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【加筆編集済】「夢は叶う、その代わり、ほかのことは知らねえぞ」(甲本ヒロト)

夢は叶う。でも他のことは知らない。

というのは、夢は叶っても幸せな生活が待っているとは限らない。生活なんかどうでもいい、それでも諦められないのが夢なんだ。自分の命が危ないかも知れないという時にでも夢を選んでしまう。そういう夢は100パーセント叶う。

2020年2月号の『kaminoge』で甲本ヒロトが話している。

そういう男が亡くなった。亡くなったかどうか正確にはわからない。亡くなった知らせが来るほどに親しくなることを私が拒否していたからだ。風の便りにしか知らない。

彼と知り合ったのは10年ほど前にTwitterで。直接会う機会のないままにある日「なんでもいいから仕事をください」とメールが来た。あとで聞いてみると知り合いみんなにメールを送り付けていたようだが(その後も突然メールを送り付けるという<やり方>は変わらなかった)、私は仕事を与えるような立場にないので仕事を与える人を知っていそうな知り合いに引き合わせた。その場で彼は娘の専門学校の学費が半分支払えない、その期限が迫っていると私たちに訴える。初対面の私たちに。訴える相手が間違っている。

知り合いのツテで彼に行政の仕事が得られたそうだ。じつに有難いことであるが、そのことは8年くらい経って間接的に知った。従って仕事を斡旋してくれた知り合いにもお礼をし損ねってしまった。そういう礼儀知らずのところが私は大嫌いだった。

次に彼に再会したのは、蕎麦屋の店内だ。私が鎌倉の手打ち蕎麦屋で蕎麦打ちをしていた頃、某氏が見えてますとホールの従業員に呼ばれて、某氏なんて知り合いいたかなと思いながら客席に行くと、ビーサンに短パンで日焼けした彼がビールを飲んでいた。

逗子ならばともかく、鎌倉のニノ鳥から八幡様側に入った手打ち蕎麦屋でビーサン短パンの中年男性は滅多にいない。とても場違いな感じがした。私を見て「やあ」と手をあげる彼は赤ら顔だった。いつも店に来る時はビーサンに短パン、そしてオレンジのポロシャツ姿だった。

ある時、女性二人と同席していたことがある。いつもより多めにビールを飲んでいる彼が言うには、元妻と娘だそうだ。娘、つまりは学費を父として払えなかった娘ということなのかなと私は思った。

やがて私は蕎麦打ちを卒業して鎌倉の店から離れた。彼とも会うことはなくなったが時々彼のブログは読んでいた。それによると山梨あたりの温泉旅館で一人寂しく働いている。それも長い期間ではなくやがて逗子に戻ってきて一人で暮らし始めたことが綴られていた。そこから2021年の大晦日まで更新された彼のブログに繰り返し記述されたことは<(小説家として)認められたい><一人でいることは淋しい>という二点である。

彼からは時々メールが来てそこに小説が添付されていた。長い長い小説だ。それを読んで感想をくれと書いてある。もちろん沢山の知り合いに送り付けたのだろうと思うが、根が真面目な私は無視できないので時々さっと読んで感想を送った。それはとても苦痛な行為だった。

私は年間に多い時には150冊くらい読書するが、そこに小説はほとんどない。読むとしたらごく少ない人数の作家の小説だけだ。だからまだデビューもしていない作家の小説、しかも興味の湧かないテーマの小説を生原稿で読むというのは苦痛でしかなかった。

それでも感想を返す人が少ないからだと思うが、彼は私に時々連絡を寄越して会いませんかと言ってきた。私も時間のある時には会いに行った。ビール片手に話すことは沢山あるだろうが、そういう時彼はほとんど自分から口を開かなかった。話しかけても一言二言しか返さない子供のように、会話が弾むことはなく沈黙が流れた。私は苦痛だった。なんのために呼んだのか、用があるならば言えばいいのに。用などなくてもいいけど、楽しく無駄話でもしようよと思っていた。

でもそれが彼という人なのだ。彼が饒舌になったのは海岸で焚き火の会をした時だけでその時は体調も良く酒も飲んでいた。一杯や二杯では口が滑らない人なのだと思う。そしてギリギリにならないと人に助けを求めない。助けて欲しいのに直接助けてということは極端に嫌う。しかも助けを求める相手が間違っている。それが彼という男だった。

