僕の行動指針となっているのですが、新人賞の応募状況などを見ていると、だいたい百人に一人のレベルになればデビューすることができる。しかしデビューしても、その次が保証されているわけではない。次の作品を出すためには、デビューした人たちの中での競争に打ち勝つ必要があり、千人に一人のレベルになる必要がある。さらに、出し続けるには、一万人に一人、十万に一人のレベルに行かねばならない。そう思って自分に鞭を入れています。

そしてこの数字は、多分そんなに変わっていない。別方面から考えてみると、ブログがブームになった頃見かけた数字が、いろいろ書いて人に読んでほしいのは、十人に一人くらい。確かツイッターでも、よく発言する人の割合というのをどこかで見かけたのですが、数字を忘れた。でもそんなに遠い数字じゃなかったと思います。

これはつまり、読む人書く人が10対1だということです。クラスに何人かいるでしょ、小説書いたり漫画描いたりしてる人が、という感じ。もしここで、この読む人たちがお金を払ってくれたとしても、10対1では成り立たない。最低千人ぐらいは欲しいところ。そうすると、さきほどの百人に一人のレベルで商業デビューというラインと、スケール感が合ってきます。

そして読む人たち全員がホイホイお金を払ってくれる読者ではないので、商売にするためにはやはり一万人に一人、十万人に一人というスケールになってくるのだと思います。

今、作家の側で問題なっているのは、その一万から十万の辺りの人です。電子書籍の割合が増えるに従い、読者と作品の出会いの場がネットに移行。リアル書店の持っているプレゼンテーション能力はネットにはないので、売れる人売れない人の二極化が進んでいます。

そこで他に影響があるのは、当然、本屋さんがやばいとか、運送業者さんは撤退したがっているとか、取次、そして出版社では、再販制度が疑似金融を可能にし、出版社の自転車操業を支えてきたけれど、売れた分だけ後払いの電子書籍では、それがなくなってやばいんだろうなとか。いろいろあるけれど今回そこはすっ飛ばして。

作家の、一万から下のグループ、僕も入っちゃっている層ですけれども、その部分が苦しいことは、別に昔から全然変わっていません。

いやむしろ、恩恵を受けるかもしれない。

前述の通り、必要とされる作家は、ピラミッドの上位ほんの一握りです。売れない作家は生きている価値がない。もともと大勢の作家が切り捨てられているのです。

例えば、商業作家でも、その作品が不調に終わった時、作家はそこで明日どうなるかわからなくなり、作品の未来も露と消える。

その下には、とりあえずデビューはしたけれど、次が続かないという僕みたいな作家、デビューしたいけれどもなかなかデビューできないともがき苦しんでる作家も、大勢いるわけです。

でも、セルフパブリッシングが可能になって、とりあえず商業作品と並べて世の中に出すことはできるようになった。昔から同人誌はあったけれど、そういう活動ももっと広げられることが可能になった。

愛する自分の作品を、商品価値がないという理由で殺さなくてもいい。細々とでも、続きは書ける。

お前には商品価値がないと断じられても、夢をあきらめて筆を折るなんてことをしないで、専業で生活することは無理でも、書き続けることができる。

越えられなかったらゼロだった採算ラインの下に、趣味と仕事の間のグラデーションができているのです。

しかも、この部分は、単に作家だけの問題ではなく、創作物の多様性を担保するという意味でも大きい。他ジャンルコンテンツとの競争が厳しくなり、採算の部分が厳しくなっている昨今、ほっといたら企画はどんどん絞り込まれてしまいます。「作家が好きで出す」部分が活発であれば、その中から意外な当りが生まれる可能性が残る。そういう部分も出版の再定義なのだと思います。

さてここで別の角度から。日本独立作家同盟という名前が、既存出版に喧嘩を売っているように見えて入りづらいですよね、という話が出ました。よそでも聞きました。

ただですね、僕にとって、日本独立作家同盟は、「日本独立せざるをえない作家同盟」なのです。

だって、出してくれなかったら、自分で出すしかないじゃん。アメリカでKDPから最初にベストセラーが出た時も、出版社に拾ってもらえなかったという人たちが何人もいました。自分で出すしかなかったんですよ。

だからセルパブに惹かれたし、「独立作家」というパワーワードにも釣られたんですよね。

むしろ喧嘩売ってるというより、価値がないと断じられているのだから、すでに売られている?

そういう、世の中に虐げられているような気分になっちゃう、ひたすらあがいて苦労している層。それが独立作家、「独立せざるをえない作家」なのではないかと思います。

そして、同盟の中で何かをするなら、僕はそこの担当だと考えています。「独立せざるをえない作家」担当。その層にもっと情報提供していきたいのです。

そういう意味でイベントを二つほどこなしたのですが。さて次はどうするべきか。

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