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アンナ・アップルトンの冒険 第三回

  五 アンナ、聞き込みに行く

「聞きこみに行くわよ!」
 昨日、死体置場で死体を見たアンナは、帰ってからも、それを思い出してか今ひとつ元気がなく、食欲もわかない様子だったが、翌日にはすっかり調子を取りもどし、朝からやる気満々だ。
「聞きこみって、どうするんですか?」
「やあね、ちゃんと本読んだ?」
 アンナは、仕方ないわねえ、という顔でトビィに説明を始めた。
「聞きこみは捜査の基本! たくさんの情報を集めていくと、有能な探偵にかかれば、おのずと事件のあらましが、浮かび上がってくるものなのよ。事件現場の周辺に住んでいる人達に、何か変わったことがなかったか聞いたりとか、被害者の身辺を洗ったりとかね。まずは、マギー・ウィルコックスの働いていた酒場に行って、色々聞くつもりだけど」
 ここでアンナは一息いれて、ふう、とため息をついた。
「これがけっこう、大変なのよね。最初の事件の時も聞き込みに行ったんだけど、なかなかみんな、打ち解けて話してくれないのよ。噂でも何でも話してくれればいいのに。どこかよそよそしいの。下町の人ってそうなのかしら?」
「それはお嬢様、仕方ないと思いますけど」
「なんで?」
 トビィは、最初にアンナに会った日のことを思い出した。
「お嬢様の格好、目立ち過ぎですよ。紳士の格好をした女の子、というだけでも驚くし、それに、身なりがあまりによすぎるんで、下町の人間じゃないのが一目で分かります。それでいきなり話かけられたら、ちょっと警戒するか、それとも……そうだ、お嬢様。お金をせびられませんでした?」
「そう言えば、病気のおばあさんのお見舞いに行きたいんだけど、あいにく今、持ち合わせがなくて、辻馬車のお金が足りないって人に、何人も会ったわ。大した額じゃなかったから、貸してあげたんだけど。下町の人、病気がちなのね。衛生状態のせいかしら」
「……お嬢様、それ、うそですよ。たかられたんです」
「ええっ?」
 アンナは危ないことなんてないって言ってたけど、下町の事情にうとくて本人が気が付かなかっただけで、けっこうきわどい目に会っていたようだ。よく大事にいたらなかったなあと、トビィはぞっとした。
「やっぱり目立ち過ぎると危ないので、変装した方がいいと思います」
 変装、と聞いて、アンナは目を輝かせた。
「そうね、変装は基本よね。マリア、何かいい服装、ないかしら」
 アンナは、小間使いのマリアに尋ねた。トビィらのやりとりを、何かコメディーでも見ているかのように、にこにこ笑いながら見ていたマリアは、おかしくって仕方ないというふうに答えた。
「ありませんよう。由緒あるアップルトン家のお嬢様の衣装部屋に、下町になじむ、みすぼらしい服なんて、あるわけないじゃないですか」
「マリアは持ってないの?」
「いいえ。そもそも、サイズが合いませんよ。古着屋さんで買ってきたら、どうです?」
「そう、それよ!」
 結局トビィがひとっ走りして、衣装を調達してくることになった。
「ついでに自分の分も忘れないのよ!」
 アンナがつけ加えた。そうだった。トビィの着ていたぼろ服は、最初の日に捨てられてしまったのだった。トビィは古着屋に行き、いい感じにつぎの当った服を、アンナとトビィの分、ひとそろい買ってきた。
「まだ何か、違うわね」
 その服を着て、鏡を見ながら、アンナは言った。腰に手を当てて、ご不満な様子。
 ううん、確かにちょっと……アンナの姿を見ながら、トビィは無意識に自分の髪を手ぐしして、以前のように直していた。召使いの格好の時は、ちゃんとしてなきゃいけないと、きちっとなでつけられていたのだ。それに気づいたアンナは、ぱっと顔を輝かせた。
「それだわ!」
 自分の髪を、くしゃくしゃとかき乱す。
「あらあら」
 マリアが、がっかりした声を上げた。毎朝しっかり時間をかけてアンナの髪をすくのは、マリアの仕事だから。
「これでだいぶ、それっぽいわよね?」
 アンナは胸を張った。一応、見えなくもない感じ。さらに二人は台所に行って、灰と脂で、少し顔を汚した。
 これでばっちりだ。ものすごい貧乏というほどではないけれど、この屋敷に迷いこんだら、叩き出されるぐらいには、下町の子っぽくなった。
 変装がよほど嬉しかったらしく、アンナは家じゅうの人に見せびらかした。それを見たアルフレッドは、困り顔。
「おい、トビィ。お嬢様が、ますます張り切っているじゃないか。お前もしかして、自分の役目を忘れて、いっしょになって、探偵にごっこに精を出しているんじゃあるまいね?」
「いえ、そんなことは」
「いいかい、くれぐれも念を押しておくけど、お前の仕事は、お嬢様をお守りすることだよ。お嬢様のことだから、なかなか言うこと聞いて下さらないけど、とにかく危ない目に会わせることがないよう、お前が注意するんだよ」
 アンナのはしゃぎようを見る限り、それはなかなか難しい仕事だとトビィは思った。これはちょっと、作戦を考えないといけない。
「さあ、トビィ! 聞き込みに行くわよ!」
「ち、ちょっとお待ち下さい、お嬢様」
「なあに、トビィ。急ぎましょうよ。事件の捜査は初動が大切なのよ」
「僕ら子供が普通に行っても、忙しかったら、相手にしてくれませんよ。もっと作戦を練った方がいいですよ」
「作戦?」
 トビィ達は馬車に乗りこんだ。トビィは御者のリチャーズに、市場に向かうように頼んだ。アンナが不思議そうに聞いてくる。