彼は小説を私に出版してほしいと願っていた。しかし私は断った。私は他人の小説を出版することに興味がないし、何より彼の小説に興味がなかった。彼は自分のサイトで細々と小説を販売し始めた。サイトから本の購入を申し込むと振込先のメールが送られてくる。振り込みが終わり、入金が確認されると彼からメールでe-Pubの小説が送られてくる。そういう面倒なやり方での販売だ。サイトでの販売は決して順調ではなかったようだ。

しばらく経って彼のブログを見ていたら重要なことが記してあった。大腸癌を患い人工肛門となってしまったこと。癌は肝臓にも移転していること。にもかかわらず継続させてもらえる仕事を辞めてしまったこと。仕事を辞めたことには自己啓発本の強い影響があると思われること。そして今後の生活のあても頼る家族もいないこと。もちろん血縁も元妻もいるわけだが、みな彼に愛想を尽かしていた。命の危機にあっても。

彼にとっては不幸なことであるが、これを契機に彼が癌闘病を語るブログは生々しくイキイキとしてかつてなく読み応えが増してきた。この一連の文章こそが彼の一番の財産であり持ち味であると私は毎回読みながら思った。一方で彼はどんどん追い詰められていった。

2020年の春のある日、私は彼に連絡して海岸で会った。それまでも近所や駅前で出くわすことはあったが、彼が癌になって以降、グループでの焚き火を別にすれば、待ち合わせて会ったことはなかった。そこで彼に聞いたことは、数日前に自殺未遂したこと、死に切れなかったので行政の勧めで生活保護を申請してそのお金を今日受取に行くことだった。

吹っ切れたような、諦めたような、抗がん剤治療で浅黒くなった彼の横顔を見ながら私が言ったことは、闘病記を書きなよ、それが一番面白いから、そしたら私が売り込んでやるよということだった。章立ては私が考えるから、まず闘病記を出す、全てはそこからだ。生活保護受けたなら食う心配はしなくていいのだから。

そして彼が三ヶ月ほどかけて闘病記を書き上げだ。一章ごとに彼からメールが来て私はそれにアドバイスをして彼は一部をリライトした。残り一章になったところで私は出版エージェントに闘病記を送り、社内で検討してもらった。結果としては商業出版には適しないとのことだった。癌の闘病記は山ほどあるし彼は有名人でもないし文章が個人的過ぎるとのことで。

私は彼が書き上げた時点で彼との関係を再び絶った。これ以上彼に関わることは彼の死を背負うことになる。私は家族でも友達でもなく知り合いである。しかも彼と思想信条、人生の考え方が極端に異なる。ウマも合わない。一緒にいても楽しくない。私は彼の生と死を背負うことはできない。私を頼るのは辞めてほしいと彼に言った。

ただし、闘病記は素晴らしいテキストになったんだし財産だからkindleで出版してAmazonで売ればいい。その他の小説も、ちまちま自分のサイトでなくて、Amazonで売れとアドバイスした。本を読みたい人はすぐに読みたいし、作者にいちいち自分の個人データを知られたくない。ワンクリックで売れるように、誰でも検索できるようにAmazonで売れ、と。

その闘病記『腸をなくした男: 目覚めたら人工肛門になったぼくが、うんちにまみれながらもがいて、首を吊るまでの五六〇日間』 (Zushi Beach Books)を含め、彼は6冊をkindleで出版し、20,000ダウンロードを得たという。大成功じゃないか。文芸書の初版など今では3,000部しか刷らないらしい。二万って凄いよ。立派な商業作家、小説家だよ。

昨年秋に、近所の路地で彼を見かけた時、同じようなことを私は言った。やったね、素晴らしいじゃない。立派だ、凄いよ。彼は苦笑いして「体調が落ち着いたらまた一杯やりましょう」と言って路地の向こうに消えた。それが彼を見た最後である。

ブログによると、クリスマス前後に主治医から余命半年宣告を受けて、抗がん剤治療を断念している。最後の更新は大晦日、Facebookの書き込みは1月3日で終わっている。1月5には緊急入院し翌日亡くなったそうだ。

半年でなく2週間ぽっちりだったが、彼は結婚し娘を得て離婚したが娘には子供が二人おり交信は凧糸のように細くとも祖父となり小説家として孤独のまま死んだ。

人は皆一人で死ぬ。夢は叶った。ケセラセラ。

小説家 松谷高明のブログはhttps://www.op-studio.com/anotherday/ 






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