「ね、トビィ。作戦って何? どうして先に市場に行くの? 早く教えてよう」
「お嬢様、お金、持ってますよね。ちょっと買い物してもいいですか?」
「いいけど、何買うの?」
「子どもが酒場に入っても長居できないから、さらに変装するんですよ」
 市場につくと、トビィは大きなかごを買い、果物を仕入れた。行商人に扮装だ。
「なるほど。果物を売りに来たふりをするのね」
 アンナは感心してくれた。このアイディアには、トビィも満足だ。ここまでやれば、もう怪しまれないだろうし、何より、下町の事情を知っているトビィが行く先を決められる。そうすれば、いきなり危ない所にアンナが踏み込む危険を、少しは減らせるというものだ。
 その小道具を持って、トビィ達は、被害者のマギー・ウィルコックスが勤めていたという酒場に向かった。酒場の名前を聞いてみれば、そこの主人はよく市場に買出しに来ていた顔なじみだった。ついてる。これなら話を聞くのも簡単だ。
 店にはまだ客は来ておらず、開店準備中で、ちょうど主人はカウンターでグラスをみがいているところだった。
「久しぶりだな、トビィ。お、なんだ、その格好。仕事変えたのか。ガールフレンドなんて連れちゃって」
 お嬢様が、ガールフレンドだって。トビィはどぎまぎしたが、変装を続けなくちゃと、平静を装って、話を続けた。
「まあね。ね、大将、一つ買ってくれない? 今日は売れ行き悪くってさ。親方に怒られちまうよ」
「よし、じゃ、ご祝儀に買ってやるか。どれ、見せてみな」
「毎度あり」
 トビィはカウンターにかごを置くと、身を乗り出して聞きいた。
「ねえ、この間の殺人事件でさ、死んじゃったのは、ここの給仕の子だって聞いたけど、本当?」
 主人の顔がくもった。
「ああ、そうなんだよ」
「どんな子だったの?」
「明るい、いい子でなあ。人気者だったのに」
「そうなんだ。何で殺されちゃったんだろう。恨みを買ってたりとかは?」
「さあ、聞かないなあ。恨まれるような子じゃ、なかったし」
「お金のトラブルとか」
「うーん」
 しびれを切らしてアンナが、わきから身を乗り出して聞いた。
「ね、男の人は? 言い寄ってくる男の人とか、いなかったの? 振ったとか、振られたとかは? 特に、口ひげとあごひげを無造作に伸ばした、黒づくめの人を探しているんだけど」
 アンナはやはりまだ、こういう事件は色恋がらみ、と思っているみたいだった。立て続けに質問を浴びせかける。トビィはあわてて、アンナを止めようとした。
「お嬢様、ちょっと待って、それじゃもろバレで……」
 いきなり見知らぬ女の子が、事件のことを熱心に聞いてくるのを見て、主人の顔つきが変わった。
「なんだ、お前たち。何でそんなに根ほり葉ほり聞くんだ。だいたい、お嬢様って……おい、まさか、サツの手先になったんじゃ、ないだろうな!」
 こりゃまずい、とトビィは思った。何か言おうとしたアンナを制して、トビィはとっさに、別のうそをついた。
「や、やっぱり、下手な変装じゃ、ばれちゃうね。実は僕、召使いに雇われてさ。そこの家のご主人が新聞記者で、その手伝いなんだ。取材なの。この子のお兄さんなんだよ」
 下町では昔から、警察の評判が悪いのだ。下町は犯罪者の巣だとみられていて、実際、犯罪も多い。そのため警察の取りしまりが厳しくて、よく住民とトラブルになる。だからみんな警官を嫌っていて、最近はそこまでじゃないけど、昔は袋叩きにあった警官もいたそうだ。
 そんな下町で、警察の手先だと思われたら大変だ。協力してくれないだけじゃなくて、日ごろ警察に恨みを持っているごろつきの、ウサ晴らしの対象になるかもしれない。なので、トビィはうそをついたのだ。
「ね、ここでお客さんにも取材していいかな? これあげるから」
 トビィはかごを主人の方に押しやると、懐から、メモ帳とペンを取り出した。アンナが、記録を取るのはパートナーの仕事だと言って、持たせたものだった。この小道具がきいたようだ。険しかった主人の顔がほぐれ、こちらに身を乗り出してきた。
「ほう、新聞記者の……。じゃ、何かい、この酒場が、新聞に載っちゃったりするのかい?」
「うーん、まだ分かんない。何かスクープできれば、載ると思うけど」
「そうかー。そうなったら、すごい宣伝だよな。その時は必ず、店の名前も入れてくれよ。おう、そうだ、取材な。構わないぜ、どんどんやってくれ。ただ、みんな楽しく飲みに来てるんだから、その辺だけ、気をつけてくれな」
「ありがとう!」
 新聞記者の手伝いといううそは来店した客にも有効で、みんな色々な話をしてくれた。一杯おごると口のすべりが良くなる人が多い、とアンナが気づいたのも大きかった。アンナが気前よくおごると、みな気持ちよく、ドンドンしゃべってくれて、かなりの情報を手に入れることができた。
「すごいわ」
 帰りの馬車の中、アンナは感心したようにつぶやいた。
「ほんと、色々分かりましたね。すぐに犯人につながる話はなさそうですけど」
「ううん、私が言ってるのは、あなたよ、トビィ。変装したり、記者に化けたり、それでこれだけうまくいったんですもの。今日の成果はあなたのおかげよ。名探偵には有能なパートナーが必要だけど、十分合格よ」
 アンナはトビィの両手を取り、まっすぐ目を見つめて言った。
「頼りにしているわよ、ワトソン君」
 アンナの役に立てて、これだけ喜んでもらえるなんて、トビィはうれしくなった。

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